第8話 いつかこの場所で その1

「・・・・」


 少し痛む頭を無視し、起き上がると見慣れない……いや、この時しか見ない天井を目にする。


 もう何度目になるのか、このクリーム色の天井を見るのは……

 


「やっと起きたのね・・」

「えっ? なっ!?」


 俺の目の前には、大きめのYシャツ一枚だけを着た、眼鏡姿の長月が立っていた。


 何度見ても、やはりこの時の長月はエローー。


「どうして? そんなにマジマジと私を見ているの?」

「なななな、何故、君がここにいる? と、いうかここは、どこだ!!」

「質問は無視、か。まぁ、いいわ。あなた、何も覚えていないのね……」

「ちょっと待て!! 俺は、いったい、君に、何をーー」

「そうなんだ。何も覚えてないんだ……へー……」


 無機質な言葉をただ続け、長月はそのまま自身のくまのカップにホットミルクを注ぎ始める。


 今更だけど、本当にはじめての時は焦った……。


 だって、こいつはなかったはずの話さえも、あったかのように話すのだから……。


 まぁ、今はこの茶番に大人しく踊らせているフリを続けなければならない。


 この長月は、まだ……俺の知る長月紅音になっていないのだから……。


「えっ……あの、つまり、俺……いや、僕は、あなた様にーーあの……えーとーー」

「シャワー……」

「はいっ!?」

「浴びてきたら……寝汗……書いてたから」

「いや……でもーー」


 長月が髪をかきあげ、濡れた髪から女の子特有の甘い香りが匂う。


 ただのシャンプーの匂いだというが、野郎が同じものを使って限りなく近い匂いをさせたとしてもこの独特の甘さは再現できない。


 本当に不思議だ。


 長月が、湯気のまだたっているホットミルクの入ったくまのカップを両手で持ち、俺をじっと上目遣いで見つめている。


 これが後にも先にも、長月が俺に見せた可愛いのテンプレートだった。


 まぁ、正確にはこれは長月ではなかったのだから、こんな長月が見れるのは最後になるのだが……。


 本当……いい趣味してるぜ。あのお兄様は。


「は、入ってきます!!!!」


 その場から逃げるように立ちあがり、走り出す。


「そっち、逆ーー」


 長月の言葉より先に俺はその扉を開く。


 もう、わかっているが、そうこれは再現。再現だ。必要なことなのだ!!


「なっ!?」


 目に飛び込んできたのは大量の洗濯物がつまれ山になったカゴ、そして、その頂上にあり、堂々とその存在感をアピールしている黒い下着。


「うわー! バカバカバカ!! 俺のバカ!!! 見るな! 見てはいけない!! これは断じてーー」


 言葉とは裏腹に、両手で隠した隙間からガッツリとそのお宝を目に焼き付ける。


 これは、演技、演技なのだ!!!


 そんな、俺がパニックに陥ったフリをしているのを見て、長月が俺の裾を優しくクイクイと引っ張る。


 長月は、そんな俺を不思議そうに……いや、違うなんかちょっと怒ってる!?


「……えっち」


 ありがとうございましたー!!!!


 お兄様、ありがとう。今だけ、あんたにあんたの趣味に感謝するよ。


 こんな長月きっと、一生見られないからな!!


「だー! 違う!! 違うんだ長月!!! これは、事故で! だから、だから、許してくだーさい!!」


 目にも止まらぬ速さで長月に土下座をする。


 ここまで来れば、なんだか若干の罪悪感すら感じている。


 だって、本当の紅音はお兄様たちだけでなく、今俺にすら騙されている。


 この時の記憶は、紅音の中には残らないがーー。だとしても、少し、やりすぎたかもしれない。


 この土下座だけは、フリではなく今までも懺悔も込めて本気で行う。


「……お風呂、こっち……」

「へっ?」


 長月が俺を強引に立ち上がらせ、浴室へと引っ張っていく。


「ごゆっくり……」


 長月は無機質な表情で、その一言だけ言うと浴室を出て行く。


「……」


 シャワーを捻り、すぐ止めて。浴びずに浴室を出る。


 茶番はここまでだ。

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