第12話 五芒星の門

 早朝の矢のように降っていた雪は、昼食をとっている間にやんだようで、友待つ雪だけが僅かな光を受けて青白く輝いていた。

 出発前に入った温泉のおかげでポカポカしていた私たちは、名残惜しく思いつつ宿を出た。

 

「太陽が出ていたらもう少し暖かかったんですけど」

 そう言って恨めし気に空を見上げる私の横で、葉月さんがつられたように顔を上げた。


「あれだけ鬱陶うっとうしく思っていた現世の夏空が正直恋しいです。旅館の方には感謝をしてもしきれませんね」

「はい。本当にありがたいです」


 私たちは両手で握りしめていた竹筒を揺らしながら微笑み合った。

 その竹筒は出発する前に中居さんが渡してくれたもので、中には温かいお茶が入っている。


 不知火しらぬいと呼ばれる妖が開発した、長時間保温可能の温石おんじゃく入りなので、宿を出て一時間以上経った今でも温かいお茶が飲めるのだ。


「そういえば……温石って、治療器具として使われていますよね? 葉月さんから教えてもらったことがあったような……」

 ふと思い出して尋ねると、葉月さんがコクコクと何度も頷いた。


温罨法おんあんぽうのことですね。入眠促進やリラクゼーション、疼痛とうつう緩和などの効果があります。不知火一族の温石は薬師界隈でかなり重宝されているのですが、まさかこのような使い方をするなんて驚きました」


 私は相槌を打ちながら、竹の水筒に視線を落とした。

「みんな異常事態に負けないよう頑張っているんですね」

 感慨深い心地になってポツリと呟く。


「そうですね。この温石のように、きっとどの種族も臨機応変に対応しています。そんなしたたかに生きるひとびとのためにも、この旅は必ず成し遂げなければなりません。……結奈さん」


 葉月さんの話を聞いていた私は、静かに名前を呼ばれて顔を上げた。

 何かあったのかと思ったが、金の瞳はまっすぐ私を見つめている。


「はい」

 遅れて返事をすると、葉月さんは唇の端を微かに上げて笑った。


「最後までそばにいてくださいね」

 ずいぶん今さらなことを言うなぁ、と目を瞬かせてから、私は大きく頷いて見せた。

「もちろんです!」


 当たり前なことだとしても、言葉にすることは大切だから、きっと葉月さんはあえて口にしたのだろう。

 だから私は迷わず肯定する。

 旅の最後に笑っていられるよう、祈りを込めながら。


 それから私たちは雪山を一つ越え、ひときわ大きな山を登っていた。

 山といっても傾斜は緩やかなので、登山初心者の私でも余裕で中腹までたどり着いた。


「少し休憩しましょう」

 葉月さんがそう言って風呂敷を薬箱から取り出す。

 その大きな風呂敷を近くの岩に広げると、二人そろって腰を下ろした。


 ここに来るまでに何度かそうしていたので、風呂敷はすっかり濡れてしまっていたが、それでも気持ち的に敷いていた方が落ち着くのだ。


 お茶を飲む私の横で、葉月さんが何かを見つけて目を見開いた。

「あれは……浅葱蝶あさぎちょうかな」

「えっ、蝶ですか?」

 

 唐突な虫の名に驚いて聞き返す。

 そのまま葉月さんの視線を辿ると、行き着いた先には鮮やかな青緑の花が咲いていた。

 花にしては珍しい色合いだが、花弁の形はたしかに蝶のように見える。


 こんな天候の中、枯れずに生えているということは、おそらく雑草の類いだろう。

 誇らしげに咲き誇る蝶の花に、私と葉月さんはしばし沈黙した。


「浅葱蝶っていうんですね」

 花のそばに寄りながら言うと、葉月さんも隣にしゃがみこんで頷いた。

「はい。他には吸い蝶花ちょうかとも呼ばれています。由来はスイカズラ科だからというのもありますが、この花のある特徴から名付けられたと言われています」

「どういう特徴なんですか?」


 首を傾げる私に、葉月さんが待ってましたとばかりに笑ってみせた。

「見ていてください」

 そう言って花びらに手を伸ばす。


 その指先が花弁に触れた瞬間、浅葱色のそれはがくからプツンと離れ、まるで本物の蝶のように宙を舞った。


「わぁ! 綺麗!!」

 私はヒラリヒラリと舞う花の蝶を仰ぎながら叫んだ。

 花びらは少しの間曇天の下を羽ばたいていたが、やがて力を失ったように地面に落ちた。

 すっかり魅了された私は、もう一度見たくなって浅葱蝶に触れてみる。


「……あれ?」

 同じように飛び立つものと思っていたが、私の予想とは裏腹に全く変化が生じない。

 小首を傾げる私に向けて、葉月さんは申し訳なさそう眉を下げた。


「神力を流す必要があるので、残念ですが……」

「あぁ、なるほど。……ん? 神力を流す!? 葉月さん、神力は極力使わないって話だったじゃないですか!」

 

 あまりにもサラリと言ってのけるので、危うく聞き逃すところだった。

 ギョッとして立ち上がる私と反対に、勢いに押された葉月さんが身を縮める。


「すみません。結奈さんに喜んでもらいたくて、つい。調子に乗りました」

「うっ、その言い方はずるいですよ。怒れないじゃないですか! 実際に嬉しかったし……。でも、次からはダメですよ! 葉月さんの体が一番たいせつなんですから!」

 子供を注意する母親のような気持ちになるのは、きっと目線がいつもと逆だからだろう。


「はい、ごめんなさい。もうしません」

 そして、謝りつつも可笑しそうに口元を緩ませている葉月さん。

 完全に面白がっている彼に、私は何度も言い聞かせることとなった。


 休憩を終え、木々の間を縫うように歩き続けていた私たちは、やがて行き止まりに着いた。

 夜の時間帯に入ったのだろう、辺りはすでに真っ暗だ。

 

「着きました」

「え、ここですか?」


 細い木々が複雑に絡まり合っており、とてもじゃないが先には進めなさそうだ。

 しかし、葉月さんはなんの躊躇もなく足を踏み入れる。

 そして、次の瞬間、葉月さんの姿が消えた。


「えっ……ええっ!? どういうこと!?」

 開いた口が塞がらないとはこのことだろう。

 けれど、私が右往左往しているのはほんの僅かな時間だった。

 というのも、呆然と突っ立っていた私の目の前に、葉月さんの顔がぬっと現れたのだ。


「結奈さん、大丈夫ですよ。思い切り飛び込んじゃってください」

「うぉわ!」

 驚いて変な声が出た。

「は、葉月さん、なんで顔だけ……?」

 葉月さんは私の言葉に一瞬キョトンとして、それから慌てて出てきた。

 もちろん、五体満足で。


「失礼。驚かせてしまいましたね。実はここ、幻術がかけられているのです。とても巧妙な術なので、大半のひとの目を欺けます。念のため中を確認してきましたが、誰かが待ち伏せている気配もありませんでした。安心して入ってきてください」

(誰もいないのならよかったけど……別の意味で緊張するなぁ、これは)

 私はゴクリと息を吞むと、葉月さんに手を引かれながら、おそるおそる幻術を通り抜けた。


 視界いっぱいに広がる樹木に、堪らずギュッと目を瞑る。

 その僅か数秒足らずで景色が一転。いつの間にか目の前には巨大な門があった。

 石で造られたそれは、空に届くほどの高さで横幅もかなりある。


「これが、五芒星の門……?」

「はい。地震の影響か、それともすべての門を開いた代償なのか、酷い状態ではありますが」

 葉月さんの言う通り、門の状態はかなり悪かった。

 大きなひびが稲妻のように四方に走り、半開きの扉の先はどこまでも闇が広がっている。

 神聖な雰囲気はどこにもなかった。

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