0-12 揺籠の中
そうして、赤無垢姿で向かったのは、御社内で唯一地下へと繋がる部屋『あわいの間』だ。
部屋と言っても控え室のようなもので、さほど広くはない。板の間で、六人が寝転がれば埋まってしまうほどのものだ。
地下へと続く道も、二人が横に並んでやっと通れるほど。三人では通れないくらいの幅なので、とてもではないが大人数で行ける場所ではないのだ。
これは一部の人間にしか知られていない極秘事項だが、
警備の観点から、ここへ入れるのは王族か、
そして神祇省の長官は、その代の王が兼任して行なうことになっている。
それくらい厳重かつ大切な場所なのだが、実をいうと織雅はここがあまり好きではなかった。
(だって、ここにいるとなんだか……自分が、自分でなくなるような、不安な気持ちになるのだもの)
それは華王陛下の神気に当てられているからよ、と母は言うのだが、そういう圧とは別のものを感じるのだ。
しかし、泣き言を言ってはいられない。
(だって私が次の、女王なんですもの)
そして女王としての最初の仕事は、神前にて婚姻の許可を得ることだった。
それも、この際に入れるのは花嫁と花婿のみ。
つまり、ルシフェルと二人きりということになる。
(ど、どうしましょう……色々な意味で不安になってきたわ……)
それが顔に出ていたのか、一緒に『あわいの間』で待機していた
「織雅ちゃん、大丈夫?」
「すこし、顔色が悪いようだが……」
「だ、大丈夫です……それに、この日のために、色々と用意してきましたから」
織雅は婚姻式までの三日間、毎日欠かさず禊を行なっていた。華王陛下の前へ不浄を持ち込まないようにするためだ。
また、今回の婚姻式で述べる特別な
そんな万全の状況で婚姻式を取りやめるなど、あってはならない。
特に即位式は、決められた流れ通りに行なうからこそ価値があるものなのだ。
そう思い、無理をしつつも笑みを浮かべていると、襖が開かれる。
現れたルシフェルは、普段とは違い純白の軍装を身にまとっていた。
初対面で着ていたときのものを黒から白にして、全体的に金の装飾を増やした形、とでも言えばいいだろうか。おそらく、エーデルフューレン帝国の神事における最高礼装なのだろう。
しかし色を変えただけなのに、神々しさすら感じられる雰囲気に、織雅は言葉を失った。
(綺麗)
思わず人目も憚らず、ルシフェルのことを見つめていると、彼は目を瞬かせる。
「……どうかされましたか」
「あ……綺麗ね、ルゥ」
「…………………………織雅も、大変お美しいですよ」
(その間はどういう間なのかしら……)
しかし、お世辞であろうが言われて悪い気はしないので、にこりと笑みを浮かべて答えた。
そのおかげか、先ほどまで感じていた胸の苦しさはだいぶ薄れている。
何より、最高礼装を着ていてもピアスと組紐だけは変わらないその姿に、なんだか安心感を覚えたのだ。
(ルゥにとってそれは、どんなときでも身につけていたいと思う大切なものなのね)
そして、織雅が作った組紐もその中に入ったのかと思うと、少し誇らしい。
そういったこともあり思わずにこにこしていると、幾分安心した顔をした母が、預けてあった真紅のヴェールを顔にかけてくれる。
「ルシフェル様。織雅を、どうぞよろしくお頼み申します」
いつになく真剣な声色で頭を下げる両親に、織雅は目を瞬かせた。
しかしその違和感に気づくより先に、ルシフェルに右手を取られる。
「言われずとも」
底冷えした、はっきりとした嫌悪と殺意をないまぜにした声音。
今まで聞いたことのないほど突き放した言い方をしたルシフェルに、織雅は思わず顔を見上げた。
しかしその顔にはなんの感情も宿っていない。
(なのに、この雰囲気は、いったい……)
混乱し、どうしたらいいのか分からなくなってしまった織雅。
その一方でルシフェルは彼女の手を引き、地下へと繋がるその境目で靴を履き、織雅に草履を履かせてくれる。
「……行きましょう」
そしてまるで案内でもするかのように、そっと、織雅の手を引いて地下へ繋がる階段へと導いてくれたのだった。
『あわいの間』から華王陛下が眠る神前までの道のりを、『咲良通り』という。
ここを通るのは、これで四回目だ。
一度目は三歳のとき。
二度目は五歳のとき。
そして三度目は七歳のとき。
子どもの成長を祝う節目のたび、織雅は両親に連れられてこの細道を通った。
『咲良通り』はその名とは打って変わり、真っ白な石でおおわれた洞窟を人工的に掘り進めたような場所だ。
石そのものがほのかに発光しているため明かりは必要ないが、塵一つ、呼吸の音すら許さないような、そんな静謐さが染み込んでいる独特の空間である。
そこを歩くたびに、りん、りん、と鈴のような音が反射して、通り全体に反響する。
ぞくりと、織雅の背筋に悪寒が走った。
(……どうしましょう。七歳のときに来たときより……ずっと、怖い)
体そのものが、この先へ向かうことを拒絶しているかのような恐怖感だ。それもあり、歩みが遅くなっていると、それに気づいたルシフェルが織雅を見下ろす。
「……どうか、しましたか?」
「あ……」
織雅は、ぎゅっと、繋がっているほうの手を握った。
「……恐ろしくて」
正直に本音を打ち明ければ、ルシフェルが目をすがめる。
「……その恐怖心を、俺は分かってあげられません。ですが」
そこで切り、ルシフェルは少しだけ握る手の力を強めた。
「そばにいることは、できます」
「……あ……」
「それでよろしければ、どうぞ俺のことを利用してください」
その言い方がとてもルシフェルらしくて。
織雅は、くすりと微笑んだ。
「ありがとう。頼りにしているわ」
事実、頼りにしている。この世の誰よりも。
それくらいの安心感が、ルシフェルからは感じられたのだ。
一瞬、白手袋に包まれた手が震えた気がしたが、表情に変わりはない。
「……行きましょう」
――そうして辿り着いた先には、幻想的な光景が広がっていた。
『咲良通り』同様、壁面は淡く発光する純白の石で覆われている。しかし通りとは違い広く丸くくり抜かれたそこは、
しかしそれよりも印象的なのはやはり、天井から生えているものだろう。
大樹の、根。
それが、天井を貫いて露出した形、とでも言えばいいだろうか。
この上を辿っていけば、そこには永久咲きの桜があることだろう。
そしてその根は、大きく丸い球体を抱き締めていた。
人一人など余裕で入れてしまうほど巨大な玉。淡い薄紅の玉はまるで霧にでも覆われたかのように白くもやがかっていて、その奥に何があるのかは分からない。
しかし思わず跪きたくなるほどの神気から、ただならぬものだということは理解できるのだ。
この中に、
光り輝く桜色の球体を抱きかかえていることから、ここは『
その揺籠の下には池があり、水面が広がっている。
透明度がすごく高いのに、それでもどこまで底があるのか見えないからなのか、背筋がぞくりと震えるのが分かった。
思わず声が漏れそうになるが、ぐっとこらえる。
『咲良通り』でならいざ知らず、『揺籃の間』で華王に許しを乞う前に発言するなど、あってはならないことだからだ。
事前に準備がしてあり、池の前には緋毛氈が敷かれている。
思わずルシフェルのほうを見れば、彼は視線を向けることもなく、かといって突き放すようなこともなく、そのまま織雅のことを導いた。
履き物を脱いであがり、そのまま座す。
(大丈夫……作法通りに)
そして織雅は二度、浅く頭を下げた。
その後、二回拍手。最後に深々と一礼をする。
これは、高貴なる華王陛下に目通り叶ったことに対して感激すると同時に、讃える意味がある古来からの行為だ。
それから顔をあげ――
「かけまくも綾にかしこき
そう、祝詞の一文目を読み上げた。
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