第58話 映画会社設立

           映画会社設立

 1901年 1月

 どうしても航空機の実用に伴って不足して居る部分を吾輩が今月より参戦する事で補おうと言う事になって居る。

 航空機よりも先に吾輩の為に作るだけのつもりだったヘリコプター、所謂今の時代で言う所の回転翼機が先に完成してしまったのが原因と言えよう。

 しかも戦闘ヘリを作る羽目になってしまったのだからそれも仕方の無い事かも知れん。

 ヘリに関しては引き続き開発は進めていて、多目的ヘリとして、自衛隊のUH-1をモデルにして似たような形の物と、輸送用のツインローターを同じく自衛隊のCH-47をモデルにして居る。

 ツインローターに関してはオスプレイをモデルにして可変プロペラ機として開発を進めると言う手も有るのだが、それはそれで此方の航空機として開発を進めても良いのでは無いかと思って今の所は封印する事にした。

 因みにオスプレイは誤解されがちなのだが、機体のせいで墜落して居ると言う事例は実はジェット機よりもずっと少なく、優秀な機体なのだ。

 あれは、特殊な機体であるが故に通常のパイロット育成練度では間に合う訳も無いのであるが、そのパイロットの育成が不完全で起きている事故が殆どなので、運用する側、つまり合衆国空軍の訓練体制に問題が有るだけなのである。

 事実、自衛隊に配備されたオスプレイが一度も大きな事故を起こしていない事が何よりの証拠である、航空自衛隊のパイロットの練度は世界でもおそらくトップでは無いかと言われて居る。

 脱線したが、折角ガスタービンエンジンが小型化に成功して居るのだから、このままターボプロップに進化させれば大型機に繋がる、輸送機や大型爆撃機の開発には確実に必要となる、この機会に是非作ってしまいたい。

 航空機開発部門に久々に顔を出すと、開発チーム上げての大歓迎であった、余程何かどうにもうまく行かないような部分があって躓いて居たのだろう。

 だが吾輩がこの部門の開発に加わる以上、4月迄にはどうにかしてしまおうと思うのだが、果たしてどの程度スムーズに開発が進んでくれるだろうか。

 今一つ速力が足り無い為に単葉では不安定になりがちと言う事なのだが・・・エンジン的には問題は無い筈である、先ずは何処に問題が有るかが重要であろう。

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 公営八幡製鉄所が、本来よりも1.4倍の規模で完成、今月から稼働を始めた、これによって船舶建造に必要な金属類が大量に不足して居たものが一気に解消出来る、今までは大半を精製した金属として海外へ発注して取り寄せて居たので効率が悪かったのである。

 船舶に必要な物が全てカバー出来るようになっただけでもヘリや航空機用の物を作る為の金属を手配するのが楽になろうと言う物である。

 此方は完全に機密なので、海外で型を作る事は出来ない為に益田鉄鋼、雲伯鉄鋼合資会社(元たたら製鉄)の2社で成型するしか無いのである。

 2月

 結局、原因は単純な事であった。

 剛性に不安を覚えた開発チームが骨組みの鋼材を、酸化アルミのハニカム構造から、鋼の中空デュアルパイプフレームに変更した事による重量の増加が最大の原因だったのだ。

 鋼では弾力も生まれにくい為に、旋回能力にも問題が発生して居たりもしたのだった。

 良くこれを試験飛行して墜落しなかったなと思う程に過重量で柔軟性の無いガッチガチの骨組みになって居たのである。

 柔軟性が無さ過ぎた場合、旋回時の遠心力等で機体がボッキリと折れてしまう可能性も有るのだから恐ろしい勘違いであったと言えよう。

 ちなみにどの程度までアルミが使えるかと言うと、大型旅客機でさえジュラルミンと酸化アルミで機体が作られて居る程であると言う事だ、どちらもアルミの柔軟性が必要不可欠と言う事を示しているだろう。

 まあ、とは言うものの、平成後半頃にロールアウトしたボー〇ング社の最新鋭機ではボディー素材をカーボンナノチューブの繊維で編み込んだ機体であったのでいつかはそうなって行く事だろう。

 又も脱線してしまったが、一から新しく図面を起こし直して完全に新しくする必要性まで出て来てしまった、この部門は目を離すべきでは無かったかも知れない・・・

 序でと言ってはなんだが、この機会に輸送機用の大型機の図面も引いてしまう事にしたのだった。

 兵站が重要なのは何時の戦争でも同じなのだ、補給を絶たれなければ先進兵器が盛りだくさんの我が軍は負ける事は無いのである。

 月末頃には、多目的ヘリが完成を迎える事と成った、戦闘ヘリが先になってしまった為に非常に簡単に完成へと辿り着いたようである。

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 1901年 3月

 弟より連絡が来る。

 手紙の内容は、漸く良い役者が育ったので、それを宣伝してやりたいのだけども何か良い手は無いかと模索して居た所、吾輩が以前に作った銀塩フィルムを応用して作られた映像フィルムと言う物を見る為の映写機なる物が有るらしいので是非に映画と言う物を撮ってみたい、そしてそれを上映する場所を作りたいと言うでは無いか。

 本来、史実では吾輩は死産であった為、益田家の長男となる筈だった弟である、なのであいつの願いは聞いてやりたい。

 死産する予定で有る所にサタンが目を付けて吾輩を逆行転生させたのだ、本来の歴史では長男(と言うか一人っ子)となる筈だったのが次男になってしまった事で色々迷惑を掛けている気がして成らない、これは負い目でしかないと認識している。

 早速、撮影カメラと映写機を・・・これに関しては吾輩は手が回らず作って居ないので取り寄せた方が早いので取り寄せて送ってやる事にする。

 そしてこの手紙を読み終わった時、吾輩はカラーフィルムと、磁気録音テープを作る事を決めたのだった。

 映画はモノクロより圧倒的にカラーの方が当然良いのである。

 弟の為では有るが、これは日本の伝統芸を含む芸能文化の為に必要不可欠なのだ。

 以前に招待に応じてくれた歌舞伎役者の面々、浪曲歌手、演歌歌手等との約束の為でもある。

 まぁ、もしかするとカラーフィルムより先にテレビが実用になってしまいそうな進捗具合なのだが・・・

 何故ならばつい先日、第1号のトランジスタが出来上がり、これがまた実用に耐え得る程の性能に仕上がったのだ。

 コンデンサの性能もこの所の技術力向上がかなり影響が出ていて、そろそろ新しい新型スパコンの基盤デザインを考えようかと思って居た所だったのだ。

 航空機部門は吾輩の引いた新図面によって又好調になって来たようだ、翌月には大型機の初号機も完成するのでは無いだろうか。

 これで心置きなく基盤デザインを考える時間も出来ようと言う物である。

 一応理論上の構成は考えて有る、配電図位は既に在るので映像発信機と映像受信機の基盤デザインも作らねばならぬだろう。

 ブラウン管とモニター基盤は、既に個人用電算機用モニターで使用して居る従来品でも対応が利くと思うので、後はテレビに関しては受信器と音源の関連基盤だけでも良いのだ。

 軍用の超長波通信機と短波通信機は既に開発に取り掛かる準備も出来ているので、同時進行で良いだろう。この調子で通信機器を進化させて行けば第一次世界大戦までにはデータリンクシステムを構築出来るかもしれない。

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 1901年 4月

 この所で、以前のコレラの流行を未然に防いだり、脚気の克服等の成果が表れてきたようで、着実に人口が増えてきた所為だろうか、食糧不足に成りがちになって来たようだ。

 これを踏まえて陛下に呼び出され、久しぶりに皇居へと来ている。

「久しいの、壮健であったか? お主、年はいくつになった?」

「は、陛下に置かれましても御壮健そうで安心いたしました。 小官は今年で28に成ります。」

「うむ、では挨拶はこの辺で良かろう、奥の儂の執務室へ付いて来るが良い。」

「は、畏まりました。」

 執務室に着くと、急激に陛下の言葉遣いは変わる、こっちがこの方の本性である。

「修一、わざわざ忙しい所悪いな。」

「いえいえ、陛下はも相変わらずにお忙しそうでは有りませんか、お互い様ですよ。」

「ふん、清国の馬鹿な野郎どものお陰で本当に忙しいわ、あんな規模でクーデターだとか勘弁してくれっての、しかも西太后まで誑し込んでやがったのには驚いたよ、全く性質の悪い事だ。」

「全くです、ですが、都合の良い装備の配備が間に合って居て良かったですよ、お陰で我が軍の被害は本来の4分の一・・・おっと。」

「そうだな、お主はこの後に何が起こるのかも知ってるんだったっけな。」

「ええ、まぁ、しかし余り喋るのもどうかとは思います。」

「まぁ儂になら構わんだろうよ、驚きゃせん、全部吐き出しても良いぞ?」

「ははは、それはご勘弁を。」

「時に修一よ、本題に入りたいのだが。」

「はい、どんなご用件で?」

「うむ、それがな、この所やたらに食糧不足が良く発生しててな、どうにも農業生産力の強化をせん事には人口の増え方が凄くてな。」

「追い付いてませんか・・・」

「頭の痛い事だよ。」

「もしかすると、小官の所為の部分がありそうな気もしますね・・・」

「どう言う事だ?」

「ええ、以前にコレラの流行を防いだり、脚気の原因を突き止めたりして死亡率が大分減って居る様なので、実際よりも既に人口は増えてしまっているのでは無いかと言う所なんです。」

「ふむ、では田畑を増やすとか、収穫量を上げるとかを出来ないか?」

「う~ん、出来ない事は無いとは思いますが・・・あ・・・」

「出来るのか?」

「出来るか出来ないかで言えば、小官自身には出来ません、ですが、農業者達が向上心を持ってくれさえすれば、新しい時代の農業を確立出来ると思います、小官にはそのお手伝い位ならば出来ると思いますが。」

「そうか、ではお主に頼んで正解だな、頼んだぞ。」

「は、拝命致します、農業補助機器の作成及び、農地開拓の為の重機の用立て、新肥料、農薬の開発、全てお任せ下さい。」

「で、折角来たのだ、茶位飲んでから帰れよ、お前は頑張り過ぎだ、もう少し肩の力抜け。」

「そうですか?十分に好きな事だけしかしてないと思うんですけど・・・陛下が仰るなら、ティータイムをご一緒させて頂いてから帰るとしましょう。」

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 1901年 5月

 最近、ロシア第一艦隊がやたらに対馬県へちょっかいを掛けて来るらしい、いよいよ、少し早いが動きがありそうな予感である。

 露仏同盟も成ったようである。

 そんなさ中に吾輩が設計して居るのは戦争とは一見まるで関係なさそうな、トラクターと、それ用の装備品だった。

 耕す為の回転鍬、収穫用の刈り取り機構、田植えの為の植え付け機構等の、脱着型連動ギミックだ、これが出来ればもっと広大な土地を使った農業が出来、当然収穫量も大幅に上がる、収穫量が上がれば当然ながら食糧不足は解消され、兵站にもそれは反映するのだ。

 食料が無ければ籠城であろうと此方が攻めている立場であろうと関係無く、勝てる戦争も勝てないのだ、これほど重要な開発は疎かにするべきでは無い。

 最近は、大量に生産して余っている重機を使った開墾も手広く行い始めているので、この開発も急ピッチで行って居ると言う訳なのである。

 国策として開墾及び生産増を掲げているので、無償でこのトラクターと脱着ギミックを各地方自治体に配布する事になって居る、これは吾輩が自腹でする事に決めている。

 持てる者の義務として。

 肥料開発部門からも朗報が入る。

 リン、カリウム、窒素、カルシウム、マグネシウムの5大要素をバランス良く配合した肥料である、実はすでに見越して以前より研究部門を設けていたのだ、この配合歩合を突き止めるのには2年近くも掛かったのだが、その配合肥料がとうとう完成したのだった。

 因みに読者の方々は”ひゃくしょう”と言う言葉を知って居るだろうか?

 令和になる前、昭和後期頃にはすでに放送禁止用語であったり差別用語として使用を禁止された単語である、農業従事者を指す言葉なのだが、吾輩はこの単語の何処がイケナイのだと声を大にして言いたい。

 これに関しても諸説有る事は有るのだが、吾輩はこうであったのでは無いかと思って居る。

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 古来、”おひゃくしょう様”等と使われて居たこの言葉が悪い言葉である筈が無いのである。

 何がいけなかったかと言うと、それは江戸時代の腐敗した中央武士達のこじつけて当てた漢字が原因なのだ。

 その字がこれだ、”百姓”この姓の字がその腐敗武士共の宛がった字である。

 士農工商と言われる通り、徳川家康の作った身分制度では、武士の下に農夫、工夫、商人と言った具合で階級が下がって行く、つまり農夫は武士のすぐ下の位だったのだ。

 恐らく家康は、食料の重要性、兵站の重要性を良く解って居て、それを作る物が尊く無い筈が無いだろうと言う考え方であの階級を構築したのだ。

 しかも農夫は、たった一人で有っても、芋を作り、青菜を作り、米を作り、瓜も果実も作る、こんなに様々な物を一人で作れる物作りの匠は他には居ないのだ、そして、百と言う字には、数字として以外にちゃんと意味がある。

 百とは、”八百万の神々”という風に使われる通り、様々な、とか、多くの、沢山の、と言う意味があるのだ。

 従ってひゃくしょうの字は、”百姓”では無く”百匠”で無ければ成らないのだ。

 一人で様々な物を作る匠なのだ、一文字変わるだけでまるで別物に、偉大な人物のようになるだろう?

 これが何故そのような事になったかと言うと、恐らくこうであろう。

 # 武士は偉い、その偉い俺達の下に何であんな泥臭い農夫が居るんだ、可笑しいじゃねぇか、汚らしい奴らがそんな偉い筈がネェだろう。# と・・・

 そして本来宛がわれて居た字は、書き換えられる事と成ったのだ。

 税収に影響が出そうな説では有るのだが、中期には既に在った制度の五人組制とか、豪農を利用した下請け、平たく悪い言い方をすれば逆らわず逃げ出せない軟禁状態の農奴制度のような物か・・・、そう言った具合の制度を利用する事で吾輩の提唱しているこの説は説明できなくは無い。

 中央の腐敗武士としては、地方より半ば強引に集められる食品には余り困らないのでそこまで有難味を感じなくなっている上、商人を相手にしておけば、賄賂によって小遣いが懐に舞い込むと言った事も起因してこの農民への扱いの悪化が起こったのであろうとも推測する。

 これを吾輩は、これからも提唱して行くつもりである。

 この明治の世に、この、本来の字を正しく使用させるように直し、もっと農業従事者の社会的地位を上げるつもりで居るのだ。

 昭和後期、平成、令和と、農業は衰退して行く、それも目に見えて・・・これでは正直に言って、もしもその状態で戦争が起こった場合、日本は攻め入る敵に対して恐らく1年戦えるかどうか、いや、恐らく1年もたないのだ。

 兵站の重要性はこの辺りに如実に表れるのである。

 実際に第二次大戦を戦い切れずに敗戦したのは、原子力爆弾の登場が最大の原因とは言われて居るが、それ以前に、もしあの邪な大量虐殺兵器が出現せずとも、日本の食糧事情は既に後半年も戦えなかっただろうと言われて居るのだ。

 野菜は、米は、もっと高価で取引されねば成らない、フェアトレードを実現する為には、”百姓”を”お百匠様”に戻す必要が有るのだ。

 長く脱線してしまったが、現実にそうなのだ。

 家を継いで米や野菜を作る者達が目に見えて減って行けば、日本は世界に食われるのだ。

 これを読んで居る令和の時代の若者達には良く噛み締めて頂きたい。

 食料の大切さ、それを作る者達の尊さを、認識して欲しいと切に願う次第である。

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 1901年 6月 モスクワ

「同志書記長、どうか御慈悲を、次こそ必ず!」

「煩い蠅ですね、一矢すらも報いる事も出来ない様な無能は開拓送りに決まって居るでしょう、一生奴隷として使い続けてやるから精々反省する事です。」

 相変わらず粛清を続けるレーニン。

〖それにしても目の上のたん瘤ですね、既にお飾り程度でしかない皇帝等やはり暗殺してしまいましょうか・・・ 労働党の結成員を集めてなかでも過激派思想の者を・・・・〗

 こうして、史実よりも13年早くボリシェヴィキを招集し始める事になるレーニンであった、中身は別人なのだが・・・

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 1901年 7月

 日本初・・・いや恐らく世界初の、娯楽用としての映画会社が設立された。

 弟の立ち上げた、益田映像である。

 対馬県に撮影所が建設され、役者6人、カメラマン2人、監督、プロデューサー、ディレクター兼経営者として弟、と言ったような小規模では有るが、これが映画の発祥となる。

 大衆娯楽の映画がついに世界に産まれた訳である。

 モノクロで有るのは仕方が無いが・・・

 吾輩としては、対馬県はハリウッドとラスベガスのような一大娯楽都市にしたいと思って居る。

 2人目の子が産まれた、男の子であった。

 男児は余り体が強くない場合が多いのだが、非常に威勢良く泣く元気な子であった。

 我が家は、元々明るい家庭にはして居たが、まるで家の中に太陽でも入って来たかのように明るくなった。

 ん?何だかこの感覚何処かで・・・

 名を考えようと思い、寺に名付けを御願いしようと思って居ると、妻に否定された。

 吾輩から一字を取り与えたいので寺には頼らないと言うのである。

 結局妻の一声のお陰で、修輔(しゅうすけ)に決まったのだった。

 益田修輔、うん、語呂も悪く無いので良いのでは無いかとは思う、妻がこれで良いと言うので敢えて姓名判断はしない事にした。

 折角の跡取りである故、健康に育ってくれさえすれば良いと思う次第である。

 因みに最近、一知花は本当に良く喋るようになった。

 妻は、吾輩によく似て聡明な子だと言う、喜ばしい事である。

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