第5話 常世の現状
「それで、タウフィークの危機だというのは?」
葉月さんが脱線してしまった会話を戻す。
それに答えたのは暗い表情を浮かべたアーロンさんだった。
「私が彼にかけていた変化の術が、急に解けたんです。初めは潜入を終えたから自ら解いたのだと思ったのですが、それを期に連絡も途絶えてしまって」
上質そうな黒のローブを着込んだ彼は、そう言ってエメラルドの瞳を悔しげに細めた。
「救出のために数人送ったのだが、組織員の募集は終わったと門前払いされてな。だいぶ警戒を強めているようだ」
アーロンさんから引き継ぐように、レオドール様がため息混じりに言う。
アーロンさんとレオドール様から醸し出される鬱々とした空気に、私は事態の深刻さを改めて知った。
タウフィークさんは初めて会ったときから親切にしてもらったし、セドリックに捕まったときにも助けてもらった。
葉月さん同様、返しきれないほどの恩がある。
(タウフィークさん、大丈夫かな。酷い目に合わされていなければいいんだけど)
考えれば考えるほど不安になって、私は拳をギュッと握りしめた。
「術が解けたのはいつ頃ですか?」
そんな周囲の重たい沈黙を破ったのは、この場でもっともタウフィークさんと付き合いの長い葉月さんだった。
「六日前です。それから今まで一日一回行っていた定期連絡が来なくなってしまい……。翌日の晩、彼の補助として潜入させていたレオドール様の部下から、タウフィーク殿の潜入が露見した恐れがあると報告を受けました」
葉月さんの冷静な態度につられたように、アーロンさんが淡々とした口調で答える。
六日前と聞いて、私と葉月さんは顔を見合わせた。
「葉月さん、それって……」
「はい。ちょうどタウフィークから手紙が届いた日ですね」
そして、何者かがオオカミの術玉を使って私を
何か関連があるのだろうか。
レオドール様も同じことを思ったらしく、眉を寄せて考え込んでいる。
「タウフィークは敢えてそなたらのところに送ったのかもしれないな。連絡が来なくなった前日、彼から送られてきた最後の連絡符には、小春殿が政府によって幽閉されていることが書いてあった」
その言葉とともに、レオドール様はタウフィークさんからの便箋をテーブルの上に乗せた。
「タウフィークがそなたらに送ったメッセージと合わせて考えてみると、つまり奴らは彼女という切り札を持っていることになる。ならば、政府の狙いは一つしかあるまい」
私はハッとして読んでいたタウフィークさんの連絡符から顔を上げた。
要するに、世界の崩壊やオオカミの術玉は、全て葉月さんを常世に呼び戻すための罠ということになる。
(でも、そこまでして葉月さんを殺そうとする理由ってなんだろう。セドリックの地下牢の管理室にいた元野妖は『神の象徴である強大な神力を持つ者が、この世で二人になってしまう』って言っていた。つまり、神様の立場が危うくなるから、邪魔者である葉月さんを消したいってこと?)
本当に理由はそれだけなのだろうか。
そもそも、神様とは力の量だけで立場が左右される
そんなことをグルグルと考えている横で、葉月さんの狐耳が叱られた子犬のようにペタンと倒れる。
「たしかに姉も私に常世へ戻ってくるよう言っていました。ですが、私が来ない可能性もあったでしょう」
「まあ、それは確かにそうなんだが……」
ちらりと葉月さんの方を一瞥(いちべつ)したあと、レオドール様は僅かにからかいの混じった声で「そなたは政府を信用していないし、何より見て見ぬふりができるほど器用でもないだろう?」と言った。
痛いところを突かれたようで、葉月さんがぐっと押し黙る。
これには私も同意見だった。
おそらく葉月さんは、現世にいた時点で政府の意図に気づいていた。
私がタウフィークさんからのメッセージの意味を聞いたとき、分からないと嘘をついていたことが良い証拠だ。
(罠だと知っていたら、私は何としてでも葉月さんを現世に留めようとするだろうから……)
そうしてでも葉月さんが常世に向かったのは、一重に地震や異常気象による被害者を出さないためだ。
不器用というより超がつくほどのお人好し。
そんなお人好しを黙らせたレオドール様が、今度は申し訳なさそうな顔をした。
「だが、そなたの無茶を叱る権利など、本当は私には無いのかもしれないな。神の不在によってそなたの呪印を解くという交渉ができなかった。あちらとの確執を作るわけにもいかぬから、深く追求することも難しい。あと私にできることといえば、神力の回復薬や必要な荷物を用意することくらいだ。力になれずすまない」
「いいえ、レオドール様は十分お力を貸してくださいました。それに、気にかけていただいただけで、私は本当に救われたのです。ありがとうございます」
深く頭を下げる葉月さんに、レオドール様が悲しみと喜びの混じった複雑な笑みを浮かべた。
部屋の空気がぶわりと熱を帯び、両者ともに感極まった表情で互いの顔を見つめている。
しかし、そんな感動の名場面のようなテンションについていけていない者が一人。
「……えっ、あの、今のスルーなんですか? ツッコミを入れるとこじゃないですか?」
そう、私だ。
揃って首を傾げてくるので、私は頭を抱えたくなった。
私がおかしいのだろうか。
そんな疎外感を覚えつつ、悲鳴に近い声を上げた。
「いや、神様が不在ってどういうことですか!? 初耳ですよ!!」
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