悪を撃て
母さんが作ってくれた料理に電子レンジが温もりを宿し、テレビと向かいあって一人ぼっちの夕食。
「いただきます」
テレビ番組の大爆笑がボクの声を掻き消す。口に運んだ煮物が生温い。温める時間が少し足りなかったようだ。温もりが欲しい。でも胃袋に入れてしまえば同じこと。ボクは我慢してそのまま食べる。
今日も美味しかったけど残してしまった。母さん、ごめんね。でも毎日完食していることになっている。仕事で疲れているのに毎朝早起きして、ボクのために朝食と夕食を用意してくれている母さんに申し訳ないからだ。だからいつも通り夕食の残りをタッパーに詰めて、ボクは友達にお裾分けをする。
コバルトブルーのパーカーを羽織って、5分ばかり自転車を漕ぐと森林公園がある。友達はここでボクを待っている。
この公園の桜もすっかり散り落ち、若葉の色に四季彩を変え、薄ピンクの花びらは地面に積もり薄汚れたゴミ屑になっていた。いったいボクの心模様は何色から何色へと移り変わったのだろう。
遊歩道の脇の茂みに入ると、友達は待っていた。甘えた声で擦り寄る数匹の友達。
「みんな、待たせたね」
ボクがタッパーを開けるとみんなそれに飛びついた。此処に居る友達はボクを必要としてくれている。ただの餌付けだと言われてしまえばそれまでだけど、ボクはそうじゃないと思う。
あれ! シロがいない。シロはこの公園で出会った初めての友達。元はといえばシロの為に残飯を持ってきていたのだ。今までシロが居なかったことはない。
「シロ、シロ、シロ……」
するとボクの声に呼応したシロのか細い声が聞こえた。声がするほうへ歩み寄るとボクは生まれて初めて、血の気が引くという現象を体験した。真っ白なはずのシロの頭部が赤く染まっていたのだ。
シロがよろけながら歩いてくる。弱々しい鳴き声。まっすぐに歩けていない。ボクはシロを抱きかかえて街燈の下でシロの赤い顔を確認した。
「酷い……どうしたんだよ、シロ!」
シロの右目は潰れていたのだ。ぐったりしたシロは急に激しい痙攣を始め、ボクの手から暴れるようにして転げ落ち、ボクの足元でバタバタもがきながら白い毛を撒き散らす。
ボクは何もできなかった。声すら出ない。切り離された蜥蜴の尻尾のようにうねり暴れ回り、やがてシロは前足と後ろ足をピンッと伸ばしきったまま動かなくなってしまった。
「……シロ……シロ……」
もう呼吸をしていない。死んでしまったのか? どうして? 嘘でしょ? こんなのありえないよ。シロは悍ましい顔のままで、だらりと垂らした舌をしまう様子はない。これが『死』なのだろうか。
ボクは眼を見開いて逝ってしまったシロの血まみれの瞼を閉じ、限界まで開いていた口許も閉じてやった。
よく見ると頭からも血が出ている。でも、どうして、こんなことに……。するとボクの耳に騒がしい声が聞こえてきた。暗くなると人気がなくなるこの公園では珍しいことだ。ボクは身を潜めながら声のする方へ歩みを進めた。
すると食パンをちぎり放っている二人組みを発見した。ボクは気付かれないように距離をおき、植木の影から様子を伺った。
この公園にはノラ猫が無数にいる。彼らもボクと同じように餌を与えているようだ。ほっと胸を撫で下ろし踵を返したその時だった。
ギャアアアアアア! という悲鳴のような泣き声にボクは振り返った。ネコが毛を撒き散らしながら、飛び跳ねて茂みへと逃げていった。ボクは瞬時に理解した。コイツラがシロをヤッたのだと。
男達はピストルを構えていた。おそらくガス銃だろう。
「よっしゃあ! 4発ヒット~」
「あれじゃあ致命傷になってねえじゃん。さっきオレが撃った白いヤツみたいに、全部、頭に撃ち込まないと意味ねえよ。あの白いの、たぶん今頃死んでるぜ!」
「ちっきしょ~! オレも殺してえ~! 次のターゲット探そうぜ!」
ウキウキと談笑して笑い合っている光景を見て、頭の中は真っ白になり、身体中が真っ赤に焼き尽くされるような感覚になった。
ボクのせいだ。ボクが毎日のように残飯をあげていたせいで、餌をくれる人間に慣れ過ぎてしまったのかもしれない。
シロの潰れた右目、真っ赤な頭とリンクする。ボクは自分の腕を噛んで、発狂しそうな怒りを噛み殺した。
餌に近づいてきた猫をガス銃で撃つという卑劣な行為。頭の血管が破裂しそうだ。
この世界はどこまで腐っているんだ。心の底から切実に思う。お願いだから死んでくれ。
友達が殺されたんだ。警察に通報しよう。ケータイを開き110をプッシュする。
……待てよ。よく考えろ。奴らが捕まったとしても、改造銃の所持とノラ猫の殺害で、どんな罪に問われるのだろう。きっと、たかが知れている。時が経てば、どこかで奴らは笑っているに違いない。
ボクはケータイを閉じた。奴らはボクが裁く。後悔させてやる。シロの苦しみを奴らに刻み込む。悪には悪を。痛みには痛みを。血には血を……。
奴らは銃にBB弾を補充した後、獲物を求め歩きだした。ボクはサバンナで狩りをするライオンのように身を低くくして、それを追う。でもボクはライオンではない。ひ弱な中学生だ。ヤツラはどう見ても成人男性。しかも二人。それに加え、シロの眼球を潰すほどの改造ガス銃で武装している。かなり分が悪い。だからって怯まない。
ボクは許さない。絶対に許さないからな。被害者だけがバカを見て、加害者が笑っている、そんな世界はおかしいんだ。間違ってる。
痛みを知らないのなら、教えてやるんだ。あんなこと、もう二度としようと思わないように。
そんなことをいっても成す術がない。いったいどうすればいい。しばらくしてボクにチャンスが訪れた。一人がトイレへ向かった。もう一人はハンティングを続行する様で、先へと進んで行く。ボクはトイレに向かったヤツを追うことにした。
ボクはパーカーのジッパーを目一杯上げてフードを被り、紐をギュッと絞り、顔を隠し、そろりとトイレに忍び込む。
男は便器の上に銃を置いて用をたしていた。ボクは背後から忍び寄り、憎しみや怒りを込めて男の股間を蹴り上げた。
男は聞いた事もないよう呻き声を漏らし、小便を垂らしながら便器に突っ伏した。すかさず男の後頭部に踏み付けるように蹴りを見舞った。鈍い音と共に男は動きを止めた。
ボクは便器の上の銃を慌てて手に取った。以外と重い。田口を刺した時のような高揚感を感じている。迷わずボクは男に銃口を向け、うずくまる背中に発砲した。
パシュッ、パシュッ、パシュッ、鳴る銃口からの歯切れの良い噴射音はボクの気分を高揚させる。
痛がれ、悪人め。どうだ? 撃たれる気分は?
だが男の反応は無かった。つまらないので顔面を踏みつけると呻き声を上げ、やめてくれ、と弱々しく懇願したが、ボクは聞こえないフリをして、男がぐったりしても踏み付け続けた。
気づいた時には喉がからっからに渇いており、100メートル走をした後のように息切れしていた。赤くなった便器を枕のようにして眠る男を見て思った。ボクは最強だと。
そして次の捕食へ向うとヤツはいた。先程の会話からして、コイツがシロを殺した。男は相変わらず次のターゲットになるノラ猫を探している。
荒くなる呼吸。高鳴る鼓動。意味のわからない身震い。もしかして、これは武者震いというやつなのか? 初めての経験だ。
足の裏が地面にちゃんと接地していないのではと疑う程、フワフワした浮遊感が違和感を生んでいる。ボクは大きく息を吸い込んだ。怖いものなど何もない。
男は遊歩道脇の植木を覗き込んでいた。ボクは足元にあった石を放り投げてみた。すると男はその音に反応し、そちらへ歩みを進め、音がした辺りで食パンをちぎり、誘うように舌を鳴らし始めた。
そうやって何食わぬ顔でおびき寄せ、餌に食いついた猫を撃ち殺していたんだ。冷静さを失わぬ様、自制心を保つことで精一杯だ。動悸が速まる。銃を握り込む掌が痛い。
ボクはそっと男の背後に回り込んだ。男は今か今かと植え込みに向かって銃を構えている。男は喉仏を大きく縦に動かし唾を飲んだ。
ボクは男の腕を蹴り上げた。銃は舞上がり、男はこちらに振り向く。その瞬間ボクは男の目を狙い、引き金を引く。一度や二度ではない。連続で人差し指を動かす。しかも超至近距離で。
「ぎゃあああああああああ!」
断末魔の叫びは先程の猫のそれとは比較にならない。ボクの身体中の毛は逆立ち全身の血が沸騰した。
大袈裟なほどにのけ反って倒れ込んだ男は右目を抑え、打ち上げられた魚のように身体をくねらせながら足をばたつかせている。
これがシロと同じ痛みだよ。今のキミならわかるよね? あ、でもシロは死んだんだよ。死ぬ前に痙攣してさ。それを見てボクは何もできなくてさ……。きっと脳神経まで弾が達していたんだね。あんな惨い死に方させやがって。
オマエがこの世に生まれてこなければ、シロは死ななかった。そしてボクがいなければ、オマエの手によってもっと多くの命が奪われていただろう。
おお、神よ。アナタの声が聞こえてくる。『悪を撃て』と。ボクは神に遣われる天使だ。これは使命だ。
神に代わって罰を与えます。生きながら死になさい……。死んだように生きなさい……。
何度蹴ったのだろう。ボクは男が気を失うまで頭部を蹴り続けた。大人しくなったのを確認すると、ボクは落ちていた男の銃も手に取り二刀流になった。もうこの世の誰もがボクには敵わない気がする。
ボクは二つ銃口の男の左右の瞼に押し付けた。闇の住人よ。生涯をかけ暗闇の世界を満喫しなさい。このクソヤロウ!
ボクは神に代わって引き金を引いた。
「ぎゃあああああああああ!」
人間も猫も同じ。命の重みも同じ。感じる痛みも同じ。……同じなんだよ。
一生暗闇の中で生き続けて、一生かけて報いろ。
ボクは弾切れになるまで撃ち込んだ。男はずっと喚いていた。この男も何ら田口とかわらない。ただの人間。そう、本間も人間。ボクと同じ人間。恐れる理由なんてなにもない。アイツラに怯えていたのがバカらしくなる。アイツラは群れているだけ。虫だって大群ともなれば強大な力となる。でも一匹ではほぼ無力。アイツラは虫。ボクは人間だ。
シロを埋めてやりたかったが、長居するのは危険だ。ここで捕まってしまうわけにはいかない。まだ本間が生きている。
ぐったりと地面にへばり付いたシロの身体を撫でた。
「守ってやれなくてごめんな。でもヤツラにはシロと同じ痛みを与えてやったよ。許してな。さよなら……ボクの友達」
シロを茂みの中へ移動し、タッパーを自転車のカゴに投げ入れ、ペダルを強く踏み込む。街灯が揺らめき、シロとの思い出が涙と共に流れ去る。
学校の帰りに寄り道した公園のベンチに佇む傷だらけのボクに、歩み寄る白いノラ猫。君はボクの指先を舐めた。何度も何度も……。あの時のざらついた舌の温もりを忘れられない。ありがとね。シロ。いつまでも忘れないよ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます