1992年5月30日(土曜)27歳の未亡人は煩悶する。

 入り口に近いテーブル席、常連客の磯貝という40がらみの男が言ってきた。

磯貝の顔は赤く、早くも酒が回っている様子だ。

「あかんでえママ、ウマちゃんみたいな、いたいけな少年を惑わせたら」


 惑わせられてるのはどっちかと言うたらあたしの方やねんけどな。多笑は磯貝に返事の変わりに苦笑を返した。


「磯貝のおっちゃん、俺もう多笑ちゃんが放つ大人の魅力にふらふらや」

暴馬が悪乗りする。


「なんや、ウマちゃんはあれか、童貞か?」


「せやで、俺チェリーボーイやねん」

暴馬は頷いてから、多笑に笑みを向けてきた。

多笑は唇を歪めて暴馬を見返した。

何がチェリーボーイじゃ、この悪童!

ごんたくれのくせに何とも言えん愛くるしい表情しやがって!

そんな表情、あたしに見せるな!

こちとら未亡人歴3年、27歳の女やぞ!

そら、間違いも起こしてまうっちゅうねん!

抜け出し難い泥沼に嵌まるっちゅうねん!


 嫌になってきた。自分自身の弱さが。

翔平。死んだ旦那の名前を内心で呼んでみた。あんたが悪い。あんたが早ように、24歳なんて年齢で死んだせいや。

「はぁー」多笑は今夜9度目のため息を吐いた。

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