コウヤ

 あれからというものボクは集金させられるようになっていた。マスクをしたボクに相手は黙って、お金の入った封筒を手渡してくる。余計な会話は禁止されていて、相手もそれを理解しているようだった。彼は車の中からその様子を見ていて、車に乗り込むと、封筒の中身を確認する。


 集金に行く男女は複数人おり、みんな歳は若く見える。たぶん二十歳前後だと思われる。詳しいことは分からないが、みんな従順で、反抗的な態度も見受けられず、ボクにとっては難しい事は何一つなかったのだが、ある日、家の電話が鳴った。


「もしもし」


「河内くん?」


「はい、そうですが」


「キネカワだよ、キネカワユウジ、覚えてる? 学童保育で一緒だったろ?」


「あっ、ユウジくん⁉︎」


「そうだよ、よかった、覚えててくれたんだ」


 ボクは小学校の時、母子家庭だったので、学校が終わった放課後は児童館に通っていた。そこで低学年だった内気なボクのことを、気にかけてくれていたのが六年生のユウジくんだった。ボクにとって優しいお兄さん的な存在で、ユウジくんが中学に上がると、自然と疎遠になってしまっていた。


「久しぶりだけど、どうして電話くれたの?」


「やっぱりそうか……あの時、僕の顔なんて見てなかったから、気づかなかったんでしょ?」


「……あの時?」


「車から降りた君はマスクをしていて、俯いたままボクからお金の入った封筒を受け取った」


 驚き過ぎて声が出なかった。集金に行った男達のうちの一人にユウジくんが……。


「ちょっ、ちょっと、待って……。頭が混乱してて……」


「まあ、無理もないよね。僕も驚いたんだ。まさか君がアラノタケシといるなんて夢にも思わなかったからさ」


「あのさ、ユウジくん、アラノタケシって誰のことなの?」


「車を運転してた奴がアラノだ」


「あの人はコウヤって名前じゃないの?」


 もしかしてと、思った。


「アラノって、荒れるの『荒』に野原の『野』って書くの?」


「そうだよ、どうせ偽名だろ。そんなことは、どうでもいいんだ。どうやったら、君が荒野と結びつくんだ」


 荒野は『コウヤ』とも『アラノ』とも読む。偽名だということか。


「そ、それは……」


「何か弱みを握られてるんだろ? そうだろうな、僕らもみんなそうだ」


「みんなって、お金を取られてる人達? どうして、ユウジくん達はお金を取られてるの?」


 しばらく沈黙が続いた。


「僕たちはある虐めに関わっていたんだ」


「えっ、ユウジくんも?」


 ユウジくんは当時、いつも独りぼっちのボクを気遣って、一緒に遊んでくれていた優しいお兄さんだった。そんな人が虐めをするなんて……。


「そうだ、僕も関わっていたんだ」


 ユウジくんは重々しく当時のことを振り返った。


「とある男子が一つ歳下のミユに告白して、二人は付き合うことになったんだ。だがキララという女子がその男子を好きだったらしく、それが発端でキララはミユを虐め始めた。キララはスクールカーストでいう一軍のリーダー格だったために、クラス全体でミユに対する虐めはエスカレートしていった」


 ユウジくんの声が震えだした。


「……そして荒野ミユは自殺した」


「えっ……」


「ミユは荒野タケシの姉だ。それからだ、荒野タケシの復讐は始まったんだ」


「……もしかして、ユウジくんは……?」


「そうさ、告白した男は僕だ」


「やっぱり、そうだ。ユウジくんは虐めなんてしてないんだ。でも直接、虐めに関わってないユウジくんまで復讐の対象にするなんて酷いよ」


「…………」


「だって、そうでしょ? 悪いのはキララっていう女と一緒に虐めて自殺に追い込んだ奴らなのに!」


「……君は優しいな。僕に同情してくれるなんて。だけど、荒野が僕のことを恨む理由はあるんだ」


 震えた声でそう言うとユウジくんは押し黙ってしまった。ボクは少しの間、落ち着くのを待った。


「……ミユと付き合い始めたある日、根も歯もない噂話を聞くようになったんだ。それは僕に対するもので、毎日セックスを要求してくる絶倫男だとか、身体目当てで付き合い始めたとか……そういう下世話なのが多かった。僕は女子達からは白い目で見られるようになり、男子達からからかわれるようになった。気まずくなり自然とミユとは距離置くようになった。しばらくしてミユからメールが来たんだ。そして画像が添付されていたんだ。その画像には……」


 ユウジくんは嗚咽し始めた。必死に堪えようとしているがどうにもならない様子だった。


「……うぐっ、うっ……ごめん、取り乱して。その画像には他の男と裸でキスやセックスをしているミユが写っていたんだ。そして『学校でユウジくんの噂を流したのは私だよ。今度、セックスしようねー』って、文章を見た時、僕は世界が終わった気がした。それが虐めと知らずにね。ボクは学校を何日か休む程寝込んでしまうくらい体調を崩してしまったんだ。今思えばミユはあんな言動をするようなコじゃなかったのに……。しばらくして学校に戻るとミユの噂は酷くなっていて、相変わらずからかわれるから、心を病んでいた僕は怒りに任せて、ミユを貶めるような暴言を吐いてしまったんだ。僕の発言がさらなる波紋を呼び、その噂話は尾びれを付け、ミユは金を払えばヤれる女という事になってしまった。でもそれは噂ではなくなってしまって、僕のクラスメイトがミユと金を払ってセックスした事実を知ったんだ。後に知ったことなんだけど、キララがそれを仕切っていて、ミユを使って金儲けしていたんだ」


 ユウジくんの懺悔と、ミユという女性の気持ちが、ボクの中に流れ込んでくる。それと同時に彼の、いや、荒野の怒りに満ちた狂気が見えた気がした。


「そして荒野の復讐は始まったんだ。奴は恐ろしいよ。これは推測だけど、ミユは遺書のような物を遺したんだと思う。それを荒野は学校やマスコミにリークせず、大学進学や就職を控える高校生の立場を利用して一人一人脅迫した。虐めに関わった男と女を何回も何回も次々とセックスさせたり、勃たない男にはバイアグラを飲ませ、乱交パーティーみたいな事もさせて動画や画像に収めた。もちろん泣き叫ぶ女もいたけど、その時セックス好きな奴らには復讐には思えなかったかもしれないな。大量に動画ど画像をストックしたら、それを強請りの材料にして次は金を要求した。容姿が整ったヤツには売春をさせてた。聞いた話じゃ、キララは頭がおかしかくなって死んだって噂だよ。荒野はキララに特別な売春をさせていた。たぶん死因はセックスドラッグによるものだ。もしかしたら見せしめかもしれないね」


 従わなかったり、裏切ったりしたら、きっと殺される。荒野に殺されてしまうのだろう。


「だから荒野は相当な金を持っている。僕らは毎月の給与明細まで提出しているんだ。僕らは恋人も作ることもできない。それも強請りのネタになってしまうからね。荒野の怖いところは自分の手を汚さないところだ。キララの死因にだって荒野は直接関与していない。強請って誰かを動かして、荒野は足跡を残さないんだ。だから君も強請られていることは明白なんだよ」


 一気に血の気が引いていく。


「それとね、どうやらミユと荒野は血が繋がっていなかったらしいんだ。連れ子同士の再婚だったみたいなんだ。顔だって似ても似つかないから間違いないと思うんだ」


「つまり……荒野はミユに惚れてたってこと?」


「ああ、そうだ。僕に対する荒野の異様な執着心の説明がつくだろ?」


「なんてことだ! ユウジくんは一生このままでいいの?」


「言い訳ないだろ! じゃあどうすればいいんだ! 僕だって、他の奴の尾行をさせられたりした事もあるんだぞ。たぶんGPSだって仕掛けられてるかもしれない。僕らの行動は奴に筒抜けだ」


 ボクが飛び降りようとして現れ、缶コーヒーを二つ持って現れたのは偶然ではなく、やはり必然だったのだろう。


 生きたまま死ぬのか? それとも、死んだように生きるのか?


「……もしもし……もしもし、聞いているのか?」


「……うん」


「君はどうやって荒野と出会ったんだ?」


 ボクは正直に話す事にした。勿論、本間の事は言わずに詳細を伝えた。するとユウジくんは、決して勧められる事ではないけど、と前置きして言った。


「一つだけ方法はある。いや、一つしかないと言った方がいい。荒野を殺すんだ。殺すしかない」


「ねえ、ユウジくん……何言ってるの? そんなことできるわけないでしょ」


「いや、そんな事ない。藤代? 岩屋? だっけ? 二人も病院送りにしたんだ。その行動力に加えて、計画的でもある。何より、荒野は君に対して恨みはないし、中学生ということもあって、側に置いてるんだと思うんだ。君に対しての警戒心は薄いと思う。それに万が一捕まっても少年法が君を護ってくれるはずだ」


「ユウジくん、何を言ってるの? 殺すなんて簡単に言わないでよ。それに、もしも失敗したら、どうするの? どうなるの?」


 ユウジくんは慌てた様子で謝った。


「ごめんごめん。冗談だよ。どうかしてるよな。こんなこと言うなんて。忘れてくれ。僕も常識的な判断ができなくなってるかもしれない。昔の話をしたからおかしくなってしまったんだよ、きっと」


 でもユウジくんの言う通り、殺す以外はないのかもしれない。でも、どうやって殺すんだ。不意打ち? 毒殺? どれも現実味がない。もしも失敗した時、どうのような仕打ちがあるのかと思うとゾッする。


「ユウジくん、ボクが死のうしたら、母さんに危害を加える、って荒野に脅されたんだよ。例え荒野を殺したとしても、その後、ユウジくん達の動画や画像はネットに流出するように手は打ってあるはずだと考えるのが自然だよね。今わかったよ、荒野は自分が殺された時の代理人としてボクや田口のようなのがいるんじゃないかな? 当然、代理人、は他にもいるはずだしね」


 それにボクが荒野を暗殺できたとしても、本間を殺した事は暴露され、母さんは人殺しの親として生きていかなくてはならない。


「……そうだよね。僕らは死ぬまで、いや、死んでも、荒野には逆らえないんだ。本当はわかっていたんだ。ただ勝手に君に一縷の希望を感じてしまったんだよ。本当にごめん、僕だって金だけ渡してれば問題はないしね」


「うん、そうだよ、今後、集金で会うことがあっても、他人をフリをしようよ」


「そうするしかないみたいだ。とんだ再会だったけど君に会えて良かったよ、河内くん」


「ボクもだよ、ユウジくん。学童でいつも遊んでくれてありがとう。ずっとそれを言いたかったんだ」


「ああ、そうだった、あの頃はよかった、子供の頃は毎日遊んで何も考えなくてよかった。それが今じゃ、どうだろう? 荒野に金を渡す度にミユを思い出すんだ。自分が惚れた女を守れなかった。それどころか自殺に追い込んでしまった。どうして直接ミユに会って真実を確かめなかったんだろう。ミユは誰とでも寝るような女じゃないことはわかってたはずなのにね。これは言うつもりなかったんだけど、僕の初めての相手は、誰よりも憎かったキララさ。その時バイアグラ飲まされて無理矢理ヤったんだ。怒りに狂いながらも射精するまで終わらせてくれなかった。その後は男同士でヤらされた。口でやらされ」


「それ以上はもういいよ」


 制止してもユウジくは続けた。いじめられっ子のボクを救ってくれたユウジんは、まるで神に赦しを乞う罪人だのようだった。


「君に手渡した金の殆どは僕が男相手に身体を売った金だよ。一日に何人も相手をさせれたり、相手が外国人だったり……。だからキララがおかしくなってしまったのも本当は理解できるんだ。さらに生活費のためアルバイト代からも、お金を取られているんだ。もう身も心も壊れてしまいそうだよ。君は僕みたいになるなよ、絶対」


 かける言葉が見つからない。ボクはユウジくんに比べたらマシなのではないか。ボクは本間を殺している。荒野も殺してしまえ。でも荒野が死んだら、ボクが殺人犯だということが公になるだろう。


 電話を切った後、虚無感がボクを襲った。いったいどこまでいつまで続くのだろう。出口の見えないトンネルの先は闇しかない。引き返そうと振り返って見ると、ぼんやりと光が見える。だけどボクには鎖に繋がれていて、前へ前へ闇へ闇へと引き摺られていくだけ。これからもずっと……終わることのない闇の中。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る