第61 北陸旅情
北陸旅情
「大将!どうです、一杯、良い酒と良い女揃ってますよ!」
こんな呼び込みが五万と寄って来る・・・
普通のスーツでも持って来るべきだった・・・制服だと、階級章が読めなくとも肩の装飾とかは隠せぬ故、位の高い軍人と一目で判るようでロクなのが集まって来ない。
しかしようやく一軒の小さなおでん屋を見つけてそこに入る事にした。
北陸の1月は寒い、外套を着て居ても非常に凍れるのでおでんはとても魅力的だった。
店に入ると、いかにも地元の人々が大勢入って居て大変賑やかだった、たまにはこう言う店も良い、新宿の陸軍省へ通って居たあの当時の大久保の飯屋のオヤジを思い出しつつ、空いた席を探すと、カウンターに座って居た、旅館の番頭風の男が席を一つ開けてくれた。
こう言った人情が沁みるのである。
「軍人さん、ここ来て座り、一つ空けたさけぇ。」
「済まない、御配慮痛み入る。」
「あんた、うちの旅館に泊まっとる少将さんでは無かったけ?」
成程、何処かで見た顔だとは思ったが、吾輩の泊まっている旅館だったか。
「ああ、そうです。」
「なんもお気に召されんかったんかや? 宴会。」
「いや、吾輩のような極端に上のもんが居ると若者達は羽目を外して楽しめんと思ってね、それに流石にあれは、我が妻に申し訳が立たんよ。」
「はっはー、そうかね、たまにそう言う、珍しい一途な男もおるがやね。」
「ところで番頭さん、ここは常連だろ?お勧めの料理は何だい?」
「ここは金沢に近いから、いいネタが来る、おでんに入ったカニがうめぇよ。」
「そうか、ありがとう、おやっさん、熱燗と、おでん一通りくれ。」
「あいよ~。」
「すまんね、吾輩が店に入ってきた所為でか知らんが店が静かになってしまったようだ。」
「いやぁ、お気にされず飲んでってくれま。」
「それじゃぁ、こうしよう、今ここで飲んでる人全員、奢らせてくれ。」
「お~~~~~!!」
「お大臣!」
「そりゃ有り難い!」
「わしゃ朝まで飲んでダラになるど。」
急に賑やかさが戻って来た、いや、むしろ初めより賑やかになってしまった・・・ まぁ良いけどな・・・
金沢おでんと言う奴は、カニが甲羅ごと入って居る、前世で記憶にある金沢おでんは、セイコガニと呼ばれる所謂メスのズワイガニが丸ごと炊いてある物だったが、今の時代背景的に、炊いてあるのは網に良く掛かるワタリガニであった。
しかし、これがまた非常に美味であった。
一人の客が吾輩の元へと酌をしに来て、吾輩の顔を見て思い出したように言い放つ。
「あれぇ、もしかしてアンタ神童さんではないがけ?」
良く新聞を見て居る様であっさりバレてしまった。
「まぁそう言われた事も有りましたね。」
すると店のオヤジさんが。
「道理で見た事ある筈や、おらっちゃの店でもホレ、冷蔵庫は必需品さぁ。」
と言って背後の業務用冷蔵庫を軽く叩いた。
中には、コレラの対処法を吾輩が世に広めたお陰で死なずにこうしてピンピンしてると言って涙を流して喜んでいる者まで居た。
体も温まったし腹も膨れた所で、勘定を払おうとオヤジさんに声を掛ける。
「勘定を頼む、と言いたい所なんだが、未だ初めからずっと飲んでる者も居るようだね、じゃあ、釣りはイランから取っておいてくれ。」
と言って四百円入れたポチ袋を渡すと、おでん屋のオヤジは
「こんなに貰ったら今日所か明日も明後日も全員旦那の奢りになってまうよ。」
と言うので、「ではそうしてやってくれ、旨かったのでチップと思ってくれ。」
と言って店を後にした。
吾輩の発明品を輸出して居る事による経済の活性化と農業技術の急速な進化のお陰で、経済はますます活性化したせいか、史実よりも物価が上がって居たが、それでも平から部長クラスまでの会社員のひと月の平均月給が未だ三千円程度なので、四百円となるとかなりの額と言う事だし、まして東京府や横浜以外の地方の物価は更にグッと安いのである。
宿へ戻る道すがら、路地より走り出て来た女性が吾輩の背にしがみつく。
「お願いで御座います、お助け下さいまし。」
突然の出来事であった。
「何事だ、娘、事情を話せ。」
「はい、あの・・・実の父に身売りされる所を、振り切って走って逃げて参りました。」
ああそうか、ここ和倉は貧しい家の娘が身売りされ遊女となって居る事が未だに多い地域であったな。
「お主は遊女と成るのは嫌か、好いた男でも居るのか?」
「好いた殿方は居りませんが、私には夢が有ります。」
「ほう、どんな夢だ、申して見よ。」
「はい、対馬県へ渡り役者になりとう御座います。」
このロシアと事を構えた時期に、大陸側にある対馬県に出て迄夢を叶えたいと言う覚悟や良しとしよう。
その望み、吾輩なら叶えてやれそうだな、と思い、味方してやる事にした。
「判った、そうして吾輩の背に張り付いておくが良い。」
すると、明らかにガラの悪い男が3名程、娘の出て来た路地より現れた。
「よぉそこの軍人さん、その娘は今しがたうちのおやっさんが買ったもんだ、大人しく返して貰おうか。」
たまには少々暴れようと思って居た吾輩は、こう答えた。
「断る、と言ったらどうするのかね?」
「決まっとるがや、こうするまで!」
と言って二人が匕首を、もう一人が明らかに古そうな日本刀を構える。
吾輩も腰の叢雲と自動拳銃を抜く。
「さぁ、何処からでも掛かって来るが良い。」
「ぐ・・・こいつ、スキがねぇ。」
「ほう、吾輩の構えを見ただけでそこに至るとは、少しは出来るな?」
「くそ、強い。」
しかし一人はかかって来た。
「っらぁっ!!」
すかさず叢雲で皮一枚だけ切る気で凪ぐ。
するとゴロツキの帯が切れて着物が開け、それにビビって尻餅をつき、悲鳴を上げて四つん這いで逃げて行く。
「どうした、お前らは来んのか?」
「か、勘弁してくだせぇよ、だけどその娘は確かにうちの頭のものンなったんだ、返して欲しい。」
「ならその頭の所に吾輩も連れて行け。」
「わ、判りやした。」
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明らかにただの民家と見まごうばかりの普通のあばら家の前に辿り着く、ここが所謂売春宿になって居るのだろう。
「頭~!すんません、少々お手を煩わせやす、きてくだせぇ。」
「何やお前ら、ないしとっかダラが!」
「お前が頭か、この娘を身請けしたい、いくらだ。」
「おいおい軍人さん、いくら階級が高けえったってそうホイホイ買えるしろもんじとちごうがやじ。」
「良いから言って見ろ、いくらだ?」
「1万円。」
「判った、たった一万で良いなら、手持ちで足りる。」
と言って百円札の帯封の付いた束を金子から取り出して投げ渡す。
「これでこの娘は吾輩の物であるな、邪魔したな、失礼する。」
「一寸待たし、お前さん一体何者け?」
「帝国技術開発省長官、益田修一少将である、この娘は役者に成りたいと申すので吾輩の弟に預ける事にした。」
「成程、納得やわ、そらぁ金も持っとって当たり前やわ、負けた負けた、何処にでも連れて行かし。」
思った以上にすんなり引いてくれたようだ。
「娘、明日、吾輩の弟の益田太郎冠者が此方に疎開して来る運びとなっておる、本来吾輩は明日早々に出立する予定であったが、予定を少々変更して弟に顔を合わせてから帰還する事にしたので吾輩の泊まって居る宿に今夜は泊まると良いだろう、温泉も良いし精々湯浴みを楽しんで置くと良い。」
と、宿へと連れ帰った・・・
食事を終えて戻って居た番頭に空き部屋を一つ用意させ、この娘をその部屋に泊まらせる事にし、寝る前にもう一度風呂に入ろうと大浴場へと足を運んだ。
この宿には露天風呂も有る為、チラチラ降り始めた雪を眺めながら風流に浸って居ると、誰ぞ露天風呂へと入って来た者が居た様だ。
「もし、先ほどはありがとう御座いました、貴方様がまさか益田修一様とは知りませんでしたが、私は運が良かったのかも知れません、是非今夜は私を抱いて下さいませんか?」
先ほど助けた娘であったようだ・・・と言うかこの露天は混浴であったか、しくじったものだ。
少々動揺したが、それを隠して対応する。
「それはならん、お主はまだ子供ではないか、それに吾輩は妻を裏切りたくないのだ、むしろお主は中々の器量良し故、未だ独身貴族を気取って居る我が弟にどうかとも思って居ると言うのに吾輩が先に抱いてしまっては都合が悪いでは無いか。」
「すみません、失礼致しました、私の事をそこまで考えて下さったとは知らず、この様な。」
しかし、役者に成りたいと言う程の事は有りかなりの器量良しであったし、歳に見合わぬ不思議な魅力があったので、ムラムラと来なかったと言えばウソにはなるが、そう言った物は帰ったら妻に全て向ける事にした。
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一方其の頃、-ロシア-
「同志書記長、遂に完成しました。」
「よし、では早速量産に入れ、兎に角急げ、すぐに導入するのだ!」
「は、畏まりました。」
「ふっふっふ、尻の青いサルめ、目にもの見せてくれる。」
レーニンは何かを企んでいるようだ。
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‐同時刻、対馬県‐
「第二陣攻勢準備が完了しました、機甲部隊八個師団、自走砲科部隊五個師団、重装歩兵隊及び装甲車両隊各十二個師団、回転翼機隊一個師団、本部連隊大隊本部、全て滞りなく、進軍可能であります!」
次席指揮官が指揮官への報告を上げた。
「よし、傲慢なロシアの鼻を叩き折りに行くぞ! 出撃!」
重装歩兵隊標準装備のアサルトライフルは、前期型の問題点を改善しジャミングを飛躍的大幅に減らし、しかも冬季攻勢にも耐えうる寒冷地仕様の新型、零二式自動小銃であった。
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数時間遡り、対馬県
「この対馬県は戦場になるかも知れんから疎開せよと兄上に言われはしたが、いささか心配性過ぎるのでは無いかなぁ・・・」
独り言を言いながら荷造りをする修一の弟、益田太郎冠者であった。
「まぁしかし、兄上が百万石の旧加賀藩たる金沢に新しい事務所と役者達の宿舎や撮影所まで用意して下さってるようだし、加賀は旨い物が多いと聞くし、楽しみでは有るが・・・」
独り言を続けつつも、意外と楽しそうである。
そこへ、通されてやって来たのは海軍の下士官。
「失礼申し上げる、益田少将が弟君とお見受けいたします、御迎えに上がりました。」
「ああ、ありがとう、支度も粗方整った所です。」
「それでは、当補給艦へご同行願います。」
「ああ、私以外の疎開者はもう全員集まったのですか?」
「はい、既に乗艦されて居ります。」
こうして、対馬県を一時引き払い、高速補給艦によって翌日正午前には金沢港へと到着するのであった。
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益田太郎冠者と、劇団員、そしてMASUDA対馬工場の工員達の第一次疎開者が金沢港へ降りると、修一が出迎えた。
「よう、待って居ったぞ。」
「兄上、まさか此方においでになって居るとは聞いて居ませんよ、仕事は良いのですか?」
「ああ、気にするな、それよりもお主に預けるつもりで用意したものがいくつかあるのでな、それを渡す為にこちらに来ておったのだ。」
「私に預けるものですか? すでに事務所や工場、劇団員や行員の宿舎などのカギは全てお預かりしたはずですが?」
「いや、此方に急に疎開しても色々困るだろうと思ってな、これを用意させて貰ったのだ。」
と言い、吾輩は用意して置いた弟のこちらで使う自動車、工員の送迎用のバス、劇団員用のバスを見せびらかす。
「兄上、何も此処までされなくとも。」
「いやそうも行かんだろう、金沢と小松では割と距離がある、宿舎は便利な金沢に用意したが工場や劇団の練習施設等は土地の安い小松に用意した方が楽だったのだ、移動手段が無いと困るであろう?」
「そこまでお考えになって下さったのですか、流石は兄上、感謝してもし切れません。」
「それだけでは無くもう一案件あってな、そちらが無ければ吾輩はここで待つ事は無かっただろう。」
「それはどう言ったお話で?」
「うむ、昨夜此方の和倉温泉にて宿泊した際に夜の盛り場にてある事件に巻き込まれたのだが・・・、娘、出て参れ。」
弟用に用意した車の方を向き、手を上げて呼びかけると、助手席から降りて来たのは昨晩の娘である。
「兄上、此方の女性は?」
「この娘がな、昨日、身売りされそうな所を逃げ出して吾輩にすがって参ったので保護した、すると驚いた事に役者を目指して対馬県へ参りたいと言うので、この時世に良い覚悟を持って居ると思ったのでお主に引き合わせてやろうと思ったのだ。」
「そうですか、良いでしょう、私が預かりましょう。」
「しかもこの娘はお主を非常に尊敬して居るようだったので、器量も良いし幾歳か後にお主の嫁にも良いのでは無いかとだな。」
「よして下さい兄上、私は未だ当分結婚する気は。」
「何を世迷言を言うか、父や母ももう若くは無いのだぞ、安心させてやるのも親孝行では無いか? ましてお主も好き勝手やって帰って居らぬだろう、たまには顔を見せてやったらどうだ、今は吾輩の箱根の別邸の離れに引っ越して以前の屋敷は引き払っている、一度顔を出せ。」
「判りました、この娘を預かるのは承諾します、それと兄上が仰るのならば、一度実家には伺わせて頂きます、兄上には頭が上がりませんしね。
ただ、未だこの娘も子供ですし、結婚に関しては未だ当分の先ですよ?良いですね?」
実は以前、弟は板倉貞と言う史実上の妻になる女性との縁談が有ったのだが、吾輩よりも先に嫁を取るのは尊敬する吾輩に対し不敬だと言い断ってしまい、そのまま吾輩の誘いを受けて対馬県へと旅立ってしまったので未だ独身を貫いて居たのだった。
そしてその縁談を蹴った事がきっかけとなり両親に顔を出して居なかったのである。
「あの、私、益田様ご兄弟の事は大変尊敬しておりまして、冠者様の劇団へ参加させて頂きたく願って居りました、小林正子と申します。」
名前もまだ聞いて居なかったが、その名を聞いて驚いたものだ、この娘は後の名女優、松井須磨子であった。
それにしても史実と少々経緯が違っている気がするのだが、もしかすると吾輩が弁財天と同一化をさせてしまったリリスが悪戯でもしたのかも知れん。
この数年後、弟と彼女は結婚し、僅か2年程の結婚生活の後に離婚する事に成るのだが、それは未だ吾輩も与り知らぬ事であった。
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