第3話 とある記者の話1
「優しくて良い奴、ねぇ」
街角のとある喫茶店で、古市柊也は本日何度目かのため息をこぼした。
過去にタイムスリップしたようなアンティークな空間に、香ばしい珈琲の匂いが漂う。
西洋風のインテリアで統一されたこの喫茶店は、
訪れるだけで日常から抜け出し、ノスタルジックな雰囲気に身を浸すことができるため、古市は学生時代から好んで通っていた。
窓辺に置かれたレトロなランプが、オレンジ色の光を放ち、古市を異世界へと誘う。
店内には品のある寡黙な店主がいるだけで、客は古市だけだ。
音楽と雨音だけが静かに店内を満たしていた。
古市の職業は記者である。大学時代に文芸サークルで鍛えた文章力で今まで数々の記事を書いてきてが、今回の記事には行き詰まっていた。パソコンに文字を打っては消すを繰り返すこと四時間。画面は真っ新なままだ。
中学生が担任の教師を殺したらしい。十四歳だそうだ。
何かの間違えかと思ったが、少年は「価値観を否定され、恨んでいた」と犯行を認めているのだと聞き、一気に現実を突きつけられた。
古市は自分の中学時代を思い返した。友達と一緒に登校し、休み時間に馬鹿をやって、部活に打ち込んだ、若き日の日常。殺人とは縁遠い日々だった。
梅雨特有の湿っぽい空気が体にまとわりつき、苛立ちを掻き立てる。普段ならこの憂鬱さまでも店内の空気にのまれ、風情として感じられるが、今日はそうはいかないようだ。
記者となって十年近く経つが、少年事件を扱うのは初めてだった。
同じ犯罪でも成人と未成年では扱い方が大きく変わるため、今までよりも筆の進みが遅い。
少年事件は慎重に扱わなくてはいけない。
まず、少年のプライバシーの保護のために、実名を出してはいけない。そして少年個人を特定できないように、細心の注意を払って文字を綴ってゆく。以前少年事件を取材した先輩記者からアドバイスを受けながら、必死に情報をかき集めた。
少年は人との関わりが極端に少なかった。そして動機は「価値観を否定されたから」だそうだ。
この二つの情報から、古市は、自分の世界に閉じこもり、残虐さを心に秘めた少年を想像したが、それは違うらしい。
少年のクラスメートと友人に話を聞いたが、少年は人との関わりが少ないというだけで、人当たりがよく、優しい性格なのだという。
ますます少年が人を殺すような子に思えなくなった。
この事件の記事を書くと決まったとき、古市は少年事件について詳しく知るため、関連する本を何冊か読んだ。過去の事件とこの少年を重ねてみるが、どうもピンとこない。
少年事件について語るにあったって、よく「心の闇」という言葉が使われる。
少年の心にも闇があったのだろうか。そして、尊い命を手にかけたのか。そもそも「闇」とは何だったのだろうか。怒りなのか、悲しみなのか。恨みなのか……。彼を殺人へと駆り立てた「闇」とは何だったのだろうか。
パソコンに打ち込んだ「心の闇」の字を削除する。
曇天から降り注がれる線の細い雨がパラパラと窓ガラスを叩いている。
窓の外に目をやると、真っ白な空が目を刺激し、こめかみあたりが脈打つように痛んだ。
少しでもこの少年について知りたい。彼のことを理解したい。
すっかり冷めてしまった珈琲を飲み干し、パソコンを鞄にしまう。そしてスマートフォンを取り出し、次の情報提供者へ連絡を取った。
***
アイツが嫌ならならそもそも学校なんか行かなきゃいい。そんな考えは浅はかだった。
学校に行かなくなって一週間が経ったときだった。午後一時頃、数学の問題集を解いていると、控えめなノックと共にドアが開かれた。
ドアの前にはアイツが立っていた。その後ろでは母さんが困ったような顔で俺の顔色を窺っている。
母さんが席を外し、アイツと二人きりになる。
また質問攻めだ。どうして学校に来ないのか。意地悪されているのではないか。
__一人でいるのが嫌だからか
違う。全然違う。何度も言ってるじゃないか。
アイツはよく「一緒に考えよう」と言う。そんなのは口だけだ。結局は持論を押し付けて、自分の思うように俺をコントロールしようとする。
母さんに相談しようかと思った。でも心配かけたくなかったから、やめた。
他の先生に相談しようかと思った。でも、また否定されたら?
そうすれば、今度こそ心が壊れてしまう。
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