校了

 みどりは寒い日なのにカフェテリアでアイスティを頼んだ。

「さむくない?」

「だいじょうぶなんです。暑いんですよ室内」

 みどりの服装をみると、それ以上は薄着うすぎにはできないだろうと彼は思った。

 テーブルにはグラスとカップが置かれてその間にゲラを、比べて見えるように広げた。

「どれがいいかな?」

 あおも少し困っていた。ゲラの数枚のイメージがあまり変わり映えしないけれど、どれといっていいほどのものが選びずらい。解像度や色調、画面構成のリズムの問題でもない。

 みどりは数枚見て、

「うーん、やっぱりどれも変わらないんですよね――」

 と、あおと同じ感想を持っていた。

「明るいのは印象が薄いから没、コントラストの強いのは、印象が暗くなって、色味が悪くなるので没――」

 みどりは重ねていった。

「じゃあ、これどうだろう?」

 あおは、かわえのない色校いろこうのためのゲラのほかに、別のゲラを用意していた。別のゲラは7種類あって、色合いをどれも変えてみせた。

「原画とだいぶん変わってきましたね」

「これで山吹が許してくれたらいいけどな。――これはどう?」

 あおは数枚のうちの青と緑の映える一枚を取り出して、みどりに見せた。

「これ……――」と言って、みどりも少し目にとめて考えるような姿勢になった。

「じゃあそれでいこうか、みどりさんも気を引いてくれたみたいだし」

「そうですね――、そうしたら、青文せいぶん印刷の担当の方に連絡してみます」

「――ありがとう」

 話が付くと、みどりは展示会へ戻っていった。

 あおは家へ帰り、色調を変えたデータをみどりへ送った。


 2月末まで、あおはまた頻繁ひんぱんにみどりとやり取りをした。校了こうりょうの時期をその日に決めていたからである。校正こうせいについては完全に仕上がっていたため、原稿など文芸誌の中身はもうそろっていた。表紙はみどりが少し手を加えるといっていた。あとは台割の通りに本の中身のデータを決め、印刷会社に提出し、本にするだけであった。

 台割について、みどりから確認のメールがあった。

「台割通り構成を決めました。これで文芸誌の中身は完成になると思います。直しはありますか?――」

 あおは読み手の目線で見て、見た目がごちゃごちゃするが気になったので、白紙のページを増やしたり、挿絵さしえの余白について変えるように指示をした。また目次のページに表紙と同じようなテクスチャーを感じるがらを入れるなど少しでも紙面しめんの見ごたえを上げるように心がけた。

 何日かのやり取りののち、あおはもう言うことのないところまで手を加えたので、みどりにあとは任せるといった。みどりはこう返してきた。

「それではこれで校了こうりょうですね。あおさん、お疲れさまでした。――空蝉うつせみが出来上がって研究室に届いたら文学ゼミで打ち上げをするそうなんです。あおさんもいらしてください」


 織部おりべくるみという人からあおはメールを受け取った。


煤竹すすたけさんこんにちは、

 文学ゼミではお世話になっています。

 ゼミ長をしています織部おりべです。

 この度は校了こうりょうおめでとうございます。それから文芸誌の編集ありがとうございました。

 誌の発行がいよいよ現実となって私も嬉しく思います。

 3月20日に文学ゼミの打ち上げがあります。

 煤竹すすたけさんもぜひと思いおさそいいたしました。

 参加のむね、よろしければご返信へんしんください。

                かしこ」


 続いてみどりからもメールがきた。

「あおさんおつかれさまです。

 文学部打ち上げ、ぜひとも来てくださいね。私楽しみにしています。

 色々とありましたが、やっと一息できて、空蝉うつせみも出来て私は幸せです。

 絶対来てくださいよ


              みどり」


 あおは文学ゼミのゼミ長にまず返事をした。


織部おりべさん

 ありがとうございます。

 もみじ先生はお元気でしょうか。

 文芸誌の編集はしていましたが、3月に入ってからは一度もお会いできていません。

 打ち上げのお誘いはこころよく受け取っています。

 参加しますので、そのむね先生にもお伝え下さい。

 よろしくお願いします。

               煤竹すすたけ

 そしてみどりにはこう返した。

「みどりさんおつかれさま。

 打ち上げ、行かせていただきます。

 誘ってくれてありがとう。みどりさんに会えるのを楽しみにしてます。織部おりべさんからメールが来ていて、そちらにも返事しました。

 早く文芸誌、とどくといいね。

               あお」


 O線の東口改札を地下へ降りると織部おりべさんがいた。

「おむかえに来ました」

 織部おりべさんは細身ほそみの体でしかし力強く言った。

徒歩とほ3分ほどなのですぐです」

 織部おりべさんはあおの次の言葉を待たずにまた行った。

「ありがとう」

 まさかむかえが来るとは思っていなかったあおは少し感嘆かんたんとしてしまった。

 さそわれて店につくと席にはもみじ教授しかおらず、あとはあおと織部おりべさんだけだった。


「君、いい店だねここは」

 織部おりべさんは鼻息を少し荒立あらだたせて、さがしましたからねと言った。

 あおはその時の織部おりべさんの言い方がみどりに似ていたので少し笑ってしまった。

「先に飲みましょうか」

 席は盛大せいだいになった。山吹あやめや東雲しののめあかねも現れて、20人くらいはガヤガヤしていた。

 みどりは最後にやってきた。

「すみません」

 それを見るやいなやもみじ教授がみどりを呼んだ。

「やや、みどりさん。ほら、みどりさん、こっちへ来なさい」

「はい」とみどりは元気よく答えて、あおのとなりの席までやってきた。

「おつかれさまです」

「おつかれさま、色々ありがとうね」

「ホントです。いえあおさんには助けられっぱなしで」

「そんなことないけど……」

「いえいえ」

 文芸誌の話を酒のさかなにしてその夜は盛り上がった。

 終電はいつなの? とあおはみどりに聞いた。

「私、遠いので早いんですよ」

 みどりが来たのは8時を過ぎていた。

 ふと、その時、あおはみどりから女性の血の匂いを嗅いだ。瞬間また桃色の恥部ちぶがあらわになるイメージがあおの頭をめぐった。

 となりにいるみどりはすごく近く感じた。

 そしてまた

 ーーどうしたものだろう。

 と、そういう気持ちになってしまうのだった。


 時間になるとみどりはこういった。

「あおさん、私もう、帰ります」

 それはあおをさそうような言いぐさだった。まるで一緒に帰りませんかというような。

 ーー連れってくださいと言いたげな。

 しかしもう夜も遅かった。ホテルへ行けば彼女は喜ぶのだろうか?

 それも違うような気がした。

 あおは

「ごめん、また」と言う事しかできなかった。

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