こころ

綿貫 ソウ

未来の君へ

 僕が彼女と出会ったのは、まだ桜の咲く、四月のことだった。


 その日、市立図書館で本を探していた僕は、少しばかり憂鬱だった。新学期が始まることによる不安と、春休みの課題が終わっていないという辛さで、どうにかなりそうだった。後者は完全に自業自得な話だが、それでもやる気にはなれなかった。だから、気を紛らわすために、本を選んでいた。


 ──幼い頃から、本が好きだった。

 特に深い理由とかはなく、ただ文字を追って物語に入っていく感覚が好きだった。そこで僕は勇者になったり、悲劇のヒロインになったり、あるいは猫になったりした。そこまでは、春休みの宿題は追ってこなかった。


 古典の棚の間を歩いて探していると、ある所で足が止まった。そこは他とは違って照明が届かないような、薄暗い所だった。だからなのかもしれない。僕が彼女に気づかなかったのは。

 ふいに目に入ったタイトルを見て、僕はその本に手を伸ばした。すると横から突然白い手が伸びてきて、僕と同じ本に触れた。

 実にありきたりな話だとは思う。でもそれが、僕らの始まりだった。


 手が伸びてきた方を僕が見ると、そこに美少女がいた。年齢は僕と同じ高校生くらいで、髪は金髪のショート。長い睫に縁取られた大きな瞳は、僕の方を見て明るく輝いていた。

 

 本好きなの、と彼女は聞いた。

 ああ、と僕は答えた。

 

 すると嬉しそうに彼女は笑った。


 1


 そのとき僕らが同時に触れたのは、夏目漱石の「こころ」だった。僕は彼女にその本を譲って、彼女は三日後に返すから、またここに来てといった。彼女はどうやら読書仲間を探していたみたいだった。三日後に約束通り行くと、彼女は閲覧席で僕を見つけて、手を振った。それからお互いの好きな本を言い合ったりして、僕らは図書館で会うようになった。


 話を聞いていく内に、彼女のことがだんだんと分かってきた。名前は佐藤愛奈さとうあいな。彼女は県立高校に通っていて、僕と同じ二年生で、ロボットで、文芸部に所属しているといった。


「いいよな、文芸部」


 と、文芸部のない高校の僕はいった。愛奈は楽しいよ、と笑った。彼女はとても明るい性格だった。そのせいで、彼女と話しているときは、暗いことなんて全部忘れることができた。元々暗い性質があった僕は、彼女と話しているうちに自分まで明るくなるような錯覚を覚えた。


 2


 彼女と図書館で会っている間に、学校は始まった。そのとき、初めて自分が春休みの課題を終わらせていないことに気がついた。彼女のせいで、宿題という暗い概念を忘れてしまっていた。


「何やってんだよ」


 先生にきつく怒られたあと、幼なじみの君塚健きみつかたけるがいった。


「今年も同じクラスでなによりだよ」


 僕はそんなことをいって、ごまかした。


「おまえ初っ端からやらかすとか、不良にでもなるつもりか?」


 健が僕の席の前で詰め寄ってくる。その光景をクラスの女子たちは見ている。もちろん、僕を見ているわけじゃない。健を見ているのだ。

 

 君塚健はモテる。

 白銀の短髪に、赤い瞳。その上、顔の形から、パーツまで全て精巧に作られたみたいに、顔が整っている。神の姿はこんなのかもしれない、とクラスの女子はいっている。


 ただ、こいつには一つ難点がある。それはもちろん内面にあって、少々危ない思想を持っている。それは何かというと、ロボットのクラスメイトを極端に嫌っているのだ。そして平気で槍のような言葉を、相手に投げつける。刺された方は、見えない血を流しながら帰り、数日は学校に戻ってこない。全治数ヶ月のやつも、過去にはいた。それだけのヤバさがこいつにはあった。


 でも、誰も何も言えないのは、言うまでもなくその容姿と、そして頭の出来にあった。彼は科学者の息子で、天才的な頭脳を持っていた。学年トップはもちろん、模試では一桁台を簡単にとる。理数分野に関しては常に一位だ。


 だから、教師も、もちろんクラスメイトも何も言えない。言えるのは幼なじみの僕、ただ一人だった。


「君塚くんたち、なに話してるの?」


 ふいに僕たちが話している横から現れたのは、女子のクラスメイトだった。彼女は確か──


「うるせー、だまれクズしね」


 ロボットだった。


 3


 まあ、新学期早々にはよくある光景ではあった。小学生の頃からいる僕に言わせてみれば、ホームルーム長を決めるのと同じくらい自然な流れだった。あれがあいつの自己紹介とでもいっていいくらいだ。


 それにしても、と僕は後ろの席でホームルーム長が決められていくのを眺めて思う。

 健はどうしてあそこまで、ロボットを嫌いなのだろう。今このクラスにも、ロボットは七人いる。多様性が尊重されてきた僕らの国では、外国人の受け入れも古くからあり、今は純粋な日本人なんて天皇一家くらいなものだ。後ろから見渡すクラスメイトたちも、種々雑多な髪色をしていた。その中にロボットがいても、別に浮いているようには見えなかった。


 ちなみに僕の髪色は黒で、少し地味だと自分では思っている。それが、少しクラスで浮いているように見えて、嫌だった。


 4


 もちろん愛奈のことを、健にいうつもりはなかった。彼女に会っていることがバレたら、健は絶対に否定してくるだろう。そして、愛奈を傷つけるかもしれない。それを、僕は恐れていた。


 新学年から初めて迎えた土曜日。

 館内に入ると涼しげな風に乗って、本特有の香りが鼻腔をくすぐった。

 閲覧席に向かうと、そこで彼女が既に一人で本を読んでいて、声をかけるとわっ、と声をあげた。


「びっくりさせないでよー」


 それでも彼女は嬉しそうに笑って、隣に僕を座らせた。なに読んでるんだ、と聞くと、彼女はにやっと笑って秘密といった。


 それから少し話をして、彼女のおすすめ本を探しにいくことになった。


「めっちゃ面白いんだ」


 彼女は途中スキップして、司書さんに怒られていた。

 僕はそれを鼻で笑った。


「笑うなよ」

「いや、子どもみたいで。つい」


 彼女はからかわれたことに腹を立てて、顔を赤くした。教えてあげないよ、と言うから僕が必死に謝ると、しょうがないなー、とまた笑った。ころころと感情が変わる人だな、と僕は面白く思った。


 本棚の前につくと、彼女はこれ、といった。

 それは『こころ』があった所と同じ本棚で、だいぶ古めの本が揃っていた。彼女は本を指さした。『人間失格』とその背表紙には書いてあった。


「この時代の人って面白いよね」


 と、彼女はいった。


「憂鬱な人ばかりでね」


 と、僕はいった。


「それにロボットもいない」


 僕はその本を抜いて、彼女と席にもどった。

 読んだら感想聞かせてよ、と彼女はいった。


 僕らは昼までそこで本を読み、昼食を隣接するレストランで食べた。その間情報交換して、気になった本だけをもう一度図書館に借りにいった。



 そのような交友を、僕らは重ねていった。

 土曜日、あるいは日曜日に図書館で集まって、本について話をする。すると僕は以前あったときより、彼女のことを知る。

 本は心を映し出す鏡だ。何をどのように読むかで、だいたいの『心』は分かる。たとえば彼女はミステリ小説を嫌った。人を殺すというのが、どうも苦手だったようだ。たとえば彼女は恋愛小説を好んだ。毎回のように彼女は泣いていた。


 僕はそんな彼女に、徐々に惹かれていった。彼女の持つ優しさや明るさに、心が傾き始めていた。六月になって、梅雨になると僕らは土日両方を使って、図書館に出向いた。


 5

 

「実はね」


 と、ある日の彼女はいった。

 その日は雨で、図書館にも人がわりといた。

 その中で彼女は何か、秘密を打ち明けるみたいにいった。


「わたし、小説書いてるの」


 僕は別段驚かなかった。

 逆になんで、そんな風に言うんだろうと思った。


「文芸部だから、当然じゃないの?」

「いや、でも、なんか恥ずかしいじゃん」

「そうか」


 今時ロボットが小説を書くなんて当たり前だし、不思議なところは何もなかった。


「それでね。その小説に君を登場させたいな、って思って」


 ぼく、と僕は聞き返した。

 うん、と彼女はいった。


「それで、いいかな、って思って。もちろん名前は変えるからさ」

「いや、別にいいけど。どういう話なんだ」


 秘密、と彼女は前みたいにいった。 

 でもその後に、少し顔を赤らめて


「わたしがヒロインなんだ」


 と、いった。

 おー、と僕は拍手した。

 

「笑うなよ」

「いや、笑ってないよ」 


 でも、なんだか彼女が自分を主人公に物語を書いていると思うと面白かった。そして、僕はどういう立ち位置なんだろう、と思った。彼女にとって僕は、主要人物なのだろうか? 普通に気になった。


「こんど読ませてよ」


 絶対やだ、と彼女はいった。


 6


 梅雨が明け、セミが煩いくらいに鳴き始めると、僕たちは夏休みの計画を立てた。図書館で会うのもいいけど、どこか二人でいこうよ、と愛奈がいったのだ。僕も賛成だったので、図書館の日帰り旅行ガイドとかを見て、僕たちは夏休みを謳歌する算段を立てた。最終的には地元の小京都みたいなところを観光し、その夜の祭りで花火を見ることに決定した。僕にしては珍しく夏休みが待ち遠しいと思った。




「健は夏休みなにするんだ?」


 もちろん夏休みを待ち遠しく思っているのは僕だけではなく、クラスメイトたちも同じだった。教室がいつもより騒がしく、みんな、なんだか落ち着きがない。そしていつもより視線が多い。健と夏休みを過ごそうとしている女子たちが、予定を聞き出そうと躍起になっている。


「おれは家で研究してるよ」


 健はそんな女子たちの期待を打ち砕くようにいった。

 そして珍しく、面白そうに笑った。


「最近おもしろいのが作れそうなんだ」

「世界滅亡ボタンでも作るのか」

「そんなもん昔から作られてるよ。まぁ、おれがやろうとしてるのも似たようなもんだけどな」


 詳しいことは、僕に話してくれなかった。

 それは彼にしては珍しいことだった。以前まではおもしろいことがあると、すぐ教えてくれたのに。秘密主義者にでもなったのだろうか。


「遊ぼうぜ」

 

 と、僕はいってみた。

 最近は何かと忙しいみたいで、健には遊びに誘っても断られていた。幼なじみとして、少し寂しい気持ちがあった。


「無理だよ」


 健は当たり前のようにいった。


 7


 夏休みになると、僕は約束の日まで本を読んだり、珍しく宿題をしたりして過ごした。そして、その日に何を着ていこうとか、彼女は何を着てくるかを考えた。  

 八月に入ると、僕は人を殺すような日差しの中で髪を切りにいった。どんな髪型にしますか、と聞かれて、いい感じで、と答えた。ロボットの店員はにこりと笑った。デートですか、と聞かれ、まぁそんな感じで、と僕は返した。


 そんな風に当日までの準備をしていると、すぐに約束の日は来た。

 朝起きて、自分なりにまともな服を着て、鏡の前でチェックをする。たぶん、大丈夫。ふっと息を吐いてみて、心を落ち着かせる。


 待ち合わせ場所のバス停に着くと、愛奈はまだ来ていなかった。それから十分待って、約束の五分前に彼女は来た。

 彼女はいつも通りの可愛いさで、そして明るい服装をしていた。その姿に少し、どきっとする。


「待った?」

「まったく」


 僕たちは、ちょうど来たバスに乗り込んで、後方の席に座った。そして彼女と楽しみだねなんてことを話していると、僕はあることに気がついた。でもそれを言う前に、彼女がいった。


「あれ……新時しんじくんも髪切ったの?」


 彼女の髪の長さはあまり変わらないけど、いつもと髪質が違っていた。僕たちはお互いにそれを誉めて、そして笑った。


 それから数時間で小京都に着き、二人で古い街並みを歩いて、お守りとかを買って昼食をとることにした。その店は二百年以上続いているという、有名な鰻屋だった。確かに値段は高かったが、どうせなら美味しいところがいいねと事前にここに決めていたのだ。

 畳の席に通されて、二人でたわいのない話をして、注文がくるのを待った。もちろん頼んだのは鰻重で、創業当時から継ぎ足しされているタレがとても美味しいのだという。


「二百年の味だ」


 彼女は子どもみたいに目を輝かせて、運ばれてくる鰻重を見ていた。


 8


「おいしかったね」

「そ、そうだね」


 食べてから、花火会場に向かうバスの中でも、彼女はずっと鰻重の話をしていた。おいしかったね、と店を出てから彼女にずっとそのことを語られていた。確かにすごく美味しかったし、感動したが、これじゃあデートというより食巡りだ。でも彼女の違う一面を見れて、僕は嬉しかった。美味しいものを食べると、こんなに幸せそうになるんだと、新しい発見だった。料理教室でも通おうかな、なんてことを本気で考えた。


 古い街並みを抜け、川沿いの町に出る。

 僕らはそこでバスを降りて、祭りの会場まで徒歩で向かう。一年に一度のイベントということもあって、同じ道を歩く浴衣姿の人たちがいた。


 着いた頃には丁度夕暮れ時で、ずらりと並ぶ屋台に灯りがともっていた。ソースの焦げる匂いや、カステラの甘い匂い、笛の音色や、地響きのような太鼓の音、そして目の前を覆うような人だかり。色々なものが混ざりあい、その場所は混沌としていた。

  

「すごい人だね」


 それから僕たちは、屋台を見て回り、射的をしたりたこ焼きを食べたり、とにかく欲望の赴くままに祭りを楽しんだ。特に彼女は僕より食べていた。そのことを彼女にいうと、怒られるだろうから言わないけど。でもとにかく彼女が楽しそうで何よりだった。


 日が完全に落ちて辺りが暗くなると、僕たちは花火の席とりに行くことにした。会場は堤防の土手で、行くと既にいくつものブルーシートが広げられていた。僕らは辺りを見渡して、空いている場所を探す。


 ここにもない、あっちにも。

 そうやって後ろを見渡したその瞬間──僕は強い違和感を感じた。

 目の前の風景の中に、何か異質なものがあった。


「どうしたの新時くん。見つかった?」

「……いや、なんでもない」


 気のせいだ。

 緊張しているから、幻覚でも見たのだろう。

 気を取り直して探すと、ようやく空いている場所がみつかった。

 花火が、始まる。


「わっ……」

「おー……」


 暗い空に刹那的な光の花が咲く。そして辺りを震わせるような破裂音が、遅れて聞こえてくる。

 それはどこか、非現実的な要素を含んでいた。強い光と、その背景の闇。なんとなく世界の終わりに神が見せるような景色に、僕は思えた。


「わっ……」


 声につられて横を見る。

 花火に照らされた彼女の横顔が、一瞬暗くなって、また浮かび上がった。花火が打ちあがる度、彼女の頬や髪は違った色になった。僕はそれを、とても美しいと思った。

 

「花火が綺麗ですね」


 僕は精一杯の勇気を込めて、いった。

 その一瞬、時が止まったように思えた。


「うん、死んでもいいかも」

 

 彼女はそう返して、嬉しそうに笑った。

 そして暗闇に花火が打ち上がるなか、僕たちは初めてのキスをした。


 9

 

 彼女に想いを告げて、ついに僕たちは付き合うことになった。

 しかし、その裏で騒ぎが起きていたことをこのときの僕は知らない。

 そして事件の被害者が全てロボットだったということも。


 10


 付き合ったからといって、僕たちの関係はあまり変わらなかった。もちろん前より距離が近かったり、恋人らしいことをするようにもなったが、基本的には図書館で二人の時間を過ごした。彼女の家にも行ったが、そこでも結局本の話しかしていなかった。でも、その関係が僕たちらしくて、僕は好きだった。


 夏が過ぎて、秋になった。

 その日、僕は彼女に呼び出されて、図書館に来ていた。いつも通り彼女が先に待っていて、席で本を読んでいた。名前を呼ぶと、わっ、と声をあげた。


「おどろかすなよー」

「別に驚かすつもりはなかったよ」


 それで話ってなに、と僕が隣に座っていうと、彼女はにやにやと笑った。なにかを勝ち誇るような笑みだった。じつは、と彼女は焦らして、いった。


「受賞したんだ」  

「え?」

「高校生の文芸大会で」


 僕は盛大に驚いて、司書さんに怒られた。

 彼女はそれを鼻で笑った。


「笑うなよ」

「笑ってないよ、ほんとに。ふふ……」


 ひとしきり笑ったあと、彼女は僕の手を握って、君のおかげだよ、といった。どうして、と僕は聞いた。


「ほら、君を登場させたからさ」


 と、彼女は答えた。

  

「なにか、お礼させてよ」

「なんでだよ」

「モデル料」

「いいよそんなの。それより受賞祝いにどこかいこうよ」


 新時くんのおごり、と彼女は聞いた。

 ああ、と僕は答えた。

 彼女は嬉しそうに笑った。


 11


 受賞祝いにどこに行くかは、彼女が蕎麦が食べたいといったので、都心にある和食処に行くことになった。前から行ってみたかったの、と彼女は嬉しそうに図書館を出た。食べることが本当に好きなんだなと僕は思った。


 電車に揺られながら、僕たちは話をした。


「料理教室でも通おうかな」


 と、僕が言うと彼女は笑ってやめなよといった。


「新時くん不器用そうだから」


 そんなことない、と否定しようとしたら電車が目的駅についたので、しょうがなく僕は口を閉じた。

 駅前の交差点は、人ごみで溢れていた。休日なのにスーツを着ている人、友だちと楽しそうに談笑しているロボット、手を繋いでいるカップル。空は今にも雨が降ってきそうな黒い雲に覆われていた。

 信号が一度赤になり、歩道に人が溜まる。その中に僕たちも入り、青になるのを待った。傘を持ってくればよかったかな、と僕が後悔していると、左手のビルのオーロラビジョンに流れる広告が黒い画面に切り替わった。


「うわー、たのしみだね」


 彼女はそれに気づいていないらしく、蕎麦のことに気を取られていた。あれ、と僕がオーロラビジョンを指すと、ほんとだ、と彼女はいった。


「壊れてるのかな?」


 彼女の推測は外れた。

 オーロラビジョンは再び映像を映しだしたが、そこには本来の広告はなく、代わりに人の姿があった。よく見知った顔だった。


「えー、みなさんこんにちは。この映像は、俺が仕掛けた大都市全てに流れています。今日もみんな元気そうですね。人間も、そしてロボットも」


 その映像はどうやら生放送のようだった。

 彼は楽しそうに続けた。


「でもそれは今日で終わりです。なぜかというと気持ち悪いからです。ロボットも、それと共存できる人間も。ロボットを友人にする人、ロボットを恋人にする人、あなた達には目を覚ましてもらう必要があります」

 

 彼が──君塚健が、なにを言っているのか、僕はよく分からなかった。


「俺の話は以上です、さようなら────」


 彼が言葉を言い終わる、その瞬間──爆発音と共に強烈な風がふいて、僕の意識は途絶えた。


 12


 目が覚めると、そこは病室だった。

 辺りを見回すと、どうやら四人部屋の病室で、僕の他にも人が寝ていた。ベッドの脇に点滴の袋がぶら下がっていた。そこから伸びた管が僕の腕に繋がっていた。

 

「どういうことだ……」


 記憶を辿り、僕は思い出す。

 ついさっきまで、彼女といたことを。

 

「愛奈!」


 腕に繋がれた点滴針を引き抜き、僕は病院の廊下を全力で走った。胸はバクバクと早鐘を打ち、頭の中では最悪のイメージが流れていた。

 近くにいた看護士を捕まえ、佐藤愛奈がどこにいるのかを聞いた。その情報を聞き出し走り出す僕を引き止めようとした手を振り払い、彼女の元に向かう。その間、ずっと、彼女の笑う姿が脳内で流れていた。


「愛奈!」

 

 ドアを開けると、そこに彼女がいた。

 彼女はベッドに横たわり、目を閉じていた。身体は幾本かの管で繋がれていて、呼吸器をつけていた。息を吐くたびにそれは白くなった。まだ、生きている。


「君は……」


 ベッドの脇に立つ、壮年風の医者が言う。

 僕は彼に詰め寄って、容態を聞く。


「彼女は……」


 医者が言葉を言う。

 頭が真っ白になる。

 そんなはずないと、僕は疑った。

 でも、僕の目からは大量の涙が溢れていた。


「新時、くん……?」


 はっと声のする方を見ると、彼女が目を薄く開け、僕を見ていた。とっさに駆け寄り、彼女の手を握る。


「大変な、ことに、なっちゃったね……」


 苦しそうに、彼女はいった。


「お蕎麦は、また今度だね」


 僕は何も言えなかった。


「どうして、泣いてるの。笑ってよ、新時くん」

「ごめん」

「謝らなくてもいいよ、これはしょうがないことなんだ」

「でも」

「新時くん」


 力を振り絞るように、彼女はいった。


「大丈夫だよ」


 安心させるように、彼女は最後に笑った。


「わたしたちには、『こころ』があるから──」


 13

 

 春休み、僕は一人、長い石段を登る。


 両側の木々からは虫の鳴き声が聞こえ、青空から穏やかな陽光が降り注ぐ。

 ふだん運動をしないせいか、すぐに息が切れた。それでもなんとか力を振り絞り、僕は足を進める。一段一段踏みしめるように歩き、そのうち着ているシャツが汗で肌に張り付く。きっとこんな姿を彼女がみたら笑われるだろうな、と僕は想像して苦笑する。快活な彼女なら、この石段も走って登るに違いない。

 しばらく足下を見たまま登っていると、ふいに石段が途絶え、視界がひらけた。


「愛奈……」


 清々しい風が通り過ぎて、木々の葉を揺らす。


 目の前には彼女の墓が静かに佇んでいた。石造りで、正面に名前が彫られた墓。僕は柄杓で水をかけ、持ってきた花を供える。

 彼女の墓の背後には桜が咲いていた。それを見ていると、彼女と出会った日を思い出した。思えば僕らが出会ったのは、桜が咲いている季節だった。


 花弁がひらりと落ちて、墓の上に乗る。

 僕は手を合わせて、目を閉じる。


 14

   

 未曾有の殺戮事件。

 僕らを襲った出来事は、後にこう名付けられた。事件の被害は全国の大都市に及び、犯人──君塚健はその全てに対ロボット用の毒ガスを込めた爆弾を仕掛けていた。それを同時に爆発させ、多くのロボットの命を奪った。

 多くの国民がその動機に疑問をもった。なぜロボットだけを狙ったのか。その問いに彼はこう答えた。──気持ち悪かったから。それだけだった。もちろん誰もその意味を正確に理解できた人はいなかった。


 冬に行われた裁判では、その人間性に焦点を当てられた。彼は精神障害者ではないかと多くの人が指摘した。しかし、精神鑑定の結果、精神にはどこにも異常はないと判断された。

 対ロボット用の爆薬は彼自身で作ったものだった。それを試すために一度花火大会で、小型のものを爆発させたと彼は供述していた。その計画性から、ロボットに強い恨みがあると裁判長は判断した。雪がちらつく三月に判決は下された。満場一致の、死刑だった。


 僕は一度、面会にいった。幼なじみである君塚健は、もうそこにはいなかった。彼は今回のことを全く悪びれず、面白かっただろ、と僕に笑った。人間とは思えない、悪魔のような表情だった。なんでこんなことをした、と僕が聞くと、彼はこう答えた。こころなんてないのに、人間と同じように自分で選択していると思ってる、それが気持ち悪くて仕方ない。僕は殴ってやろうかと思った。できないから代わりに、死ぬべきはお前だよ、と彼にいった。その時だけ、彼は悲しそうな表情をした。まるで、見捨てられた幼児のようだった。


 こうして事件は収束に向かい、ロボットたちも安心して笑えるような生活が戻ってきた。学校に行ったり、会社で働いたり、友だちと笑ったり、恋人と手を繋いだりして、みんな幸せそうだった。その中に僕の彼女はもういないけど──。


 僕は静かに目を開けて、ポケットから手紙を取り出した。未来の君へ、封筒にはそう書いてある。彼女からの、最初で最後の僕宛ての手紙だった。

 

 15


 愛奈が死んだあと、僕は無気力になって、なにをする気にもなれなかった。こころに、ぽっかりと巨大な穴が空いていた。このまま彼女のあとを追って死のうか、本気でそう考えていた。学校にも行かず、暗い部屋で寝ている僕に、母はたまには外に出たらと提案した。僕はこのまま寝ているのも母に悪かったから、無理やり身体を起こして外に出かけた。どこに行くつもりもなかったが気づくと、僕は図書館の前まで来ていた。彼女の思い出を追うように、図書館に入った。いつも彼女と読んでいたところで、適当に本を選んで読む。すると隣に彼女がいるような気がして、僕は顔を上げる。でもそこには誰もいない。

 

 しばらくして帰ろうかと思ったとき、ふいに出会ったときのことを思い出した。あのとき、僕たちは──そこまで考えたところで、僕の足は動き出していた。僕たちが出会った場所、あの本棚のところへ。

 

 その間、僕は彼女の最後の言葉を思い出していた。

『わたしたちには、「こころ」があるから』

 僕たちが出会ったきっかけ。

 その本は。

 夏目漱石の『こころ』だった。


 16


 未来の君へ


 この手紙を君が読んでくれているってことは、きっとあまり良くないこと起こったのでしょう。それでも、この手紙を見つけてくれて嬉しいです。出会ったきっかけの本に手紙を隠すって、なんだかロマンチックで一度やってみたかったのです笑。

 さて、なぜこの手紙を残したか、君には分かるでしょうか。私には分かりません。意味が分からないと君はいうかもしれませんが、本当のことなのです。今書いている私自身、よく分からないのです。でも最近変な夢を見るんです。君と離れる夢です。こんな理由で手紙を書くなんて、心配しすぎなのかな? でも君に伝えたいことがあるので、取りあえず書きます。

 君との出会いは同じ本に触れるという、ありきたりなものでした。でも君が本当に本を好きなんだなって感じて、すぐ仲良くなりたいと思いました。結構好きな本が被ってて、相性いいな、とは前から思ってました。君を好きになったのは、わりとすぐでした。本の趣味とか知って、君が本当に良い人だと思ったのです。結構似てる部分もあるし、自分でいうのもあれですが、お似合いだと思ってました。

 それから君と付き合うようになって、とても楽しかったです。毎日がハラハラしてドキドキするような物語みたいでした。君と手を握ったりするだけで、内心ではドキドキしてました。君の前ではこなれてるふりをしてたけど笑。

 そんな君にも、まだ言ってないことがあります。君を物語に出したいと話していた小説。私が書いたその小説は、私と君が付き合うまでの話です。私が小説に君を登場させたのは恋人になる練習みたいなものでした。今思うととっても恥ずかしいです。

 書きたいことはこれくらいです。私の見た夢が正夢でないことを祈って、明日も君と話そうと思います。これから、ずっと、いつまでも、君の隣にいたいです。でももし、私がいなくなっても、気に病まないでください。それはたぶん、どうしようもないことなのです。それが自然なのです。


 最後に君に言いたいことがあります。

 大好きです。

 ありがとう。

 さようなら。


 17

 

 風が吹いて、花が揺れる。


 僕は手紙をしまって、もう一度手を合わせる。この墓の下には、彼女の中央演算処理装置ちゅうおうえんざんしょりそうちが埋まっている。僕はその、彼女のこころに呼びかける。

 

 愛奈。

 僕も大好きだよ。

 ありがとう。

 僕を見つけてくれて。

 ありがとう。

 さよなら。

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