第40話 明月荘で始める
朝、AからBに移ってきたはずの広大に、多歌は当然ながら、
「どうなったか?」
と尋ねた。
広大はそれに対して、
「成果はあった」
とだけ告げて、あとはだんまり。
その後の多歌との雑談には快く応じるものの“本命”に届きそうな気配を察すると、再びだんまり。
多歌がいよいよキレそうになったタイミングで、
「飯に行こう。あと買い物」
という流れになったのだが、この時すでに多歌は煙に巻かれていたのだ。
結果として今現在、「
多歌にとっては、近付きたくない場所であることは間違いない。
だが“ここ”は広大と初めて会った場所もあるのだ。
それを思ってのことか、買ったばかりのキャスケット帽に隠された多歌の表情もどこか定まらない。
「この川沿いの道は『明月荘』に行くのに通る必要は無いよな?」
だが散文的な広大は、構わず多歌に確認する。
「……あ、それは……そうだね」
不承不承、多歌が認める。
「でも……よくわかるね、コーダイくん」
「ストリートビュー」
あっさりと謎明かしをする広大。
「そして、これからやりたいことの一つは、ストリートビューでは確認出来なったことの現場検証」
「あ、それで――」
「そう。ヒバリさんが、この道に現れた理由を探してみたんだが、見当たらなくて」
「それは……」
「いいよ」
広大は短く告げると、迷いもせずに「明月荘」へと向かった。
下調べは万全らしい。
「この先に広場があって……」
川を渡り、五分もかからずに「明月荘」を視界に収める。
広大はその周囲をぐるりと回りながら、ストリートビューで確認した風景を自分の目に収めていった。
「この辺りって広場って言うか、空き地だね」
何かを振り払うように、広大の後ろについてきている多歌が合いの手を入れた。
Aの多歌はともかく、Bの多歌は初めて訪れた場所のようだ。
もちろんストリートビューも確認していない。
今は「明月荘」の南側に回り込んで、その周囲が拓けている事を確認していた。
「確かに。曇り空が似合うな」
「文系だね」
「実は、この辺りにブランコでもあればとも思ってたんだけど」
「ブランコ? でもストリートビューには映ってないんでしょ?」
「ずっとストリートビューのままってことも無いと思ったんだけど……どうも願掛けの一つが叶ったみたいだ」
「……無い方が良いの?」
「絶対では無いけれど、あると焦点がぼやける」
何故か難しい表情を浮かべる広大。
多歌にはわからないが、何かの望みが叶ったはずなのに。
「これって……あの漢字で書いてある『ブランコの詩』に関係あるんだよね?」
「うん。実物があった方が良かったかも知れない」
やはり煮え切らない広大。
そんな状態のままで広大は「明月荘」を中心にして、さらに小さく周囲を回る。
「明月荘」だけを綺麗に切り取るよう回ることは出来なかったが、一階、二階と四つ窓が並んだ「明月荘」の後ろ側には、たどり着くことが出来た。
それぞれの窓には、ベランダとは呼べないような小さな“乗りだし”が設置されている。
木製の窓枠が、少し頑丈になっただけようにも見えた。
この場所が簡易的な物干し台――そんな風に強弁も出来るだろう。
昔の
「本当に、こんな造りだったとはなぁ」
そんな「明月荘」――その二階を見上げながら何かを諦めたように、広大が呟いた。
「えっと……予想は当たってたんだよね?」
「うん」
「じゃあ、何かがわかったの?」
「いや、何かがわかった気になれるだけの材料が……」
広大の言葉が止まった。
そして、本当にイヤそうに「ああ」とため息をつく。
二階を見上げたままの広大が、首だけを多歌へと向けた。
「右から二つ目が、問題の『淵上ひとえ』の部屋」
「う、うん」
「で、その右。右端の部屋が『巻目忠志』の部屋……で、今在宅みたいだ」
そう言って、もう一度広大がため息をつく。
見上げている最中に「巻目忠志」の部屋に人影を見たのだろう。
「いない確率が高いと思ったんだけどな。いや、多分佐藤さんが動いているだろうから、この確率もあったんだろう。五分五分くらいかな」
「え? じゃあ……」
「乗り込むしかないんだろうな。材料も状況も整ったし」
「そ、その……ま、巻目さんの部屋に?」
「ヒバリさんは、そんな感じで被害者みたいな感じでお願い。巻き込まれている感じが欲しかったんだ。それも必要な事だし……」
広大が首を振る。
「僕が悪者に見えるのは、当たり前のこと」
広大は自嘲の笑みを浮かべた。
今までのどんな表情よりも“広大らしく”。
「……そういう風に出来ている」
「ちょ、ちょっと……」
「さっさと終わらせよう。一応、シミュレートしてるけど、ここから先がどうなるかも賭けだし……まだまだ願掛けには頑張ってもらわないと」
あまり頑張っては欲しそうもない口調で、広大はさっさと歩き始めた。
そして「明月荘」の正面に回る――
そんな広大の背中を見ながら、多歌の胸は高鳴っていた。
これほどの不条理。
いや不条理とも言えないのだろう。
広大は何か目的があって行動しているように見えるが、それが多歌にはさっぱりわからない。
これほどにワクワクすること、今まで多歌は経験したことがなかった。
――明らかにおかしい。
世の中は多歌がそう思う行動をしている人ばかりだった。
だが、それに対応していくと、どんどん“自分”が無くなってゆく。
そして“おかしい”ままで行動している人達の不条理が大切な事かも知れないと考えた。
あの
そして城倉准教授も。
そういった人達を観察して取り入れれば、何かの“答え”を見出せるのでは無いだろうか?
ノート一冊を数式で埋め、補助線を引き「解」を求め続ければ。
多歌は引いてみる。
広大の背中と、自分の胸を繋ぐ補助線を。
今、自分は「解」に到達したのではないかと、疑念と希望を同時に抱きながら。
「シュレディンガーの猫」のように、この想いが「疑念」か「希望」になるかはまだわからない。
いや、その結果に観測者が影響を及ぼすというのなら――広大こそが探し続けた「定理」になる気がする。
多歌は、そう「観測」してしまった。
だから、トントンと金属製の階段を登る広大の足音さえも、胸の高鳴りに併せて踊るようで。
自分はそう「観測したがっている」。
その想いに多歌は気付いてしまった。
やがて二人は、巻目忠志の部屋の前に。
表札は出ていない。
だが広大は迷うこと無く――呼び鈴を押した。
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