手放せない
@kinokino0901
本文
「パリン」
絶望の音がした。恐る恐る左手を見ると、スマハに大きな亀裂が入っている。目の前が真っ暗になった。
スマハ、それは魔法の機械だ。現代を生きる上で最も手放せないものの一つであり、まさに自分自身の一部だ。発売当初は強い反発もあったが、4年経った今では若者の間の普及率は9割を超えている。実際、私のクラスでもスマハを持っていないのは一人だけだ。貧乏でスマハを買えないに違いない、とか噂されていた。
そんなことをぼんやりと考えながら、真っ暗な画面に反射している自分の顔を眺める。電源を入れようとしても、全く反応がない。文明の利器が、急に物言わぬ鉄塊になったことに、信頼しきっていた友人に裏切られたかのような不安を覚えた。
「修理、最悪買い替えかなぁ…はぁーあ、メンド」
そう呟き、階段を駆け下りていった。
リビングに入ると、父親がふんぞり返ってテレビを見ていた。
「続いてのニュースです。文部科学省の発表によりますと、中学生および高校生のうち、運動部に所属している学生の割合が4.9%になりました。4年前と比べて約62%の減少です。近年の急速なスマハ普及が原因だと考えられており…」
白髪交じりの専門家が、運動による脳や体の発達の重要性を偉そうに述べていた。ふと、夏休みに入ってから一度もまともな運動をしたことがないのに気がついた。しかし、そんなことはどうだっていい。だって、一度スマハを手に入れたら、スポーツなんてやってられないのだから。
「父さん」
「おう、みどりか。どうした」
「スマハぶつけて壊れちゃったっぽいからスマハショップ行って来る」
「なんだ、久しぶりに降りてきたと思ったらスマハの話か。あれ、修理代も高いだろ。いっそ解約したらどうだ」
こうなることは薄々わかっていたのに、律儀に報告しようと思った自分を恨む。父は、他の同年代の大人と同じように、根っからのスマハ反対派なのだ。
猛反対する父との3週間にもわたる激しい攻防戦を制し、ようやくスマハを手に入れた1年前のことを思い出す。手に入れてから2週間程は日常生活にも苦労したが、それを補って余りあるメリットの数々に感動したものだ。
「おいみどり、聞いてるのか」
そう呼びかける父親に背を向ける。その時、戸棚の上の家族写真が目に入った。5才のときの私が真ん中にいて、母親と父親と手をつないで花畑を歩いている写真だ。10年も前の写真を未練がましく置いていることに無性に腹が立ち、わざと大きめに舌打ちをした。
部屋に戻り、大きな伸びを一つする。机の中からスマハの保証書や、ろくに読んでいない取扱説明書をバッグに入れていく。お金を使う趣味なんてないので、貯金は充分に残っているはずだ。
玄関に向かい、隣でアイロンがけをしている母にひと声かけてから、いつぶりかも覚えていない外の世界へと飛び出していった。
太陽の眩い光が体を突き刺す。家を出てから15分くらいたっただろうか。スマハを使えないので、いつものように音楽を聴いたり動画を見たりできない。自然と目線が下を向き早足になっている。ふと前を見ると、見たことがない豪邸があった。
「あれ? ここ、どこ?」
あたりを見渡すが、閑静な住宅街が広がっているばかりで、見覚えのある景色が見つからない。
「どこで道間違えたんだろ? 地図アプリも使えないし、やばいな…」
暑さによるものとは違う汗が額を伝う。そんな時、目の前の豪邸から3人の背丈がバラバラな子供が出てきた。真ん中にいるのはおそらく男子高校生だろう。小さな男の子と、女の子と手を繋いでいる。道を聞けるかも知れないと思い、運動不足で悲鳴を上げている足に鞭打って近づいていった。
声をかけようとしたその刹那、ぴたりと足が止まった。中央の人物の顔に見覚えがある。思い出そうとしていると、相手から話しかけてきた。
「えっと…小山 緑さんだよね? 僕、辻村。一応同じクラスなんだけど…」
「あ! い、いや何でもない。辻村君ね、うん」
名前を聞いた瞬間、すぐにピンときた。名前はよく聞くが、直接話したことはない。温和そうで、どこか幼いところが残る顔立ちだ。
「ところで、そんなに急いでどうしたの?」
「実は、スマハショップに行こうとして迷っちゃったんだよね。ここ、辻村君の家?」
「そう、僕の家だよ」
目の前の、ハリウッドスターが住んでいそうな家に目を向けた。
「すごい家なんだね。私てっきり…」
そこまで言って、はっとした。失礼な事を言ったと思い、恐る恐る顔を見る。辻村はニッと笑っていた。
「スマハを持ってないから、貧乏な家だと思った?」
思っていたことをそっくりそのままを当てられてしまい、唖然として返す言葉が見つからなかった。いたずらっ子のような笑みを浮かべたまま、辻村は続けた。
「よく言われるんだ。高校に入って、みんなスマハを持ってたからびっくりしちゃったよ」
「じゃあ、何でスマハを持ってないの?」
「うーん、何でって言われるとなぁ…逆に、小山さんは何でスマハを買ったの?」
予想外の質問に、少し戸惑う。
「え? そりゃあ便利だからでしょ。ゲームできるし、動画も見れるし、写真も取れるし。何より、いつでもすぐに友達と話せるじゃん」
そう一気にまくしたてる。後半はなんだか言い訳がましい口調になってしまった。
「僕は友達とは学校で話す分だけで十分な気がするんだよね。それにさ、ゲームとか動画とかよりも現実で遊んだほうが楽しいじゃん。なんというか、生きてるって感じがしてさ」
「生きてるって感じ…」
辻村がいきなり上を向いた。反射的に、自分も上を見る。視界に飛び込んできたのは、一点の曇りもない、抜けるような青空だった。群青が、どこまでも、どこまでも続いている。日常でいくらでも見ることができる、退屈なはずの景色。それなのに、何故かとても新鮮な風景のように思えた。
「ゴーーーーーーーー」
頭の上を飛行機が通り過ぎ、白く伸びる線が世界を二分する。息を吸うと、近くの家でお菓子を焼いているのか、甘い匂いが鼻の中いっぱいに広がった。胸の中にどこか懐かしい感覚がこみあげていくのを感じた。
「お兄ちゃん、まだあ?」
少女の甲高い声が静寂を破った。外出が待ちきれないといった表情だ。
「あ、もうちょっと待っててね。えーっと、スマハショップだったよね」
「いや、もう大丈夫。来た道を戻ればいいから」
「本当? でも…」
「いいから。早く妹さんと弟君と遊んできてあげなよ」
「うん、ありがとう」
辻村のもとに待ちくたびれた二人が駆け寄った。三人が手を繋いだ。子供二人は満面の笑みを浮かべ、辻村は照れたように微笑んでいる。
「お姉ちゃん! じゃあね!」
坂道を昇っていく三人の兄弟の背中と、頭上に広がる蒼穹が眩しく見えた。スマハを直さないといけなかったが、そんな問題はちっぽけなことのように思えた。今までの暑さが嘘のように、家へと帰る足取りは軽かった。
・・・・・・
「ですから、先ほどから申し上げているように、スマハの解約は現時点の法整備と外科手術の技術的な制約により行えません。取扱説明書に記載されているとおりなのでまずそちらを参照してください。それでは、またのご利用をお待ちしております。」
カスタマーセンターの受付嬢の、非情な声が自室に響いた。慌てて、バッグの中に放り込んであった取扱説明書を取り出す。
スマートハンド取扱説明書
本商品の取り付けによって、脳から発する電気信号を内蔵されたスマートフォンが読み取り、タッチをすることなく、瞬時に操作することができます。取り付けの際や使用中の痛みは一切ありません。
機種や右手用か左手用か、などを設定することができます。
(中略)
特別医師免許及び特別機械技師資格を所有している者のみが本商品の取り付け、取り外しを行えます。無断での取り外しは固く禁じられています。
本商品の取り付けによって生じる不利益について、当方は一切の責任を負いません。
(中略)
本商品を一度取り付けた場合、元の手に戻すことができない場合があります。
最後の、小さく記載された一行を読んだとき、後頭部を殴られたかのような衝撃を受けた。左手の先をみる。そこには相も変わらず、手首の先から突き出しているスマハが、鈍い輝きを放っていた。本来あるはずの五本の指はなく、代わりに真っ黒な機械がある。
手首から先を切断し、スマハを接続した時には、かなりの抵抗感があった。鏡で姿を見て、左右非対称となった自分の体を、薄気味悪く思うことも少なくなかった。スポーツをできなくなり、後悔することもあった。それにはもう慣れたはずなのに、体の震えが止まらない。
「本当にもう、元には戻れないの?」
震える声でつぶやき、取扱説明書を睨む。大きく書かれている、痛みは一切ない、という記述が憎々しい。そうだ、使ってみるとスマハは信じられないほど便利なのだ。頭の中で思い描いただけで、文字通り手足のように動き、もどかしさは一切ない。でも、それは表面上はそう見えているだけだ。
頭の中にあの家族写真が浮かんできた。5歳の時の、まだ指がある私の左手は、しっかりと母親の手を握っている。もう戻ることができない、遠い過去の日常。私が気付かないうちに失っていた風景。あの青空が、兄弟の背中が、遠のいていくのを感じ、気づけば涙がこぼれていた。
・・・・・・
「みどりちゃん、ご飯できたわよ」
母の声がした。熱中していたゲームをやめようと思った瞬間、スマハはホーム画面に切り替わった。電源を切り、スマハを眺める。5日前に取り替えたばかりの新モデルは、よりデザインが洗練されている。満足感を覚え、次はどんなゲームを始めようか考えながら階下に降りていった。
手放せない @kinokino0901
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