第2話 記憶と現実

 一歩、また一歩と踏み出すたび、足元でグググと雪のこすれる音がする。

 あまり雪の積もらないところで育った私としては、こんな状況でなければ雪遊びに興じていたところだ。


 それにしても寒すぎる。

 白い息を吐きながら、私は体を震わせた。

 もう随分と長い距離を進んだが、私たちは未だに山の中を歩いていた。

 念のためにと着込んできた厚手のコートが、まとわりついてくる雪のせいで重たい。

 分厚い雪で覆われた歩きにくい地面と相まって、体力を容赦なく奪ってくる。


(葉月さん、大丈夫かな)

 黄泉比良坂よもつひらさかから出た瞬間、葉月さんが顔を強張らせたのを私は見逃さなかった。おそらく呪印が発動したのだろう。

 神力は妖のエネルギー源だ。

 消費すれば疲れるし、無くなれば死に至る。

 呪印によって神力を奪われ続けている彼に、あまり余計な体力を使わせたくない。


「あの、葉月さん!」

 ビュービューとうるさい風音に負けぬよう、私は声を張り上げた。

 わずかに深緑の光をにじませた狐耳が、ピクリと反応する。

 こちらを振りむいた葉月さんに、私は顔を寄せて尋ねた。


「私たち、一体どこに向かっているんですか?」

 視界が悪い中、迷いなく歩き続ける葉月さんが不思議でしょうがない。

 彼には目印になるものでも見えているのだろうか。

 しかし、葉月さんは少し考えて、事もなげにこう言った。


「わかりません。おそらく月夜つきよ町の家だと思うのですが」

――帰巣本能っ!!

 喉まで出かかった言葉を飲み込んだ自分を褒めてあげたい。


 自信満々に歩く葉月さんを見て、私は「よく迷わないなぁ」と安心しきっていた。それなのに……。

(いや、でも狐ってイヌ科だしね!帰巣本能の一つや二つあるよね!)

 納得することにした。


 それにしても、と私は雪の渦巻く空を見上げた。

 記憶の中にある常世とこよの空とは、だいぶ変わってしまった。

 まるで綿を敷き詰めたような、そんな分厚い雲に覆われた夜空に、またたく星や美しい月などどこにもない。


 それだけ世界の崩壊が進んでいるということだ。

(まだ町の様子は見ていないけど、レオドール様の手紙からして、かなり変わっちゃったんだろうな……)

 好きな世界観だったこともあり、とても悲しくなる。

 鬱々とした気持ちを抱えていると、ふと葉月さんの歩みが止まった。

「着きましたよ」


 降りしきる雪の合間から見えたのは、あの様々な仕掛けのほどこされた家だった。

「わっ、懐かしい!」

 ほんの数カ月前まで住んでいたというのに、一気に私はノスタルジックな心地になる。

 ほんの数カ月というには、あまりにも色々ありすぎたのだ。


 葉月さんも同じように感じていたらしく、嬉しそうに目を細めている。

 元から調子の悪いドアを押し開いて、私たちは足を止める。

「地震で壊れていないか心配だったのですが、どうやら杞憂だったみたいです。中は……あぁ、だいぶ悲惨ですね」


 葉月さんとは違って夜目の効かない私は、部屋の明かりをつけてギョッとした。

 食器棚やふすまが倒れ、割れたお皿の破片が散乱している。

「ひどい……」

「結奈さん、危ないですから土足で上がりましょうか」

 そして頭を抱える私の横で、冷静な反応をする葉月さん。

 関係ないと突っ込まれそうだが、さすが師匠だ。


 とりあえず、私たちはそれぞれの部屋に荷物を置き、地下室に向かった。

 もちろん寝室もひどい有様だった。

 それなのに家屋が無事だったのは、一重に葉月さんの施していた術が優秀だからだろう。


「さて、手早く出発の準備をしましょう。現世とは違って、薬局がどこにでもあるとは限りませんからね。もしものときの事を考えて、使えそうな薬草や道具を選別します」

「はい、師匠!」

 こうして私たちは散らばった薬草や、くすり箪笥だんすの中にあった散薬などをかき集め、使えそうなものを探し始めた。


「うわ、意外とたくさん……」

 隅々まで探すと、床一面に広げられるほどの量を見つけることができた。

 しかし、葉月さんは集まったものを見渡して、残念そうに首を横に振った。


「ほとんどの薬草が駄目になっています。乾燥させてあったので大丈夫だとばかり思っていましたが……」

「雨や雪で湿度が高くなっていますから、そのせいですかね。現世だと、梅雨の時期になるとすぐに食べ物が悪くなっちゃうんです」

 常世の基準で考えるにしては、今の気候は異常すぎる。


 私たちは僅かな薬草だけを詰め込んで、道具選びに移った。

 かさばりそうな薬研やげんや丸薬の形成器は置いておくことにして、すり鉢とすりこぎ棒、それから小さめの湯たんぽを薬箱に入れていく。


 いくつかの印籠も、薬を保存する容器として持っていくことにした。

(印籠……印籠といえば……)

「この紋所もんどころが目に入らぬか!」

「……ど、どうされました?」

 決め台詞とともに葉月さんに印籠を突き出すと、ぎょっとされてしまった。

 一度やってみたかったのだから仕方ない。

 満足した私は、葉月とともに台所へ向かい、冷蔵保存してあった丸剤を印籠の中に入れた。


 それから、薬箱の中から煙隠草えんいんそう僗芳らうふぁんを見つけた。

 どちらも【煙玉】の材料で、実験と称して採ったものの残りだ。

 遊びで採取したというには多いそれを、私は風呂敷に包んで腕に抱える。

(武器になるか分からなけど、持っていて損は無いよね!)

 そういう訳で、今日は徹夜で煙玉作りに励むことにした。

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