第9話 酒に溺れる宵の口

 黒漆くろうるしさかずきの中で揺れる清酒に、情けない顔をした狐耳の男が映っている。

 私はそれをぼんやりと眺めながら、数時間前のことを思い出していた。


『生まれてきてくれてありがとうございます』

 花笑みとともにくれた言葉は、生きることに罪悪感を抱いていた私がずっと欲しかったものだった。


 一族や国に死を望まれ、唯一の味方であった両親は私のせいで死んでしまった。

 まるで私は生きた厄災だ。

 それなのに、そんな私のことを結奈さんは心から祝ってくれた。

 この世にとっておめでたくもなんともない、それどころか一族の中でも厄日のように扱われていたその日を、おめでとうと言ってくれた。


(どうして結奈さんは、こうも簡単に私の欲しい言葉をくれるのだろう)

 盃から顔を上げると、女性陣に囲まれて笑っている彼女が目に入った。

 その笑顔があまりにも可愛らしいので、いつも隣で見ているというのに思わず見惚れてしまう。


「団子より花か。酒の席で珍しい。恋人かな」

 ハッと我に返って顔を上げると、いつの間にか隣に大柄の男が座っていた。

 そこでやっと、私は今の状況を思い出した。


 事の発端は今から約一時間ほど前。

 なぜか食事についての説明がされなかったので、温泉から上がったら聞きに行こうと話していた。


 合流場所で待っていた私の前に現れたのは、奥様方に囲まれた結奈さん。

 聞けば、この短時間のうちに仲良くなったらしい。

 宴会に招待され、悪いからと断ったら連行されてしまったのだと言う。


 結奈さんが困っている様子だったので助けに入ったつもりが、ミイラ取りがミイラになってしまった。

 奥様方の熱意と勢いに負け、ついでに食欲に負け、私たちは宴会にお邪魔させてもらう事になったのだ。


 話しかけてきた男が私の隣の席に腰を下ろした。

(なんだろう、どこかでお会いしたような……)

 栗皮茶の長い髪をゆるく編み込んだ男に、誰かの面影を見た気がして首を傾げる。

 そんな私に、男は含みのある笑みを浮かべた。


「酒は強いほうかい?」

たしなむ程度です」

 どうやら宴会の主催側のようだ。

 徳利を持ち上げながら尋ねられ、反射的に入っていた酒を飲み干した。


「頂戴します」

 差し出した盃に新たなお酒が注がれる。

 一口飲んでお膳の上に置くと、今度は相手の盃を満たした。

「ありがとう。みんな付き合いが悪くてね。まあ下戸ばかりだから仕方ないだろうが」

 そう言って嬉しそうに酒杯を傾ける男に、私は曖昧な笑みを返した。


 やけにひととの距離の詰め方が上手い。

 レオドール様の息がかかった宿なので大丈夫ではあるだろうが、するりと懐に入ってきた男に自然と警戒心が強まった。


 そのまま特にお互い話すことなく、黙々とお酒を飲む。

 しかし、不思議と嫌な沈黙ではなかった。

(やっぱり、この感じどこかで……)

「あの、失礼ですが以前どこかでお会いしましたか?」

 意を決して尋ねたと同時に、背中に衝撃が走った。

 驚いて振り向こうとするも、首に二本の細腕が巻き付いてきて動けない。 


「えへへ、びっくりしました? 今日は月が綺麗ですねぇ。わはははは」

「わっ、結奈さん!?」

 ぎゅっと抱きしめられて、その温もりに胸の鼓動が高まる。

 ピシリと固まってしまった私のそばに一人の女性が駆け寄ってきて、申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんなさいね。随分と良い飲みっぷりだったもので、楽しくなってしまって。少し勧めすぎてしまったわ」

(あぁ、断り切れなかったのか)

 私は事を理解して酒器を置いた。

 相手を一番に考える彼女は断ることが苦手だ。

 ゆえに勧められるがまま口にしてしまったのだろう。


「結奈さん、お部屋に戻りましょう。ここでは休まりませんから」

 そっと巻き付いていた腕を外し、振り返る。

 そこで私は動きを止めた。

 頬を桃色に染め、潤んだ瞳がトロンとしている結奈さん。

 その様に自分の体温が上昇するのを感じて、慌てて目をそらした。


(落ち着け、葉月。そして何も考えるな)


 自分を落ち着かせようとして、ふと四方から視線が集まっていることに気づく。

 それも多数の男の視線だ。


(ああ、もう! 揃いも揃ってジロジロと。結奈さんは獲物ではないというのに!)

 私は着ていたローブを半分寝かけている結奈さんにかぶせ、そのまま抱き上げた。


「申し訳ありませんが、私たちはこの辺で失礼します」

 一言断ってそそくさと退場しようとしたとき、隣で一献いっこんを交えていた男が声をかけてきた。


「お嬢さんを部屋に送って一息ついたら戻ってきなさい」

「え? ですが……」

「まだ宴は始まったばかりだろう。それに――」

 そこまで言って、男が耳元に顔を寄せてくる。


「君の耳に入れておきたい情報があるのだ。……葉月くん」

 驚いて思わず男の顔をまじまじと見てしまう。

 男はそんな私の反応にふっと笑みを浮かべ、編み込まれた髪の隙間から小さな耳を覗かせた。


「そういうことですか」

 刹那、私は全てを理解して瞠目どうもくする。

 丸みを帯びた小さな耳と長いしっぽは鎌鼬かまいたちの特徴だ。


「いつも朔矢が世話になっているな。父の柊朔しゅうさくだ。以後よろしくたのむ」

 そう言って、男はいたずらが成功した子供のように無邪気に笑った。


「いつまでも大切な女性の寝顔を他人に晒すものじゃない。それに体が冷えてしまうぞ」

 うつけたように立ちつくしていた私は、柊朔さんに促されて慌てて立ち上がる。

 先程の婦人に軽く会釈をすると、宴会場を後にした。


 結奈さんを布団に寝かせ、宴会場に戻ると、柊朔さんがニヤリと意味深な笑みを向けてきた。


「おや、思ったより早かったな」

「からかわないでください。いくら心を寄せている相手とはいえ、眠っている女性に無体を働くほど愚かではありません」

 ムッとして言い返すが、なぜかさらに笑われてしまった。


「類は友を呼ぶというが、ここまでとは。いつだったか息子を許嫁いいなずけと一晩過ごさせたことがあったが、談笑だけして帰って来たよ。どうやら式を挙げるまで契りを交わさないつもりらしい。まったく、頭の固い」


 自分はさすがにそこまで固くないと思うが、女性のいる場であまり広げたくない話題だったので笑って流す。


「それで、朔矢からの伝言というのは?」

 本題に無理やり入ると、柊朔さんは残念そうに肩をすくめてから居住まいを正した。

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