第10話 先に立たず

 異常な喉の渇きと頭痛で目が覚めた。

 全身がねっとりと熱い。

 それなのに肌に触れる空気はひんやりしていて、なんだか気持ち悪い心地だ。

 

(ううん……なにこれ……。なんで私、こんなに具合悪いの?)

 怠い体を起こしてみれば、見慣れない部屋に寝かされている。

 しばらく部屋の中を眺めていると、ふと旅館に泊まっていることを思い出した。


 しかし、覚えているのはそれくらいで、あまり昨晩の記憶がない。

 部屋を案内されて、夕飯をどうするか葉月さんと話し合ったことは覚えている。

 そして温泉に入って……。


(もしかして、温泉で逆上のぼせちゃった?)

 そう検討づけるも、なんだかパッとしない。

(いや、それに温泉から上がった記憶もあるなぁ。なんかモフモフな尻尾をお持ちのおばさま方に囲まれながら葉月さんとの合流地点に向かったような……)


 そこまで考えて、私は一気に覚醒した。

 声にならない悲鳴を上げながら飛び起きる。

 そして次の瞬間、酷い頭痛に襲われて布団に突っ伏した。

 

(痛った! 頭痛すぎ! ていうかどうしよう、宴会でお酒飲んじゃったんだ! 泥酔して記憶飛ばすなんて、私、絶対なにかやらかしたよね!?)


 常世のひとたちに「未成年なんで」という断りが通用しなくて、勧められるがままに飲んでしまったのだ。

 葉月さんに付き合って食前酒を一口飲むくらいならば経験はあった。

 しかし、昨晩はそれと比べ物にならないくらい飲んでしまったようだ。


 もう現世に帰ってはいけない気がする。

 戻ったら最後、未成年飲酒禁止法で大学に停学処分されちゃう……。

(いや、それも十分問題なんだけど、それよりも昨日の私が何かしでかしていないか超心配……)


 こうしちゃいられないと、私は慌てて布団を畳んだ。

 慣れない着付けのせいだけではない変な汗をかきながら、できるだけ早く身支度を整える。

 そうして痛む頭を抑えつつ部屋を出ると、タイミングよく隣の部屋の戸が開いた。


 耳の良い葉月さんのことだ。

 物音で私が起きたことに気づいたのだろう。

 私の姿を捉えた葉月さんが、朗らかな笑みを浮かべた。

 

「おはようございます、結奈さん。具合はどう──」

「昨日はすみませんでした!」

 慌てて頭を下げる私に、葉月さんがキョトンとする。

 少しの沈黙ののち、思い当ったようで首を横に振った。


「結奈さんは謝るようなことは何もしていませんよ。酒の席に慣れていない結奈さんを一人にしてしまった私の責任です。こちらこそすみませんでした」


「そんな……! でも私、絶対なにかやらかしましたよね?」

「やらかす……?」

 おそるおそる尋ねると、葉月さんは一瞬考え込み、ふっと気まずそうな顔になる。

 しかし数瞬のうちにその表情は消え、代わりにとても良い笑顔を向けてきた。


「いえ、特には。強いて言うなら、私に抱きついてきたくらいです。その後はすぐに寝てしまわれたので」

「だきっ……!? と、とんだご迷惑を……」

 平然と言いのけられた言葉は、私にはとてもじゃないが受け止められるものではなかった。

 すっと意識が遠のきそうになる。

 そんな私を支えながら、葉月さんはことさら楽しそうに笑った。


「好いている方から抱きつかれて嫌な男などいませんよ。あっ、きちんと悪い虫は追い払いましたから、そちらもご心配なく」

「ううっ、優しい……」


 悪い虫というのが何を指すのかよくわからないが、きっとハエかなにかが酒の匂いにつられて寄ってきていたのだろう。

 記憶になくとも、虫にたかられるのは御免こうむりたいので助かった。

 さすが、気配り上手の葉月さんだ。


(……ていうか、好いているって言ってもらえた!)


 両想いと発覚して数日経ったが、付き合おうと言われたことも言ったこともない。

 しかし、互いにこそばゆい思いをしていることは空気で分かる。

 だから敢えて言わないのだ。

 恋仲同士だと口にすることの方が、なんだか野暮のような気がして。


(まあ、いつかは言葉にしないといけないんだけどね。……でも、なんて言えばいいんだろう)

 うんうんと考え込む私に、ふと葉月さんが心配そうな表情になった。


「それで、体調はどうですか?喉が異様に乾いていたり、吐き気や頭痛などはありませんか?」

 そう尋ねた彼は、いつの間にか薬師の顔をしていた。

 その様子に慌てて思考を引き戻し、自分の体の状態を確認する。


「えっと、吐き気は少しだけ。頭はけっこう痛いです。喉もたしかに乾いているような……」

 素直にそう答えると、葉月さんが袖の下から五角形に折られた薬包紙を手渡してきた。


「これは?」

「五苓散(ごれいさん)です。旅館の女将さんからもらってきました。出発は午後からにしましょう。私も昨日は少し飲みすぎてしまいました」

 そう言って微笑む彼は飲みすぎたひとの顔色では無い。

 というより葉月さんは酔いとは無縁そうだ。

 気を遣われているなぁと思いつつ、ありがたく休むことにした。


 葉月さんと別れ、中居さんが運んでくれた朝食を食べ終えると、薬を飲んで布団に潜り込んだ。

 天井の木目を見上げながら、私はため息を漏らす。


(私、ぜったい昨日なにかやらかしたよね。なんか葉月さん、目が泳いでいたし。よし、決めた。もうお酒は飲まない。成人しても、絶対飲まない!)


 後悔先に立たずというが、本当にその通りだ。

 一杯くらいなら大丈夫だと思っていたが甘かった。

 飲み干せばすぐに注がれてしまうお酒と、断ろうにも会話に忙しくて耳を貸してくれないおばさま達。


 昨晩のことはあまり覚えていないが、宴会に参加したことを後悔した記憶だけは色濃く残っている。

 これからはお酒を飲まないようにしようと固く決意するのだった。

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