第41話 冬季決戦

           冬季決戦

 1894年 12月 台湾

 高野房太郎、彼は史実では父の死後、横浜の叔父の家の手伝いをして起業資金を貯めていた、伯父の休止の後に渡米し、留学がてらに更に開業資金を集める為の商売をして居たのだが、この時系列では、一時的に書生として世話になって居た益田家の長男の才能に魅せられ、2人目の家庭教師を買って出た後、父が亡くなるが、実家には戻らずそのまま家庭教師を続け、〇井物産へ益田孝の誘いでそのまま就職していたのだが、この度自分の生徒でもあった益田孝の長男の益田一太郎改め、益田修一の誘いを受けて益田化学産業の雇われ社長として、ここ台湾に用意された工場へ訪れ、現地従業員へ顔見世をして居た。

〈凄いな、流石益田家長男の会社だ、廃工場であったとは言え、これだけの規模の物を用意して居るとは・・・商才は血を争えないと言う所か、ここで例の”使い捨て懐炉”とやらを作って帝国軍に納品すると言う事か、面白くなりそうだ。

 それにしても、家庭教師をして居た頃からやたらと賢い子で正に神童であったが、まさか今をときめく医療研究第一人者の北里さんが私を案内してくれるとはとんでもない交友関係まで築いて居るのだな、これは本当に大物だな、彼は・・・恐れ入るよ。〉

「ありがとう北里さん、これは修一君から君へと渡された荷物だ、何か知らんが確かにお預けしました、後はこちらの件は私にお任せ下さって、ご自分の研究にお戻りになって下さい。」

 こう言って彼は工場内部へと入って行った。

 かく云う北里柴三郎は、手渡された大振りの荷物を喜び勇んで抱え上げ、駐屯帝国軍陣地へと帰って行くのである。

 荷物の中身は、前話で少し触れた、電池式クーラーボックスである。

 そう、修一が勢いでやらかした発明品だ。

 このクーラーを作る為にリチウムイオン電池の開発を速めて実用段階にまで持ち上げてしまった為、完全にオーパーツレベルの代物、聖遺物とも言っても過言では無い物だった。

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 こうして益田化学産業有限会社は創業した、後に日本の五大企業に名を連ねる事になってしまうのだがそれは又別の話である。

 高野房太郎は、使い捨て懐炉に、商品名を付ける事にした。

 商品名:あったかいろ

 台湾人労働者を使い、どんどん生産した、生産した物は全て帝国軍駐屯基地へと運ばれ、どんどん前線へと輸送されて行くので、あっという間に台湾のトップ業績を叩き出してしまう事と成る。

 一寸失敗した物等を従業員が持ち帰るので、瞬く間に台湾の島内でも話題に成る。

 是非販売して欲しいとの要望を受け、益々生産を増やすと、島内でも大ヒットとなった。

 暖かい台湾とは言っても、やはり冬はそれなりに冷え込む事も有るのだ。

 材料は日本の〇井鉄鋼や〇菱重工業などの廃棄物となった物等を利用する為にコストは帝国軍にお願いして輸送して頂いている、送料が最も掛かるような状況で、その送料自体が補給に立ち寄る海軍が序でに持ち込むような具合なので大して掛からない、なので利益率も非常に良かった。

 瞬く間に工場の買収に掛かった金額は回収を終えて、創業より半年を過ぎる事には新しい工場が建てられそうな程の収益を出して居た。

 半年となると季節は変わってしまうのであったかいろでは無く、修一の新たな発明品の新型火薬、コルダイトNの生産に切り替わっては居たのだが。

 その頃には、自ら起業を考えて居た高野に、すでにそんな野心は無かった。

 むしろ自分で起業してもここまでの売り上げは期待出来ないと思ったからだった。

 この台湾は環境も良く、休日をのんびり過ごすにも適して居るのでまさに青天霹靂、この地で骨を埋めても良いと思う様になって居た。

 そんなさ中、台湾首相が彼を通して大日本帝国へお願いしたい事が有ると言うので、天皇陛下のご意見番まで務める、この会社のオーナーでもある益田修一を紹介する事と成る。

 この時、1895年 7月であった。

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 本編へ戻って、時は1894年12月

 寒くなり、攻めあぐねて居た朝鮮半島上陸部隊の元へ、補給部隊より新たな支給品が届いた、”あったかいろ”である。

 これによって、停滞していた戦況に大きな変化が現れる事と成った。

 清国軍兵もやはり今年の寒さには稼働率も下がって居たのだが、其処へ有りえない程元気になった帝国陸軍が攻め込んで来たのだ。

 寒いのは一緒で相手も稼働率の低下が有ると油断して居た所への大攻勢が起こり、何が何だか判らない内に、大日本帝国軍の世界最新鋭の装備と異様な士気で気圧され、成す術の無いまま撤退を余儀なくされる事になって行くのだった。

 帝国海軍は、順次交代で済州島にて補給しながら、朝鮮半島内陸部への砲撃を繰り返していた。

 済州島迄、台湾と本土から順次物資が届いて居た。

 兵站の輸送がしっかり確立して居るのも益田修一の提案によるものであった。

 日々の糧までも、益田修一の発明したレトルト食品のお陰で、焼き魚から豚の生姜焼き、カレー迄、軍の食糧事情も著しく改善していて快適である。

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 作者は大昔に自衛隊の缶めしや缶入りソーセージを食った事が有るのですが、炊き込みご飯はソコソコおいしく頂けたが缶入りソーセージは美味しい物では有りませんでした。

 ちなみに現在の自衛隊の野外食料は米軍のそれに近いレーションタイプになっており、味もかなり向上したと言う話は聞きます。

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 前世の自衛官になった友人のお陰でこう言った物も食べた事が有り、かつ独身生活が長かったが起業して結構な収入を得てミシュ〇ンの星を頂いて居る様な店を渡り歩いて居たお陰で舌が肥えた益田修一が監修した事で、野外食は大変美味しい物になっていた。

 企業で働くも軍に在籍して戦争するも同じ事で、環境が改善されて快適に動く事が出来るならば仕事率は何倍にもなるのである。

 朝鮮半島は、既に凡そ南側2割が大日本帝国へと落ちていた、これまでの戦争とは一線を画す異例の速さでの侵攻である。

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 その頃、横須賀海軍基地

 小官はリチウムイオン電池搭載の新型潜水艦の設計図を、西郷海軍大将閣下への引き渡しを行って居ると、北里君より帰国を知らせる連絡が入った。

 成果を聞くと、二つの病気の現況体を捕獲する事に成功したらしい、持ち帰り研究したいとの事だった。

 持ち帰る為にあのクーラーボックスを小官に注文して来たのだから余程の発見をしたのだろう。

 そしてその注文のお陰でリチウムイオン電池の完成が早まった訳だが。

 細菌研究の為に、性能を向上したPCも新たに完成して居る。

 伴ってOSも作り上げていた・・・かなりのハードな開発スケジュールだったと思う、我ながら無茶をしたものである。

 しかしまぁ、兵科技研へと入って来る研究者は増えて来たので、小官のする事は新人へ技術理論の教育を施す事と、新技術の理論構築、開発過程や最終的なチェックが殆どにはなって居たが。

 要は実際の開発作業過程の殆どは任せられるような立場にはなって居るのだ。

 お陰で今、小官が一人でコッソリ研究して居るのはガスタービンエンジンとジェットエンジンだったりする。

 ロケットエンジンはもうロールアウト出来ているし、ロケット用固形燃料も研究しているが、此方は時間が掛かるのでのんびりとやらせて貰って居た。

 村田殿が少将となり参謀本部へと入った事で兵科技研の所長は小官になっている。

 参謀本部が実は小官を煙たがって居た事は浩江ちゃんのお陰で知って居たので参謀本部との繋がりが出来た事は小官にとってもプラスになって行くだろう。

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 1985年1月、イギリスへ留学して居た小官の弟が、日清戦争開戦を理由に帰国したが、開戦を理由にするのであればもっと早くに帰って来るべきである筈なので、単に勉強に飽きただけであると小官は見ている。

 実家へ帰る前に港からその足で小官に会いに来る辺り恐らくは父に文句を言わせない為に頼って来た所が大きいのだろう。

「久しぶりだな、息災だったか?」

「兄上、お久しぶりです、兄上こそご病気もされて無いようで何よりです。」

「で、大体想像は付くが実家へ戻らず小官に会いに来たと言う事は、理由があってであろう?」

「ははは、兄上には敵いませんね、全て見透かされた気分だ。」

「お前は昔から勉強が嫌いだったからな、大方飽きて帰って来たのだろう?」

「やはりバレてましたか、でも、それだけでは無いんですよ、小生も間もなく成人なので、尊敬する兄上の幼名を頂けないものかと思いまして。」

 元々彼の名は益田太郎だったのだが、小官が死産せずにこうして生きて居るので小官が一太郎になってしまった為に次郎と言う幼名を頂いて居たのだが、彼は後に益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ)と名乗り舞台作家兼監督等を手掛けた、小官の前世では日本の現代演劇の父と呼ばれても可笑しくない人物なのである。

「とうとう来たか、では、一太郎ではおかしいので太郎でどうだ?」

「良いですね、いただきます。」

「だがそれだけでは無いのだろう?大方英国で盛んに行われて居る舞台演劇にでも魅せられて作家にでもなろうとか考えて居るのでは無いか?」

「兄上、其処まで読んで居りましたか・・・本当に千里眼でもお持ちなのでは?」

「何故とかそう言うのはどうでも良い、もしも作家を志すのなら、きっとお主が現代洋演劇の初めての日本人作家となるだろう。だから太郎の後に、冠を付けたら良いのでは無いか? 益田太郎冠者、如何だ、良い響きでは無いか。」

 まさか小官が名付けの親に成るとは思いもしなかったが、この辺りは史実を反映させる為にも代えない為に小官が名付けてしまった。

「益田太郎冠者・・・良いですね、兄上はセンスが良くて助かる、有難う御座いました。」

 その後実家へと送って行くと、小官をダシに言い訳を果たした彼は、父の仕事を手伝う事に成る。

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 1895年2月

 第二潜水艦隊の情報で、清国海軍が強引に港の封鎖をして居た機雷を除去に踏み切って出航しようとして居るとの情報が入った。

 が、此方も今までの装備のままでは無い、第壱、第弐艦隊は、重巡洋艦と大型戦艦に伊号弾の実装を完了して居た。

 即、距離と液体燃料の燃費が計算され、発射準備が完了した。

 益田修一は未だ実戦で使用するなと言って居たがここで使わずしていつ使えと言うか、これ程のタイミングは無いだろう、そう東郷平八郎はこの戦局に最適と読んだのだった。

 何せ目標は数千里ほど離れた大連軍港と天津軍港、この主要軍港である。

 第一艦隊旗艦の艦長を務める東郷平八郎は、こんな大きな筒のような物が本当に水平線の向こうで見えもしない敵軍港へまで届くかと、半信半疑では有ったが、かの神童の発明した新兵器、実際に彼の作ったこの艦の主砲の信頼性も知って居る彼としては、何としてもここは試してやろうと言うつもりで発射に踏み切ったのだった。

「距離に合わせた燃料の計算は良いようだな、照準は合って居るのか?」

「は、新型の経緯儀で計算しております、間違いありません。」

 どう言う仕組みなのかは解らぬが、現在の座標が小数点第三位迄表示されているこの不思議な機械に、大連港の座標を細かく指定して入力すると方角と距離が出るそうだが、不思議な物である。

 この箱の様な機械も益田修一の発明品だと言うのだ、何とも理解の不能な物である。

 だが、確かに船首を真北に向けた前提で何時の方角で有るとの表示と、距離の表示が出るのだ、羅針盤式計算機と言って居たが、本当に不思議な物である。

「よし、では伊号弾発射準備、照準合わせ!」

「は! 照準合わせ-!」

「照準よーし!」

「よし、では発射する、てー!」

「発射せよ! てー!」

 8本の伊号弾が火を噴いて舞い上がって行く、ドンドン上昇して狙った方角へ向けて水平線の彼方へと消えて行くと、次の瞬間、水平線の先の上空が夕焼けの様に真っ赤に染まる、暫くすると、相当の大きな爆発が起きたのであろう、まるで火山の噴火のような轟音が響いて聴こえて来た。

 東郷はこの瞬間、たった一つのボタンを押すだけでこのような大きな爆発が起きる事にちょっとした恐怖に似た感情を覚えた。

 これで何人の清国兵が亡くなったのだろう、何隻の船が沈んだのだろうと、背筋の冷える思いであった。

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 一方、清国側 大連港

 突然空から奇妙な4枚の羽根を持つ細長い弾が何処からとも無く飛んで来て、港湾施設と艦船を強襲したのだ。

 逃げ惑う兵、沈んでゆく艦船、燃え上がる港湾施設、正に何が起こったのか判らないうちに壊滅状態になったのである。

 たったの8発で驚く程の威力であった。

 炸薬に使われたコルダイトNの威力とその使用された量によるものであったのだが、そんな物が有るとも知らぬ清国軍には脅威以外の何物でも無かった。

 コルダイトNとはトリプルベース火薬で、プラスチック爆弾C-4にも匹敵する程の爆発力を保有し、扱いやすい為、21世紀でも大砲やアサルトライフルの装薬にも使われる火薬だ。

 それは清国軍が知らなくても当然ではある、未来人益田修一の齎したオーバーテクノロジーの産物なのだから・・・

 こうして、大連港と、同時に攻撃された天津港は、全面降伏を余儀無くされた。

 これで頭に血が上ったのは北京市の清国軍総督府であった。

 総力を挙げて朝鮮半島へと侵攻をして押し戻そうと考え、各地より兵を集め出したのである。

 しかし、その情報は、帝国軍情報部によって早速伝わってしまう、情報戦はこの時代最も大きなアドバンテージに成るのだ。

 この直後、伊号弾による北京市清国軍基地の強襲が提案されたが、益田修一による意見で、都市部砲撃に当たるので国際法違反に成ると指摘がされ、却下とされた。

 しかし既に警告が行わてれいる朝鮮半島内であれば強襲は可能であると引き付けてからならばと言う所で合意がされたのだった。

 因みにこの時点で情報部の調べた朝鮮半島内における清国軍の兵数は、以下の通り。

 正規兵:1万5千人

 清国民兵:4万

 元朝鮮軍寝返り義勇兵:1万

 清国軍侵攻の便乗暴徒、強姦魔等犯罪者:2万

 最後のが何故こんなに多いのかは日本人には理解し難い所では有るが兎に角大日本帝国へ救いを求めた朝鮮人民は居ないと言う事で都市部であろうと砲撃が可能となって居る。

 既に容赦の無い砲撃と掃討軍の北上が開始して久しいのだ。

 海上は帝国海軍と合衆国海軍により完全包囲されている。今更清国陸軍の支援軍がどれだけやって来ようとも艦砲射撃の前には無力であろう。

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 1895年3月、上陸部隊は、北緯38度線に到達し、尚も砲撃を続けていた。

 此処に北京市から徐々に大群が押し寄せている事は周知である。

 北京市が集結させた隊の数は、以下の通り。

 正規軍歩兵:2万

 非正規軍(民兵):3万

 重砲:二師団

 軽砲:三師団

 然し如何な重砲と言えど、艦砲の射程には敵わない、これは口径等の差もあり威力も段違いである。

 陸上で使用する重砲はどんなに口径が大きくとも12㎝がせいぜいである、人力で装填する事が可能な重量を超えてしまう為である、届くはずも無いのだ。

 この様な物がもしもまかり間違って戦艦に直撃しようとも穴の一つも開かないのである。

 我々からすれば、清国の大集結攻勢は正に無謀な自殺行為でしか無い。

 いい加減負けを認めてはくれないだろうか・・・

 情勢を兵科技研で情報部より聞かされた小官は憂いていた。

 念の為、帝国政府には清国へと停戦の申し入れを御願いして有るが、清国側からは今の所何も返答は無いようである。

 この国も好き勝手にやらせて置けば後の世で南京市大虐殺であるとかの捏造歴史を披露しかねないのだ。

 出来るだけ少ない被害で終わらせたいのだ。

 もう冬季で決着はついたも同然だったのだから、何故未だ食い下がるのだ・・・

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 合衆国は、とうとう帝国が売りつけた”新兵器”が帝国軍と同じ物では無いと言う事に気が付いたようである、何だか文句を言ってきたようだが、其処はその後に出来た新たな兵器で今はこちらが標準である等と適当な言い訳を用意して置いたので放って置く事にしよう。

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 最近では、小官に見合いの話が良く舞い込んで来るのだが、この見合い写真の捏造具合は如何にか成らんものだろうか、っつーか銀塩カメラが普及してからほんの数年だと言うのに何故修正技術がこんなに進化してるんだ!?

 誰だこんな余計な技術見出した奴は・・・

 取り敢えず付き合いも有るので見合い写真を頂いたら其方へは伺う事にしては居るのだが、化粧でうまく似せられて無いと言う事はどれだけの修正が入った写真だったんだよ全く。

 相も変わらず小官の元に来る見合い相手はエヴァン〇リオン参号機かと思う様なデカい女であったり、逆にゴブリンじゃ無かろうかと言う程のみすぼらしい妖怪や、以前パーティーで紹介されたのと同様なホバーやキャタピラーで移動しそうなのとか・・・

 ここまで来ると浩江ちゃん辺りが小官好みの見合い相手の写真が小官の手元に届くのを阻害して居るんじゃ無いかと疑いたくなる程である。

 また今回の見合い写真も、行って見たら何処に本人が居るのか判らない程に修正されて居るのかと思うと憂鬱である・・・

 見合い会場へ赴いて見ると、今回のはDrス〇ンプのア〇レちゃんさながらのチンチクリンだった・・・これがあの写真のような美女にどうやったらなると言うのだ、マッタク。

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