第4話 とある夫からの話
優香は、白石優香は殺されるような人じゃなかった!
……はぁ、すみません、気持ちが昂って。いえ、もう大丈夫です。
はい、子供たちは実家に預かってもらっています。母親が亡くなって、心細いと思うので。
お茶も出せなくてすみません。そういったものは全て妻がやっていたので、私にはさっぱり……。
私と優香は九年前、知人の紹介で出会い、結婚しました。子供は上が小二で、下が五歳です。二人とも、母親がいなくなったショックで塞ぎ込んでいます。……私もまだ少し不安定なので、今は実家を頼っています。
いえ、大丈夫です。気持ちの整理はついてきたので。……話せるうちに、世間がこの事件を忘れないうちに、優香について話しておきたいんです。何でも聞いてください。
……家での様子、ですか。
子供たちには「人を思いやりること大切だ」とよく言い聞かせていました。「仲間外れにせず、ひとりぼっちをつくらない。みんなで仲良くするのが大切だ」とも言っていました。
そのおかげで、娘も息子も他者を思いやれる、優しい子に育ってくれたと思います。
……はい、教師というのもあって、教育熱心でした。でも、愛情あふれる人でしたよ。まあ、多少強引なところもありましたけど、子供たちは楽しそうに学んでいました。
……そうですね、上の子がなかなか九九を覚えられなかったときも、根気強く練習に付き合っていました。国語教師でしたが、英語教育にも熱心でしたね。……いつも子供のことを第一に考える、母親の鑑のような人でした。
……優香の、妻の学校での様子はよく知りません。ですが、家では今話した通り、立派な母親でした。きっと学校でも生徒思いの教師だったに違いありません。そんな優香が、どうして……。
誰かから恨みを買うような人ではありません。私が断言します。
……はい、井上君の話はよく聞いてました。おとなしい子と聞いてたので、まさか、こんなこと、……。すみません。大丈夫です。
優香と井上君の関係……。いつも一人でいるというのは聞いていました。優香は熱心に指導していたみたいです。
……優香が井上君を気にかけていた理由ですか。……それは井上君がいつも一人でいたからではないのですか?いつも一人でいたら、担任として心配でしょう。
……それに、過去にも似たような生徒がいたらしいので。
……優香が教員になって初めて担任をしたクラスに、いつも一人でいる子がいたそうです。彼はちょっと変わった感じの子で、口数が少なく、みんなと距離を置いている子でした。
心配した優香は何度も声をかけたのですが、その度に大丈夫と答えていたそうです。
……でもその子は結局、夏休みの終わりに、線路に身を投げました。遺書には「一人はやっぱり寂しかった」と書かれていたそうです。……その生徒と
が井上君が重なったのかもしれません。
優香にとってこの出来事は相当つらかったのだと思います。大丈夫の言葉を信じ込んで、生徒の苦しみに気づけなかったことが、優香の心にトラウマを植え付けました。酷く思い詰めて体調を崩し、一時期心療内科に通うほどだったと、義母から聞いています。
だから、いつも一人でいる井上君への指導にも熱が入っていたのでしょう。彼があの生徒のように自ら命を絶つ前に、SOSに気づくために。
……彼は快楽殺人鬼なのでしょうか。それとも優香を恨んでいたのでしょうか。私には理解ができません。優香は、クラスに馴染めない井上君の唯一の味方だったと思います。
……どちらにせよ、私は彼を許しません。理由が何であれ、あの悪魔が私たちの幸せを奪っていった事実は変わらないので。
今日話したこと、しっかり記事にしてくださいね。
…… 私は、絶対に彼を許さない。
***
自分が壊れていくようだった。大事にしていたものを奪われ、相手が思うように型取られて、自分でも何が何だかわからなくなった。
最近よく眠れなくなった。いつも通りの時間に布団に入っているはずなのに、アイツのことを思い出すと、目が冴えてしまって寝付けない。意識を落とせそうになる度に、アイツの甘ったるい声が耳元で聞こえてくる。
疲れているのだろうか。気力が湧かず、全身に鉛が吊り下がっているようだ。
寝不足からくる頭痛も加わって、頭がうまく働かず、今まで以上に人と話さなくなった。友人からのメールにも何日も返信していない。
不調は体だけではなかった。暗く悲しい気分が一日中続いたり、急にイライラして怒りをぶつけたくなったりと、以前からはありえないほど気分の浮き沈みが激しくなった。
慢性的な体調不良に心身を蝕まれ、日に日に悪化していく自分の体に、ついてくのがやっとだった。
そんな中でも、アイツとの接触は避けられない。
自分のことを理解してもらえないのは悲しく、自分勝手な解釈に振り回されるのはつらい。でも、「そういう人もいる」と割り切ってしまえば、少しは体が軽くなった。
でも今回は違う。
小さな子供に言い聞かせるような声で、毎日、毎日、毎日、毎日、同じことを繰り返される。気が狂いそうだった。アイツの言葉が聞こえないよう、耳を塞いでしまいたかった。
得体の知れない何かが腹の底で渦を巻き、今にも吐き出してしまいそうになるのを、必死に理性で抑えた。
アイツと会うのがつらい。アイツと話したくない。でも、アイツはそれを許さない。
もう疲れた。どうでもよくなった。
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