小さな嵐の後に

 刈安はこの頃、別の企画にも手を出して忙しそうだった。そもそもそのつもりだったのかもしれないが、刈安はこの間ゼミに訪れた後、彼の状況のことの仔細しさいをあおあてにメールしていた。内容は簡単に言えば、この文芸誌の企画はあおにまかせたからとのことだった。

 今日、あおが杜若かきつばたとみどりを呼んだのは、一度作業の状況を報告しあって情報共有のほか、刈安が実質抜けた話と、今後の方針を決めて仕切りなおすためにもあった。

「そうしたら、みどりさんは引き続き台割の更新とフォントの選定をお願いします。多分文学ゼミの成果によって台割は変わるだろうし……。杜若は僕の持ってきた文献ぶんけんをある程度ていど参考さんこうにして表紙を作ってきてください。僕は校正こうせいと作家の対応をするので、取り急ぎメーリングリストは前に刈安から受け取っているから、あとはみどりさんからもらったこの作品をそれぞれ読んで校正こうせいをするのと、掲載けいさい希望の学生からまだあがっていない原稿げんこうひろっていってみることにします」

「わかりました」みどりは普通に返し、

「りょ」と杜若かきつばたは言った。

 あおはペースをみだされて、少しせきばらいをしながら、一回目の会議を終わりにした。


 杜若はそそくさと研究室をあとにして、あおが廊下に出て文献ぶんけんを資料室へ帰そうとしたときにはもう姿も見えなくなっていた。みどりはまだ研究室に残っていた。というのも会議の前に見せたあおの卒業論文を見たいという話になったからであった。卒業論文とヴィジュアル化した本のなまり彫刻ちょうこくは5セット存在していた。あおからしてみると記念すべき作品であったからである。確かに論文の内容が評価の中心になることはわかっていたが、彼としてはデザインをする=物を作るという考えのもとでモチベーションを維持いじしてきたため、論を展開するためにモノへ起こしてみるという行為を必要とした。そして試作品、提出用、個人用、予備品、そして友達の彫刻ちょうこく科生にと制作をしたのであった。そして5つのうち2つは先生の研究室のおいてあった。あおはすでに大学業務の時間外となった研究室棟の薄暗い廊下ろうかを歩いていた。先生の研究室からは灯りがれている。

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