モノクローム

 年始は原稿がすべてしあがり、残すは本を仕上げることであった。年のはじめの文化ゼミで杜若かきつばたはしょうもないデザインの表紙をいくつか持ち込んできた。

「こんな感じー」

 と、コメントはそれだけであった。

 木炭の適当なデッサンが数点あった。木炭紙に定着剤もつけずに木炭の粉が揺れ動くような曖昧あいまいで抽象的な表紙であった。木炭紙の素材を表紙に持ってくるのは肌ざわりが悪すぎるだろう。質感をどう出そうかとも思った、が。

 ーーぼつ

 という言葉だけが頭の中から湧き出てくるだけであった。学生たちにこの第一案を回すとざわついた。

 表紙がこれではいかに中身が充実していても誰も手にとってはくれないだろうという代物しろものだ。学生たちが不安になる気もわからなくはない。それに一種の不信感や怒りも感じられる。

 みどりは気が抜けたような感じで

「そうですねー」というだけでなんとも言えないようだった。

 杜若は素知そしらぬ顔をしているが、少しまずかったと思っているかもしれない。しばらくの間、ゼミは沈黙していたが、もみじ教授がこう言い出した。

「とりあえず第一案なんだろう。コレがどうなるのか知りたいね」

 その一言でこの日のゼミは一旦いったんおさまったが、あおは杜若かきつばたいだいていた一抹いちまつの不安がそのままこの時期に来てりになって来たことに少しばかり怒りを感じるのであった。

 ゼミが解散した後、もちじ教授とみどりが研究室に居残っていた。あおも当然その場に残ってはなしをするつもりでいた。

「あんな感じもいいんじゃないですか」

 みどりが最初に言い出した。表紙のことをっているのはあきらかだった。あおは何でもないというふうに装った。というより、どうにでもなるとんでいるというのが正解だった。

 杜若かきつばたに見切りをつけてこちらでデザインを考えるしかないと思っていた。


 立ち枯れの木が連立している池を横目に歩いていた。あおは公園の小道で考え事をしている。立ち枯れのある池の向こうは黒々と覆い茂る森で、虚空はどんよりとした薄曇りであった。こころは平静としていた。杜若がやはり問題だった。

 年始初日の文学ゼミのあの出来事は問題があったと言わざるを得ない。あおは刈安へ連絡を取った。刈安の返答はこうだった。

 ――任せる。

 あおは彼が優秀なことは知っているが、この対応はどうかと思っていた。

 ――潤についてはどう謝ってもどうしようもない。けれどみどりもあおも表紙のデザインくらいは大したことないだろう。

 彼にとっては、まだ駒はあるだろうといったところだろうか――。あおもしかしそのことは承知の上だった。刈安に連絡したのは単に近況報告に過ぎない。実際のところ挿絵作家を連れてきたところは杜若の実績である。銅板画のようなタッチのペン画は挿絵にしうるのにちょうどいいものであった。そのことは杜若のセンスといえよう。悪くないものだ。

 立ち枯れのある池を過ぎればもうすぐ古い街並みに来る。相模原の古い街並みである。駅まではこの池のある公園を抜けて、旧市街に出れば10分くらいのところだ。しばらく考え事があると思い、キャンパスから歩いて駅まで向かうことにしたあおだったが、公園を抜けたころには考えていたことはどうでもよくなっていた。

 あおは去年の文化祭で展示を見たときの作品を一つ思い出していた。


 2月、たまに雨が降る季節になった。

 あおはまた文学ゼミに顔を出していた。もみじ教授の研究室から灰色の雨の景色を見ながら、暖房のきいた室内で珈琲をいただくのは格別だった。

 刈安からは1月に連絡を取って以降、全く連絡はなかった。

 ゼミ生からは時折文章の改編や追加をもらうことがあった。確かに4回生からしてみれば、これが最後の催しになるわけだ。締切が来たとしてもまだ時間がある。あおは時折そうした要望を内々に受け入れつつ、文芸誌の中身をほとんど完成させていた。

 今日に限ってはまだ、原案もない誌の顔となる表紙のデザイナーを文学部に招いたのである。

 山吹あやめは絵画科の院生である。彼女の作品はコラージュがメインで、絵画技法から具象を抽出する手法を研究していた。

 彼女とは年始以来音沙汰おとさたなくなった杜若の代わりに表紙案となる画を描いてもらうことにした。

 杜若にはこうメールしていた。

「表紙デザインはもういいよ。挿絵作家を教えてくれてありがとう」と。

 あおは山吹に持ってきてもらった数点の習作を見ていた。

 デカルコマニーやフロッタージュ、ドリッピング、ポーリングなどの技術から写実へと変換されるのは思い切りの良さと細かさが同時に介在する。あおはその絶妙なバランスと質感が好きで彼女を起用した。

 表紙の原案の評価は悪くなかった。文学ゼミの学生たちからの評判は様子を見る限りまずまずといったところだ。年始の杜若の持ち寄ったときのことを考えても安心感があっただろう。

 椛教授は「――こういうことはたいていどうにでもなることだよ」といっていた。

 あとは山吹の原案から今回の文集のコンセプトにあう表紙をデザインしてもらうことと、文集のタイトルを決めるだけになった。


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