第33話 有人飛行

           有人飛行

 1888年 5月

 急ピッチで造船をしていた潜水艦参番艦が完成、追々肆番艦も建造中だ。

 弐番艦、参番艦に命名をと御願いされた小官は、昇龍の弐番艦と言う事で、青龍にするか白龍が良いか、もしくは水龍にしようかと悩んで居たのだが、井上准尉に楽天的に

「青龍で良いんじゃ無いっすか?」と一蹴されてしまった。

 更に参番艦に関しても

「白龍で良いじゃ無いですか、カッコいいし。」とアッサリと・・・

 序でに四番艦まで、

「そしたら肆番艦は赤龍とかどうっすかね?」

 と軽いノリでアドバイス?されたのだった・・・

 何故そう思うのかと聞くと、清国との関係が徐々に悪化しつつある今、清国の風水の四神獣の一柱の青龍を名付ける事で共感を与えて関係改善に繋がるんじゃ無いかと言う。

 後はそのままのノリで色で良いんじゃ無いっすか?との事だった、何と安直な事か・・・

 いや、井上君、潜水艦の存在は未だあくまでも機密でどこの国にも存在を知られては居ないので名前も外には公表されないのだよ、それにもしも青龍と名付けた艦船が有ると知られればそれこそ逆に清国の感情を逆なでする事に成り兼ねんと思うぞ・・・

 結局、悩み抜いた結果、やはり他に思い付かず、青龍、白龍となった。

 神獣の青龍、そして白龍ならば縁起を担ぐ面でも、神の使いとされる龍と言う事で申し分ない。

 まぁ小官自身は個人的に例の一件で神は嫌いだが。

 続けて建造中の肆番艦の名前も決めてしまおう、肆番艦は事前情報で最も火力が高い艦となるらしいので、火龍、いや、その上位と仮定して炎龍としたのである。

 それにしても新海軍大将閣下は何も小官にそこまで依存せんでも良いと思うのだが・・・

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 航空力学教室の方にも動きが有った。

 様々なテストを経てデータを収集し続けて早3年にもなろう所なのだが、データは相当数が出揃い、物理学的視点からも何時でも空を飛べる単葉機を作れて可笑しくない状況であったが、どうにも成功例が無い。

 そこで、見守って行くつもりであった小官がついうっかり口を挟んでしまったのだった。

 昨年大学予備門へ入学したばかりの本多光太郎(ほんだこうたろう)博士を、小官がこの兵科技研の航空力学研究室へと召喚して居たのだが、この日本物理学の祖とも言える博士を引き入れるのは元より小官の狙いであったのだが、彼の質問にうっかり答えにほぼ近い物を答えてしまったのだった。

「鳥翼型で浮力が足りなければ、もっと面積の広い形にしたらどうだ?」

 あ、ついポロっと言ってしまった、察しの良い本多幸太郎博士に最大のヒントを出してしまった・・・もう少し独自に考えて欲しかったのだが・・・

「例えば、三角形とかですか?」

 ほら、やっぱりね、察しの良い柔軟な思考の出来る天才にそんなアドバイスしちゃったらそうなるよなぁ・・・

 三日後、未来の世でも見た事ある様な酸化アルミ製のパイプをあしらった骨組みが組み上がって居た。

 これに、ビニールコーティングをした布を張ってしまえば思いっきりハングライダーでは無いか、やっちまったな、これは・・・

 更に一週間後、飛行実験でやって来た相模野の小高い丘で、ハングライダーはとうとう飛んだのだった。

 世界初の有人飛行は動力を持たない三角翼、ハングライダーになった。

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 更に数か月後、自動車用の三気筒エンジンと座席、プロペラを装着し、翼を1.6倍のサイズにした、所謂モーターハングライダーが完成したのだ。この翼の技術の応用で、パラシュートらしき物も同時に完成している。

 日本物理学の父でありKS鋼の発明者の本多博士の名が、ここに航空機の父として初めて歴史に登場する事となった。

 まだまだ学生である彼がこの偉業を成し遂げたとして、勲二等を受ける事となる。

 そして彼を育てたとして小官の評価もますます上がって行くのだった、あまり目立ちたくは無かったのだが福沢君の書いた記事がそれを良しとしなかった・・・様々な歴史的人物と交流するのは悪くない事だがあまり親しくなり過ぎてもこんな目に遇うのか・・・

 とうとう航空機が世界に誕生した事に成る。

 新技術は誕生までに時間は掛かるが、一度誕生してしまうと進化は進んで行くものだ、日露戦争終結までには遅くとも複葉機迄は誕生するだろう。

 既に搭載する為の水平対向エンジンと、その先の星型エンジンは完成して居るのだから・・・コッソリだけどね・・・

 小官を軍へ召喚した中将閣下は、現在大将へと昇格しており、お忙しいようでは有ったが、この発明を祝いたいと全ての予定をキャンセルして、一日だけ兵科技研で落成パーティーを開いて下さった。

 まことにありがたい事である。

 本多博士はまさか大将閣下とお近づきになるとは思っても見なかったようで驚きを隠せない様子だった。

 本多博士満18歳、小官が満15歳、日清戦争迄後6年であった。

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