第54話 介入戦争

          介入戦争

 1899年 7月

 ボリビア他民族国アクレ州にブラジル軍が攻め入った。

 南米各諸国とは既に貿易関係を築いて居た我が国に、自動車にタイヤ及びファンベルト等の自動車部品用にゴムの供給の為の貿易をして居たボリビアより、支援要請が届いたのだった。

 ブラジルともコーヒーを取引しては居たが、この戦争は侵略戦争に値するので容認は出来なかった。

 史実では我が軍は参戦しないのだが、今の最先端先進国である我が国は自動車生産量も輸出量も世界トップで有るので勿論タイヤの生産量も非常に多かった為に介入を決意したのであった。

 海軍揚陸艦隊と陸軍機甲科部隊、重歩兵部隊を向かわせつつ、帝国政府がブラジル国へと侵略戦争の停止を要請、要請に従わぬならばボリビア側に付き介入すると言った内容の声明を出した。するとブラジル側からは、コーヒー豆のフェアトレードもして頂けない国とは国交を途絶、豆の供給も停止し全面戦争も辞さないとの返答が帰って来たので、機甲科旅団4旅団、重砲旅団4旅団と重歩兵11旅団を乗船した揚陸艦隊を結成してボリビアへと上陸する事を決定する。

 そもそもフェアトレードして頂けないだと?

 ふざけるのも大概にして頂きたい、他所の国と比べたら、大日本帝国は倍以上程の額を出して購入して居るでは無いか、着け上がるのも大概にして貰いたいものだ。

 急ピッチで生産された新型戦闘車両と新型大砲の初陣である。

 この時実は、ブラジルは合衆国へと介入要請をして居たが合衆国側はこれを無視、合衆国は事前に日本政府より不介入要請を受けていたのである。

 結果、史実では4年程続いた戦争であったが、圧倒的な戦力差で僅か5か月でブラジル国が戦争の放棄をする事と成る。

 この後、ブラジルは日本を脅威としてみなし、日本へ対する一切の戦闘行為を放棄、ブラジル政府は日本政府に対し謝罪文を発行するに至る。

 だが、このブラジル政府の決定は国民感情を酷く煽ってしまう。

 ブラジル国内では各所で暴動や反政府運動が起き、内紛が勃発してしまう。

 そこに目を付けた合衆国は、内紛の仲裁と言う大義名分を盾にこれを統制する為に動き、実質ブラジル国は合衆国の属国となる運命を辿ってしまうのだった。

 一方、日本の介入によって勝利を収めたボリビア政府は日本国に対し、感謝の意を述べると共に、日本軍の駐屯を要請するに至った。

 同盟関係を築いたが、対等の関係とはならず、実質日本国の庇護下にある属国と言う形を取りたいと言う事になり、大日本帝国の駐屯部隊は英雄扱いを受けるも駐屯部隊はその扱いを良しとせず、普通に扱う様にと言う謙虚な姿勢を取る。

 これこそが古来より日本人の美徳と言う物である。

 その後、修一の出資で学校が建てられ、一般市民や貧民街の子にも教育をと言う政策を打ち出す事になる。

 この学校はMASUDAと益田化学、益田ゴム、益田石油、益田貿易の益田グループ出資の無償教育学校としてボリビアに定着、日本語の授業も行われ、特に理系に強い子は飛び級が許され、自動的に日本留学や日本企業、益田グループボリビア支社等への就職が有利になると言う特権が認められて居た為、一層この学校への入学を求める国民が増える事に成ったのであった。

 その後、修一の提唱した、”歪みの無い正しい教育こそが世界を動かす原動力となる”と言う考え方は世界的に徐々に浸透して行く事に成るのだがそれは又別の話である。

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 同月-日本-

 この年この月、日本電気(後の〇EC)が設立する年だったのだが、日本電気は実は兵科技研出身者達が集まって立ち上げた為に、益田修一をこの会社の代表に据えようとしない筈が無かった、自動的に修一に代表取締役社長へ就任の依頼が届いて居た。

 当然ながら修一に設立に当たる資金の提供を求める為に彼らが仕組んだ事であるが、それによりまた修一は出資する羽目になって居た。

「どうでしょうか、益田准将閣下、お願い出来るでしょうか?」

「まぁ良いともよ、良いのだがしかしな・・・

 確かに金など幾らでも有るので幾らでも貸してやって構わんのだが、吾輩を代表取締役社長と言うのが少々納得がいかない、そんな重要職に置かれても吾輩は新技術の開発に忙しくて何も出来んぞ?」

「ええ、ですからお飾りで構わんのです、しかしお飾りと言ってもちゃんと役員報酬は出しますのでお借りした資金はこれで少しづつお返しする形に出来ると思います。

 今世界は家電ブームの真っただ中です、今起業すればまだ十分に世界企業へと名乗りを上げられる筈なんです、今しかないので何とかお願いします。」

「CEOでは無く会長職と言う形で実務が発生しないオーナー的な立場でと言うなら名前を貸してやっても良い。」

「有難う御座います、准将閣下、早速そのように手配します、出資の件、有難う御座います。」

 こうして日本電気が設立した。

 その凡そ15年後、世界初の家庭用パーソナルコンピューターも販売する事になったのだがそれは又別の話である。

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 今年はやけに出資が多いと、金は有るが処理に手間が掛かって仕方が無いとホトホト困った修一であったが、そこに〇井グループ会長がやって来る。

 今度は何の話だ・・・と思いつつお会いすると。

 日本には現在、全国規模の銀行がまだ帝国銀行位しか存在しなかった

(この辺は複雑なのだが、史実では〇井組と小野組の共同出資の〇井小野組合銀行と言う両替屋に毛の生えたような物だった日本初の銀行が国に半ば接収のような状態で第一国会銀行となり、枝分けして独立した〇井銀行が実質の国内初の個人資本の銀行として発足。

 その後、第一国会銀行と又しても合併を余儀無くされ帝国銀行となったが、そこも枝分けで何とか〇井銀行自体は生き残る。

 しかしまた国に取り込まれては元も子もないと言う事で、〇友財閥、〇田財閥にも声を掛け、三大銀行が発足、銀行協会、信用金庫組合等を設立し、競い合いながらも互いにこの個人資本銀行を守る為の組合の設立により、以後三銀と呼ばれ昭和の終わり辺りまでは大手銀行として親しまれたのだ。

 因みに帝銀は後の日本銀行である。)

 だが、吾輩の財力を見越して、個人資本銀行を設立し〇井銀行と肩を並べて競い合って頂きたいと言うのだ。

 何故そのような事をするのかと問うと、現在はに〇井銀行以外の個人出資銀行は無く、このままでは何時また帝銀に合併を仕掛けられるか判らない、競い合いながらも互いに守れる銀行協会を設立し互いに切磋琢磨出来る相手を探して居ると言うのだ。

 既に〇友、〇田両財閥に声を掛けてあると言うのでこれ以上の条件は無いと思う。

 吾輩は、一々出資を求める人物が尋ねて来るのも聊か面倒になって居た所なので二つ返事で承諾、益田銀行の設立を決めたのだ。

 これにより、史実の三銀は益田銀行を含む四銀となった。

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 更に同月-東シナ海‐

 史実では、フィリピン独立革命の為に反政府軍より注文を頂いた武器、弾薬を積んだ、布引丸(ぬのびきまる)と言う船が台風による大時化で海に呑まれ沈没してしまう・・・筈だった。

 しかし、例の輸出用に作って置いた半自動小銃を売った〇井物産は、修一からの忠告を真摯に受けた結果、最新鋭にして最大級の新造商船を使用する事にする。

 当然のように安定した超大型商船の巨体を生かせたようで、何の問題も無くこの貿易は成立、反政府軍への納品は滞り無く行われた。

 米西戦争肖って始められた独立戦争は、史実だと米西戦争のアメリカ勝利によってスペインの支配を脱したはずのフィリピンを待って居たのは独立では無くご主人様が変わるだけの事だった、無駄足に終わった筈の独立戦争であったのだが・・・

 現状では米西戦争はあっちはあっちで既に決着が付いて仕舞って居て、スペインはフィリピンの入植権をアメリカに打診するが、同盟国日本の意向を汲んだアメリカはこれを拒否し賠償金での清算を希望、独立戦争側は日本よりの武器弾薬の性能によりこちらも早期決着、こんな時代にアッサリとフィリピンは独立を成し得てしまったのだった、が・・・これをやはり爪を噛みながら静観して居たのがフランス海軍である。

 フィリピンの勝利はアメリカとの戦争で疲弊したスペイン軍がフィリピン軍の手にした日本の高性能武器のお陰で押し出されただけで原住民等我々ならばすぐに踏みつぶせると言う考えで、フランス艦隊の提督の単独の判断だけで突如攻め込んだのだ。

 流石にスペイン軍と正面切って戦ったフィリピン人は、疲弊して居た。

 陰で支えてくれたアジアの超大国たる日本へ、救いを求める事と成ったのだった。

 こうなってしまうとやはり放っては置けないと思う気の良い方なのが陛下である。

 1899年 11月に、海軍を差し向けるのだった。

 こうなると一溜りも無いのはフランス軍である。

 只でさえ船速でも叶わぬ相手が艦隊で現れた訳である。

 大急ぎで撤収して逃げ出すも、その揚陸艦から護衛艦迄、片っ端から撃沈されて行く。

 辛うじて白旗を上げた旗艦だけが、沈まずに拿捕され、捕虜となったのである。

 この時のフランス軍旗艦艦長は、大砲も然る事ながら、海中を走って来る謎の新兵器への対応がきかなかったのが敗因だろうと語っている。

 この事件が切っ掛けで、フィリピンは独立するも、日本軍の駐屯を熱望、日本が実効支配をしないと言う噂は既に広まって居た為、属国となる事を自ら希望したのであった。

 そうなるとやはりここで教育を正したいのが修一、やはり学校を作る事になる。

 こうして、修一が各属国に作った学校には、創立者として、准将の階級章と様々な勲章を付けた修一の姿が銅像となって建てられる事になったのだが、本人はいつの間にそんな事になって居るのを全く知らないのであった。

 しかし修一も何となく気が付く事態が起こる。

 横浜の自宅近くの自分が作った小学校が、是非に朝礼で演説をして欲しいと熱望して来たのである。

 近いので良いだろうと二つ返事で了承した修一は、当日、自分が銅像になって居る姿を目の当たりにして顔から火が出る思いであった。

〖何なのだこれは!学校に立って居る銅像と言えば二宮何某では無いのか?! 何故吾輩なのだ!くそう、何たるマッチポンプ!何だってこんな事になって居るのだ!〗

 二度と呼ばれても行くもんかと思ったのである。

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 1899年 10月

 一歩間違えたらかなり早めの雪でも降るのでは無いかと思われる程に寒い日、遂に我が第一子が誕生した。

 女の子であった。

 予定日より1週間ほど早産で有った様に思えるが、未熟児と言う事は無く、妻に似た可愛らしい子であった。

 妻は吾輩に似て居ると言うのだが吾輩は妻に似て居ると思う。

 これで言い合いになって初の夫婦喧嘩、とは成らなかった、吾輩が引いたからである。

 吾輩は前世からそのまま記憶を持って生まれた為実質2回の赤子時代は経験した事に成るが自分の子は初めての経験で有るので嬉しさもひとしおで、つい涙が出てしまった所を妻と妻の世話をして居るメイドに思いっきり生暖かい目で見られてダッシュで部屋から飛び出した始末である。

 その直後、忙しさにかまけてしまい、すっかり名前を考えて居なかった事に気が付いた吾輩は早速名前を考え始める。

 書斎にて必死で考えて居たのだが、そこへ、イリーナがやって来た。

 ノック音の後、「先生?いらっしゃいますか?お子様、おめでとう御座います。」

「ああ、居るよ、入りたまえ、今丁度、子の名前を考えて居た所だ。」

「やはりこちらでしたか、多分先生の事ですから、お忙しすぎて未だお子さんの名前を考えて居ないのではと思って居た所ですよ。」

「ははは、流石にイリーナには隠せなかったか、君とも長い付き合いであるからな。」

「そうですねぇ、では私の前世の名前から連想してお考えになってはどうでしょうか?

 あの子、今の先生と奥様の子ですから、将来飛び切りの美人になりますよ?」

「ふむ、中々思いつかなかった所だから良い提案だな、アイリーン・・・・愛、愛子、アイリーン・・・ん~、アイリス・・・は、アヤメか・・・花・・・10月で花と言えば・・・パンジーに、秋桜・・・桔梗・・・うーん、今一つだな、10月に咲いている花か・・・」

 独り言を呟きながら書棚の辞典を開く。

「ん?そうか、アカネ・・・どのような花だったかな・・・」

 独り言を呟きながら記憶の奥深くを探りアカネの花を思い出してみる。

 すると思いの外鮮明な画像として思い出せてしまう。

〖あれ?何者かが吾輩を手助けして居る様な感覚が一瞬あったが・・・しかしこの花、一輪一輪は小さくて頼りなさそうだが、ここ迄の房咲きだったか、ふむ、素朴で清楚な白い花でも房咲きだと華やかだな、うむ、これで行こう〗

「決めたぞ、茜(あかね)だ、我が第一子は益田茜だ!」

 そこへ執事がやって来る。

「旦那様、念の為ですので、姓名判断の出来る寺院を知って居りますので字画を見て頂いては如何でしょうか。」

「ふむ、それも一理あるな、いくつか出して置いて見て貰いに行こう。」

 イリーナに向き直して礼を言う。

「イリーナ、ありがとう、君の思うような名前には成らぬかも知れんが、何となく名付けのコツのような物は掴めた、感謝するぞ、後3つ4つ考えて明日この執事とその寺に足を運んでみようと思う。」

「いいえ、先生のお役に立てたようで嬉しいです、それと、留学期間が終わった後ですけど、ドイツに戻ったら政界を目指そうと思います。」

「未だ女性が出るのは時代的に厳しいと思うぞ、大丈夫かね?」

「ええ、前世からの知識と、此方に来てからの先生の教えのお陰で周りを言い包めて行くだけの知恵は付けられましたし、この分ですとあちらに帰ってから私が何かを開発する仕事についても既に先生が全部作っちゃってそうですからね。」

「ははは、違いない。」

 そして吾輩は、他に、一人目の子と言う事も有って”一花”、10月と思えぬほど寒く雪でも降りそうな日であったので”美雪”、後は前世でファンだった女優の名前を取り、”すず”と、”はるか”

 なんと不謹慎な事かとも思ったが、名付けなんてこんなノリでいくつか出してそこから選んでいくのが一番効率が良いのであろうと思われる。

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 翌日、執事の案内で寺院を訪れた吾輩は、まぁ神は嫌いだが仏ならばと思い一応少し色を付けた心付を用意して、住職に候補の名前と共に手渡した。

 一度診断をして来ると退席した住職は、戻って来ると最も上等な檀家の前でしか付けない紫の袈裟を掛けて戻って来た、心付の所為であろう、ちょっとやり過ぎたかな?

 茜、美雪、はるかの三つは絶対にダメだそうだ。

「一花、ですが、この名でしたら、間に知性の知を入れると素晴らしいです、こちらのひらがなですずは驚く程の良い画数と成るのですが、此方をご覧下さい。」

 と見せられた字画表の三才配置と言う欄に少々問題が見られた、画数による吉凶は全て吉なのだが・・・

〔自分の欲望のままに行動することに、疑問も羞恥心(しゅうちしん)も抱きません。社会運も実行力もあるので、欲しいものをどんどん手に入れます。

 相性の良い相手は地格の五行が「金・水・土」の人です。〕

 欲望のままに行動?しかもその事に疑問も羞恥も感じないっておい・・・

 これはある意味良すぎてまるでアニメの設定に良くある悪役令嬢のようでは無いか、それはアカン、あきまへん!

 そして結局、一知花(いちか)に決まった訳である。

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