第36話 地震・避難・災害派遣

       地震・避難・災害派遣

 1891年6月

 小官も満18歳になって居る。立派な青年となって居る筈なのだが・・・いかんせん思った程身長が伸びなかったせいで、先日も二宮忠八軍曹に子供と言われてしまった・・・ちょっと悔しい。

 だが、まだ成長が止まった訳では無いのでこれからもっと伸びるのだと思って居る。

 肉体年齢的にも、最近は奇麗な女性が居たりすると目を奪われる事が多くなって来た。

 前世と比べてかなり容姿は良いらしいので、この辺で、前世今世を合わせて初めての彼女でも欲しい所だ等とも最近思う様になって来た。

 村田准将も、「儂の娘と懇意にして貰っても構わんのだぞ。」

 等と言って下さるが、一度もその娘さんを小官の前に連れて来た事は無い、きっと本心では嫁にやりたくないと思って居るのだろう。 一人娘らしいし・・・

 村田准将と言えば思う所が有る、本来史実だと、村田准将は、准将では無く、去年辺りに少将に昇進されて予備役となり、貴族院議員となって政界に進出されて居た筈なのだが、小官に付き合って兵科技研に在籍して居る事でむしろ昇進自体も遅れて居るのだ、ある意味申し訳ない事をしてしまった気がする。

 山田少尉に関しては、彼は大した特徴も無いが、とにかく真面目で、一所懸命に働いてくれて居る。

 少し前に、たまたま飲みに行った酒場の女性と良い仲になって結婚している。

 村田准将の副官に収まっている井上少尉の方だが、例の太陽電池の発明が更に研究が進んだおかげで功績が認められ、つい先日中尉に昇進、専用の工房を持つまでに至って居る。

 本多博士こと、本多軍曹は、学生時代から兵科技研へと通い続けた研究生であったが、小官の要請で昇進を果たし、今では少尉になって居る。

 問題は、この度兵科技研へ転属となった二宮軍曹だが、航空機が有人で飛んでいる所を見せられて、自分が発明者では無いショックから立ち直れず、辞めたいなどと口ずさんで居るので、毎日小官が励ましている困った状態である。

「二宮君、そんな所で一人で佇んで居ないで、小官の研究を手伝ってはくれんかね?

 誰にも教わる事無く自力で実際に飛ぶ航空機模型を作り上げた君には期待して居るんだから、そろそろ立ち直って欲しいのだが。」

「ああ、中佐で有りますか、その、私の自信を見事に打ち砕いたご本人が何か御用でしょうか。」

 このざまである、困ったものだ。

 誰か励ましてくれる女性でも居れば少しは気も晴れるのでは無いか・・・ふむ、そうか、小官も18になった事だし、酒場にでも繰り出して見よう、この兵科技研全員で。

 あ、この時代、成人は18だったのだよ、誤解の無いようにお願いしたい。

 早速、二宮軍曹歓迎会を兼ねた宴会を企画したのだが、あまり大きな宴会が出来そうな所が帝国ホテルか横浜の聘珍楼位しか無かった。

 今の兵科技研は横浜軍港から以外のアクセスは船を使うしかない、横浜にしようかとも思ったのだが、中華料理で宴会では油で胃がもたれる者も少なく無さそうだったので、ここは敢えて小型輸送艦にお願いして佃島辺りまで送って貰う事にした。

 兵科技研が帝国ホテルで宴会を行うと言う情報が何処かから漏れたらしく、何故か〇井財閥と〇菱財閥から出席を求めて上層幹部がアポイントを取りに集まって来て居た。

 まぁ、その辺は流石の財閥と言った所なのだろう、独自の情報網が有ると言う訳らしい。

 仕方無いので許可を出したのだが、これがまた良い塩梅に功を奏した。

 なんとご令嬢方が挙ってご出席為される事となるらしいのだ。

 兵科技研の若くして出世して尉官以上となる者は少なく無いのだ、恐らくご令嬢方にとっても申し分のない相手なのであろう。

 当然その中には小官も入る訳なのだ。

 少し楽しみである。

 いや、たまにはこのような会を開いて見るべきであるなぁと思う、これはこれで役得かも知れない。

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 パーティー当日

 初めは兵科技研ばかりのつもりだったので私服でと思って居たのだが、思わぬ事からご令嬢達も御参加頂けると言う事でここは全員制服での会場入りと言う事と相成った。

 小官も、又それまでの物も小さくなった事もあり、新しく新調したばかりの制服に袖を通して行く事とした。

 ちなみに今の小官は身長が154㎝だ、まぁこの時代としては標準より少し低い程度だろうか?

 この際なので今までに頂いた勲章は全てぶら下げて置く事とする。

 前世ではモテなかったのでここぞとばかりにモテたい気満々であった。

 小官の両脇には、航空機開発に重要な本多君と、今回の本当の主役の二宮君を置いて重要な人物であると言うアピールをする事にした。

 が、パーティー自体は立食スタイルにしてしまった為に初めの並びだけなのだが・・・

 しかし、見ている人はちゃんと見ているようで、小官自身も三菱のお偉い方から二宮君がどんな人物なのかを聞かれたりして居たのでやはり並びは大事だと実感した。

 山田君も何気にご令嬢方に声を掛けられたりしてご満悦のようだが、コラ、君には既に奥さんがいるだろう?

 井上君はここぞとばかりに太陽光発電の発明を得意げに話して盛り上がって居るようだ。

 小官はと言うと、むしろ会長職や社長職の方々が周りを取り巻いてしまった為に中々ご令嬢達と会話をするに至らない、うーん、一寸皆が羨ましいぞ・・・

 二宮君はどうかな・・・おお、上手い事チヤホヤされてるじゃ無いか、これなら大丈夫だろう。

「そう言えば益田君、君もそろそろ18だったか?」

 〇菱総裁からそんな声が掛かった、とうとう来た、待ってましたよそのフレーズ!

「ええ、ついこの間、満で18に成りました。」

「そうかそうか、では、うちの娘よりも大分年下なのだなぁ。」

 え?何その微妙な返答・・・

「それじゃあうちの次女なんかどうかね?」

 とは〇菱副社長。

 その背後に控えるご令嬢を見て一瞬動きが固まる。

 えぇ、まさかコレっすか?

 其処にはガン〇ムで、ジ〇ン側に出て来るド〇さながらの、少し色黒で巨漢な女性が・・・・。

 こう見えて日舞を嗜むらしいが、ホバーか?ホバーなのか!?と思ってしまった、つい・・・

「そうですねぇ、小官は未だ、結婚とかは考えられないと言いますか、暫く独身貴族を満喫させて頂きたいかなぁなんて思ってますので。」

 つい、こう口を付いてしまった・・・・

「そうか、残念だな、だがしかし、若いうちに遊んでおいた方が確かに良いだろう、無理強いはイカンかったね、スマンスマン。」

 ふう、危なかった・・・黒い三年生(笑)は勘弁です。

 黒い三年生の元ネタが知りたい方は検索してみるといいですよ。

 ふと気が付くと、二宮君は〇井の会長の外孫にあたるお孫さんと何処かへ・・・

 ふふん、うまく行ってるじゃ無いか、ああも落ち込んでた彼にはやはり女性が良い薬だろう。

 しかし凄い所を射止めたものである。

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 パーティーも一通り終了した所で、二次会の出席者を募ったが、二宮君はあのままうまく仲良くなれてしまったらしく、二次会への出席はせず、ご令嬢に誘われるままお屋敷へと招待されたらしい・・・すごいぞ二宮君・・・ハァ。

 二次会はと言うと、ご令嬢とあまり仲良くなれなかった連中が東京府有数の色街である吉原に行くか、下町の盛り場である上野もしくは浅草で女性が接客する酒場に行くかで少し揉めたが、折角なので下町に金を落としてやろうと言う事となり、上野に繰り出す事となった。

 上野の歓楽街は、小官の前世で見たものとは大幅に違って居た、むしろ新宿は歌舞伎町のような雰囲気を醸し出していた、非常に活気はある。

「中佐殿ぉ~! 此方です、此方が小官のお勧めの店で有ります! 小官がいつも利用している酒場です、可愛い姉さんが沢山居ますよ!」

 と、ハイテンションになった良く上野に飲みに来ていると言う部下に案内されて一軒のまぁ平成令和で言う所のスナックみたいな店に辿り着いた。

「あら~、いらっしゃ~い、今日は随分な大人数でいらしたのね、皆さんは同僚の方?」

「おー、菊ちゃん、今日は二次会なんだ、此方俺の上司、って言うか有名人だから知ってるんじゃねーか?噂の神童の益田中佐殿だよ。」

「え、本当に? やだぁ、中佐の事大好きな新人が入ったばっかりなのよ! あの子ついてるわね~!」

 小官の熱烈なファンだと? オカマじゃ無かろうな・・・

 等と警戒して居たのだが・・・

 店内に入ると、

「ウソ!こんな所で会えるなんて・・・」

 と言って涙ぐんで化粧室へと逃げるようにして駆け込む子が一人いた、恐らくあの子なのかもしれない。

 容姿は、まあ悪くは無い、むしろ髪型を小官の前世の時代風にアレンジしてフワッと仕上げたら恐らくこの店ではすぐにNo1に成れるんじゃ無いだろうか、髪型で損している感が有る。

 まぁ、この時代だしその辺は仕方ないかもしれないが、逆にそう言ったこの時代風の髪型が合わないタイプと言う事だ。

 言わば未来風の美女か。

 結局、彼女は半ば無理やり化粧室より引きづり出されて、先程のお菊姉さんに小官の隣で酌をするように申し付けられてガッチガチに固まって居た。

 前世の小官のモテなさ加減では絶対に体験出来ない感覚だった、そんなに小官が好きなのだろうか、完全にカラクリ人形のようなかくかくな動きになって居た。

 何はともあれ小官の事が好きなのだと聞かされて居たので、好き故のリアクションなのだろうとは認識出来たが、今まで女性のこんな反応を見た事が無かったのでこっち迄緊張したものだった。

 そしてちょっとドキドキしていたのは心の内に隠しておこう。

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 私はリリス、サタン様の追っかけをして居たんだけど、余りにもつれないし、サタン様のお気に入りに唾つけちゃおうと思ってこっちにやって来ちゃった。

 でも、彼ってば見るからに経験少なそうでウブな感じだったの、だからあえて、めっちゃくちゃウブな演技でもしたら良いかなぁ?って思って、色々調べた結果、彼が連れて来られそうな酒場に潜入成功したわ。

 そしたら見事大当たり、魔力で網張って粗方探ってたから予想通りでは有ったけど、余りにもピッタリに会えたからウケちゃって本性出そうになっちゃったから逃げちゃったわよぉ。

 緊張して何も喋れない演技、気に入って貰えたかしら・・・

 ってか間違いなく気に入ってくれたと思うわ、あの子、判りやすいわぁ。

 さぁ、これからどうやって誑し込もうかしら?

 お店ではお花の名前を源氏名で使って居たので、私の名前は桜(さくら)ちゃん。

 素朴で可愛いでしょう?

 帰り際に彼、又来ます ですって、ふふ、うまく行ったわ。

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 翌日

 兵科技研には活気がみなぎって居た、そりゃそうだろうな、幾人かは本物のご令嬢と多少なりともお近づきになって居たり、二次会、三次会で散々女性のお酌で楽しんで来たのだ、二日酔いで唸って居ようとも勢いは普段以上のものがある。

 問題の二宮君だが、やっと小官の元で航空機開発に邁進する気になって居るようだ、人間現金な物である。

 前回飛ばした壱号機は未だエンジンが未搭載で、ワイヤーにて、自動車で引っ張り強引に飛ばしたグライダーで有ったのだが、実はあの機体の鼻先にはエンジンが取り付けられるようにマウントが既に付いて居るのだ。

 これにエンジンを取り付け、燃料タンクを装着し自力で空へと舞い上がれるように仕上げる作業を彼にやって貰いたかった小官は、敢えてエンジンを取りつけていなかったのだから。

 やる気になった二宮君は、直ぐに作業に取り掛かり始めた、期待をしておこう。

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 あの後、小官は割とまめに上野に通って居た。

 いやね、何と言う事は無いんだけど、気に成るのだ、彼女は。

 本来あのような店で働くタイプでは無いと思うのだ。

 どっちかと言えば小官は惚れてしまったのかも知れないが、でもデートがしたいとか、そういう感情では無かったのだが、それでも彼女は何か気になって仕方が無かったのだ。

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 1891年 11月

 遂に7月よりエンジンを取り付けた壱号機は、動力自立飛行のテストの為水上機へと換装した状態で何度もバランス調整等を行って居た。

 結果、壱号機はあっさりと潰れて弐号機、参号機と、アルミ中空フレームで壱号をコピーした機体が悉く墜落したが、テストパイロットを買って出ている種田准尉は健在であった。良く無傷で生還できるものだ・・・

 縁起と厳を担いで肆号機を敢えて作らず伍号機へと移行、少しフレームにも手を加えたのだが、これが功を奏したか遂に自力で空へと上がり、空へと舞い上がる事に成功した。

 二宮君は飛び跳ねて喜んでいた。

 同時に種田准尉は、初めて動力を搭載した飛行機で空を飛んだパイロットとなったのだ。

 今後も、本多少尉をプロジェクトリーダーとして、二宮君がメインで航空機を発展進化させて行くと言う方針が決定した。

 この成功を評価した小官と准将が上に取りあい、本多少尉を大尉に、二宮君は軍曹であったが特例で少尉に、種田准尉も少尉に昇進させる方向で強引に捻じ込んだ。

 航空機を開発した貢献はそれだけ我々兵科技研では大きな出来事だったのだから。

 政府は今一つ事態の重要性を理解して居ないようだが・・・

 この、日本が世界に先駆けて有人飛行に成功したとのニュースは、予想以上の速度で世界中を駆け巡り、かの航空機に携わって居た人々の耳にも入った。

 ライト兄弟は、2例目の功を焦って墜落し、怪我の為開発を断念、リリエンタールも史実よりも少しだけ早く墜落死したのだった、ご愁傷様である。

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 1892年 1月

 最近何だか妙な胸騒ぎがする、何かを忘れて居たような、そんな胸騒ぎだ。

 だが、それが何なのかは思い出せない、だけども何か重要で、かつ非常に危険を孕む物である気がして仕方が無いのだ。

 嫌な予感は何時までも消えないので、何かの災害が起こるかも知れないと思いたった小官は、ウォーターポンプを開発、直ぐに実用へと押し上げ、これを装備したポンプ式消防車を開発、東京府内各自治区に3台づつは少なくとも配備させる事にして国会へ上申した。

 何故消防車かと言うと、大概の災害が発生した場合、東京府の下町等は特に密集した木造家屋軍が多かった為に火災が発生しやすいのである。

 そして火災は災害を加速的に大きな被害へと変貌させてしまうのだ。

 早急に通して欲しかったので、陛下に後押しを御願いしたのであった。

 陛下も快く引き受けて下さった。

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 1892年 4月

 神田で大掛かりな火災が発生する、史実では4000戸以上が焼失すると言う非常に激しいものであったが、ポンプ式消防車の配備が辛うじて間に合っており、各自治区より引っかき集められた消防車で消化した結果、実に被害は1000戸を下回り、800戸のみと言う結果になった、小官は一安心したが、それでもまだ何かが引っかかる、まだ何か危険が迫っている気がして成らなかった。

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 1892年 6月

 広尾に、日本赤十字社病院が開院した。

 小官の元にもこの病院を建てる為の寄付を求められたので一昨年、出資をして居る、北里君も全面協力を申し出てくれたので良い病院になったと思う。

 これで少しだけ小官の嫌な予感と言うか、心に引っかかるものは少しだけとれたのだが、まだ何かが足りない、もう少し、何か思い出せないピースが有るのだ。

 大変悩んだが、やはり思い出せないのだ。

 今年何かが起こるのでは無いか、其処までは辿り着いたのだが・・・

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 1892年 7月

 大日本帝国政府が、突然、史実には無い事を起こした。

 小官を神童ともてはやしたプロパガンダの一環なのかもしれないが、留学受け入れを公言し海外から優秀な子供を受け入れ始めたのだ。

 だが、小官にとって迷惑なだけでは無かったようだ。

 アメリカから、ジョージの名前で転生したマークがやって来た。

 そしてドイツから、イリーナの名で転生したアイリーンが来たのだった。

 まぁ、深層意識内で繋がりが有るので、日本に来ると言う事は事前に分かって居た、やっと再会である。

 彼ら二人に関しては小官の生徒に成るのは2回目だな。

 このちょっと面倒臭いが有意義な試みの傍ら、研究していたリチウムイオン電池の為のリチウムの高純度抽出が形に成って来て居る、もう少し純度が上げられないとリチウムイオン電池は発火しやすいと言う欠陥を持って居るので慎重に純度を上げて来た、後少しと言う所だろう。

 今の時代の技術力で良くここまで純度を上げられたと思ってはいるが、それでもやらねば成らない事なのだ。

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 1892年 9月

 兵科技研の職員達にもPCを活用させようと言う試みを始める事となった。

 小官の使って居るPC初号機から見ても、シリコンの純度も上げられるようになって来て居るのでもっと良いものが出来るだろう、磁気式記憶媒体も、どんどん精度が上がって来た、PCの存在が更なる技術向上に繋がって居るのだ。

 本多博士や二宮忠八辺りならば未だしも、他の職員にも宛がう事になって来たので、コンピューター言語を見直す必要が出て来た。

 此処はやはり、一文字当たりのデーター容量が上がってしまいはするが、日本語でプログラムが走るようにして見ようかと思う。

 こうする事で海外でのコンピューターの進化速度を従来道理と迄は行かなくともより従来に近づけた進化速度に抑える事も出来るかも知れない。

 今のシリコン純度でCPUを作ろうとすると、ペンテイアム4程度の物は、少しサイズが大きめだが出来ない事は無い所までは来ている。

 この程度のサイズアップならやらない手は無いだろうと思い、新しいサーキットをデザインする事にしたのだった。

 それにしても、ますます不安が大きくなって来た、何で思い出せないのかは知らんがこれはもしかしたら小官を妨害しようとする何かの見えざる手が原因では無いかと思うのだが、きっと間違いなく奴らのせいだろう。

 こんな浮かない気分の日は上野に飲みに行くのが一番だろうな。

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 1892年 11月

 震度3の地震が発生した事で、記憶の蓋が開いたらしい、恐らくこの地震自体、余震で有ったのだろう。

 そうだ、嫌な予感の辿り着く先は、12月6日の東京湾北部地震、M6.2である。

 くそう、何でもっと早くに思い出さなかったんだ!今の兵科技研は小官が提唱した大型艦船就航可能港を現実の物にする為に浅草や芝、佃島等陸隣接部を埋め立てる案を却下しての中央埋め立て案で実現させた埋立島である。

 当然、大型の地震が来れば、この埋立ててより日が立って居ない新地は液状化する恐れが有るのだ。

 それだけでは無い、もしかすると東京府に予想以上の被害が出る可能性は有るのだ、何故ならば史実のこの時代よりも今の東京府は潤ったおかげでビルのような高い建物はずっと多く成って居たのだ。

 せめて火事の消化支援だけでも出来るようにしよう、そう思った小官は、水上機に換装した状態の伍号機、伍号機からさらに進化させる為の試作機の陸号、質号、鉢号の三機も水上機に換装させると同時に、海水を掬い汲み上げ、火事上空で散水できるギミックを開発、何時でも取り付けが出来るようにして置いた。

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 1892年 12月6日

 ギリギリ四機分の給水散水ギミックが完成していた。

 そして小官達兵科技研は何時も通り普通の業務をこなして居ると、とうとう地面が揺れ出した。

 一部に留まったが、思った通り液状化が起こり、この埋立島からも避難を余儀無くされる。

 それと同時にテストパイロット四名には速やかなギミックの搭載の後東京府上空への火災情報収集並びに消化水散布が命令される事となった。

 練馬を筆頭に、南関東各駐屯基地からは、配備の後訓練もほぼ終了過程になって居る装甲車両による災害救助が訓練の一環として実施される事となったのだった。

 後日談、この迅速な判断と、航空機消火活動、ポンプ式消防車の配備が進んでいた為火災も迅速な消化で大事には至らず、死傷者も2桁で収まった。

 今回は何とかギリギリのタイミングで対応が出来たが、今後も似たような事が起き兼ねないので、小官は自分の知る前世の歴史上の出来事を覚えて居る限り文章にしておこうと思い、PCの文章作成アプリケーションをプログラミングする事にしたのだった・・・

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