0-11 心の壁は叩いて壊す

 一回、二回、と織雅は目を瞬かせた。一瞬、何を言われているのか分からなくなったからだ。

 しかしその一方で、和泉子はものすごく真剣な顔をして語りかけてくる。


「冗談とかじゃないの。お母様は本気よ?」

「は、はい……」

「事実、このお役目はとなりに大切な人がいたほうがずっとはかどるわ。お母様が断言する。お父様がいたからこそ、私は今まで頑張ってこれましたってね」

「それは……」


 それはきっと、事実であり本心だろう。だって母と父は、相思相愛なのだから。


「それに……お役目に専念しなければならないからと言って、恋してはいけない理由にはならないでしょう? 両立できたらいいんだから」

「……確かに、そうですね」

「ここまで言っても、まだ踏ん切りがつかない? その理由、分かる?」


 そう言われ、織雅は少し考え込んでから結論を出した。


「その……ルシフェルのほうがあまり、私を好いていないようなんです。それを考えると、不毛かなと思ってしまって……」


 織雅が少し落ち込みながらもそう話すと、今度は和泉子のほうが目を丸くした。


「彼が、あなたのことを好いてない……ですって?」

「は、はい。初顔合わせの際に『よろしくしなくていい』と言われましたし、避けられますし。それに、一緒に出かけても顔をしかめてばかりなので……」


 そう説明すると、和泉子は考える素振りを見せた。

 そして言う。


「……こう言ったらなんだけれど、ルシフェル様は元から人間がお嫌いよ」

「え」


(それはなおのこと、不毛なのでは……)


 母にすら追い打ちをかけられ、思わず沈みそうになった織雅だったが、それを見た和泉子は慌てて首を横に振った。


「ああ、違うの。わたしが言いたいのは……彼は確かに人間がお嫌いだけれど、同時に大多数の他人に対して興味がないの。だから、織雅ちゃんのことを本当に避けたいならば、存在すら認識しないと思うわ」

「……そうなん、です、か……?」

「ええ。それにお母様は嫌われてるから、すごく刺々しい態度を取られるし、ときには殺意のこもった目で見られてるわよっ!」


(上と下の対応の差がすごすぎないかしら、それ……零か百かって感じよ……?)


 中間はないのだろうか。


 何より、母がルシフェルに嫌われているらしいことにも驚きだ。

 しかしその話が事実ならば、ルシフェルの対応にいささか疑問が出てくる。


 織雅がそのことを深く考え込む前に、和泉子は少し微笑みながら口を開いた。


「だから、織雅ちゃんは別に嫌われていないと思うわ。むしろ好かれているのかも?」

「そ、それは……さすがに……」

「もしくは、あえて嫌われようとしていたり?」


 そう言われ、織雅は首を傾げる。

 謎ばかりが積み重なる中、和泉子はぐっと拳を握り締めた。


「どちらにせよ! 織雅ちゃんが恋心を諦める必要はないと、お母様思うわ!」

「そ、そうでしょうか……?」

「ええ! それに」


 和泉子はにっこりと微笑む。


「織雅ちゃんがそこまで悩んでいるってことは、本当に好きなのでしょう?」

「あ……そう、なのでしょうか?……いえ、そうですね」


 一度自身の心に問いかけるように口にしてから、改めて実感する。


(そう、だわ。私、ルゥのことが好き)


 どうして、と言われたら、一目惚れとしか言いようがないが、どうしても心惹かれるのだ。

 これが運命だというのであれば、きっと心の底から納得してしまうだろう。それくらいのものを、織雅はルシフェルに対して感じていた。


 こんなにも心乱されて、調子を崩される。これが恋でないのなら、一体なんだというのだろう。


 自身の胸に手を当て、これが恋なのだと改めて自覚する。そうしたら不思議とすとんと、胸に落ちてくるものがあった。


「決意が固まったみたいね」


 和泉子からそう言われ、織雅はこくりと頷く。


「はい、お母様」

「そう。なら遠慮する必要はないわ。ぐいぐい押して、ルシフェル様の心の壁を壊しちゃいましょ! 目の前の障害は叩いて壊す! これが咲良家の鉄則よ!」

「はい!」


 母にそう背中を押された織雅は、強く頷いた。

 同時に、ひどく感動する。


(やっぱり、お母様はすごいわ)


 少し話しただけで、直ぐに心のつかえがとれた。今まで悩んでいたことそのものが馬鹿馬鹿しいと感じるくらいだ。母に話をしなければ、きっとこんなに心地のよい気持ちのまま、婚姻式に出られなかっただろう。


 そう。目先、一番の問題は、婚姻式だ。

 それは何故か。

 ――織雅が、婚姻式が開かれる会場を、苦手としているからだった。



 *



 婚姻式当日。

 織雅は補佐官であるかさねと紬に手伝ってもらいながら、私室にて赤無垢を身にまとっていた。

 本来であれば白無垢が基本の花嫁衣装なのだが、王族に限っては赤無垢を着用することが決まっている。それは赤が桜の神キルヘミリナの色だからだ。


 赤無垢の地模様にも桜が使われている徹底ぶりで、先祖代々大切に使われてきた特別なものだ。地紋にも桜が描かれており、光の加減によってその模様が浮き彫りになる。


 髪は編み込みにして、そこに桜のぶら下がる簪を幾つも挿す。最近流行りの現代的な髪型で、これは桜の神キルヘミリナが新しいものをどんどん取り入れる神だったことからなる文化だ。


 古くから続く伝統的な衣装と、今を象徴するような髪型。

 これが揃って初めて、水杜の婚姻は成立する。


 その上で、かさねの手によって化粧を施された織雅は、鏡の前でほう、と息をはいた。


(綺麗……まるで、私ではないみたい)


 思わず言葉を失っていると、後ろで控えていたかさねと紬が号泣している姿が鏡越しに見える。


「ウッウッ……ミヤ様、本当にお綺麗で……」

「や、やだ。かさねの腕がいいからよ」

「わたしは、ミヤ様の魅力を最大限引き出せるよう、少しばかりお手伝いさせていただいただけです……」

「くぅ……これで結婚相手があのいけすかない男でなければ、僕も安心して送り出せるんですがね……!」


 それを聞いた織雅は、あ、と声をあげた。


「そうそう、二人には言っておかなくちゃ」

「ぐす……な、なんでございましょう……?」

「ウッ……なんなりと仰ってください……」

「うん。私、ルゥ……ルシフェルのことが好きなの」


 瞬間、今まで鼻声を滲ませていた二人の動きが、それはもう見事なくらいぴたりと止まった。

 二人は数回目を瞬かせた後、表情を強張らせる。


「……本気、でございますか……?」

「ええ、かさね」

「本気と書いてマジ、と読むやつですか……っ?」

「もちろんよ、紬」


 鏡越しに視線を向ければ、二人は少しの間押し黙ってから深くため息をこぼした。


「……承りました。ミヤ様が本気なのでございましたら、わたしたちから言えることは何もありません」

「あら、意外。『やめておいたほうがいい』とでも言われるのかと思ってたわ」

「僕たちが忠告をしたところで、ミヤ様がそれを曲げない方だということは重々承知していますから」

「それはその通りね」


 特に今回の織雅は、母からの激励を受けてこの結論に至った。一度悩んでから決意を固めた織雅を説得するのは至難の業だと、この二人は昔からの付き合いでよく知っているのだ。


 一度決めたことは、ねじ曲げない。そんな咲良織雅の決意を。


 しかしどうやらそれだけではないようで、かさねは気まずそうに顔を逸らしている。


「どうかした? かさね」

「……絶対に言うまいと思っておりましたが、この際ですので言わせていただきます。初めてあの男と顔を合わせたその日から、ミヤ様はあの男のことばかり見ておりましたので、実を言うとなんとなく悟っておりました」

「……え? そんなに?」

「はい」


 それに対して紬も、深く頷く。


「悔しいですがね……だからこそ余計に『この男、何様のつもりだ?』ってなっていたんです」


(妙にルゥに噛みつくなと思っていたけれど、なるほど、そういう……)


「くっそ……ミヤ様を、あの男に取られる……それも二重の意味で……」

「建前だけでなくお心まで奪うなど、許しがたいですね、紬……」

「ほんとだよ、かさね……」


 本気で悔しがる双子の姉弟を見て、織雅は思わず笑ってしまった。


「そんな顔しないで? それに、私が一方的に好きなだけだし」

「それがまた腹立たしいのでございますよ! 何様のつもりですか!」

「ほんとですよ! いけすかないすまし顔をしやがりまして……!」


 これ以上ヒートアップする前に、と思い、織雅は笑いながら二人を嗜めた。


「ほらほら、そろそろ時間だから落ち着いて。それに、人の心は自由なものよ。だからルシフェルが私のことを受け入れなかったとしても、それは仕方のないことだわ」

「……それは、そうですが……」

「それに。だからこそ、アプローチのしがいがあると思わない?」


 絶対に何があっても諦めない。はっきりと振られない限りは。

 その意思を見せると、二人は少し呆れた顔をしながらも頷いてくれた。


「……分かりました。あの男のためだというのは死ぬほど癪ですが……ミヤ様のお手伝い、させていただきます」

「そしてぜひ、あの男を落としてくださいね! そのときは笑ってやりますから!」


 不器用ながらも二人らしい激励を受け、織雅は花が綻ぶように微笑んだのだった。

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