少し冷えた風に煽られる日々

 煤竹すふたけあおは大学卒業後すぐ研究室に入った。だからといってけしてエリートとは言えない。たんに就職ができず親のすねかじりをしているだけに過ぎなかった。文系大学の研究室なんかに入ってしまっては、この先仕事にありつけることもないだろう。あおにとってそれは一つの決断だった。昔から学校というものが嫌いで、生徒というのも嫌いで、同級生も嫌いで、先輩なんか相手にも出来なかった。しかしいざ就職となると学校が心地が良く、融通ゆうずうがきいて、案外楽な時間を過ごせる。

 あれは院生になったばかりの春だった。あの人は僕を忘れただろうとしたころ、あおはあの人のことを忘れずにいた。しかしもう彼女には会えないとも知っていた。昔の彼女への思いが彼をせらせることもあった。そんな春だった。キャンパスの門をくぐって、道を過ぎ左に折れて、しばらくすると行く道を間違えたことに気が付いて、事務所棟へ入って階段を上り屋上の通用口から研究等へつながる小道を行くようにして遠回りをけた。なぜそうしたかあおにはわからないが、しかし彼自身がそうしたことである。彼はまだ彼女のことで錯乱さくらんしたこころがえずにいたということだろう。つまり彼女のことを思い出すと――、考えていると、あおは自分が何をしているのか突然わからなくなった。そして季節が彼の心をいつもさぶっていたのだ。


 杜若潤かきつばたうるみは朝からヴィジュアル研究室にいた。グラフィック研究棟の一角にある主要研究室の一つだ。

 初対面で挨拶すると

「よろ〜」という返事で、かなり驚かされた。

 身なりは落ち着いているが厚顔こうがんであまり人のことを見たりしないタイプに見える。

「文学ゼミには友達がいてさ〜、時々顔だしてんだよねえ〜」

 と、大分ゆるい会話をした。

 あおは取り急ぎ文芸誌の方向性を決めるために、教授と掛け合っておいてほしいと杜若かきつばたに話した。

 彼女は、

「ん、おけー」とだけ言ってそのまま別のことに気を取られ始めた。

 取り付くしまがなくあおはすぐにヴィジュアル研究室を出た。

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