第38話 取引

 巻目忠志――


 多歌や淵上ひとえと同じ国立大の三年生。

 文学部であるらしいが、好恵の話では学部はどこでも良かったらしい。

 つまりは「国立大」というブランドを欲していたようだ。

 そんな動機であるので、そもそも真面目に学校に通うわけは無く、問題の「明月荘」にもほとんど帰らなかったらしい。

 スマホさえ持っていれば、連絡に困ることもない。

 あとは友人の家を泊まり歩いたり――好恵の家に泊まったりが当然あるのだろう。

 広大も二瓶も、それを追求したりはしないが、この辺りは確認する必要は無い。

 他に、居酒屋でひっくり返った、カラオケボックスでひっくり返った、バーでひっくり返った、等、思うがままに自堕落な生活を繰り広げていたのだろうと想像出来るからだ。

 となると巻目が「明月荘」を選んだのは、単純に「学生やってます」という「アリバイ作り」のためだろう。

 だからこそ、部屋は安価で済ませたい、という動機が見えてくる。

 他に金を掛ける部分が多すぎるのだ。

 基本的には「倉庫」の感覚でしかなかったのだろう。

 そこまで説明されたところで、広大は好恵に写真を提出させた。

 スマホの画面に映る巻目は……

「わかりやすいメッシュやな。で、ピアス。これはなんだ? シャーロック・ホームズみたいな……」

「インバネスだな。せめて冬に撮ったと言ってもらいたい」

 ほぼ金色に近い髪を横に分け、その一部を青に色分けしている。

 恐らく現在はこのカラーリングでは無いだろう。

 ピアスで吊された逆十字のアクセサリー。

 さらにチェック地のインバネスコート。

 個性あります! と主張して、逆にテンプレに陥っているビジュアルだ。

 そういったものをオミットして、顔立ちだけを捉えるなら、所謂細面ほそおもて

 目尻が垂れ下がっていて、どこか幼さが残るハンサムではあるようだ。

「ああ、それは大丈夫。去年……やのうて、正月ぐらいの写真やね」

 写真を見ながら、広大は親指をカクンと逆に曲げる。

「それで間違いなく、警察からの聞き込みはあったはずですね。どういうことを聞かれたんですか?」

「……言っておきますけど、それ聞き出すんは苦労したんやよ」

「へぇ」

 再び親指をカクンと逆に曲げる広大。

 その短い応答は、気のない、という風では無かった。

 それだけに、好恵も引っかかる。

「何?」

 と、訝しげに眉を寄せるが、広大は先を促した。

「それは最後まで聞いてから。報道されている内容だと、かなりのバタバタがあったようですが。巻目さんは留守……だと、佐藤さんが隠そうとしませんよね? 事件の時、隣にいたんですね?」

「だんだん、うちも気持ち悪うなってきたわ。まぁ、その通りなんやけど……最初は言い争いやったらしゅうて」

「言い争い? ケンカか。それが聞こえてくるわけやな。確かに壁は薄そうやったな。それで、最初に聞こえてきた声はどっちなんです?」

「声でわかる程、忠志は隣と親しゅうはないわけやけど、どうも淵上さんみたいやね」

「つまり戸破が訪れたところで、淵上さんが怒鳴ったと……戸破が借金の取り立てみたいに思えるけど、実は修羅場やから、それはあんまり重要やないか」

「この辺りは忠志が警察から聞かされたみたいやね」

「誘導尋問みたいな話」

 広大が短く感想を挟み込む。

「そういう部屋の様子をある程度は警察も掴んでたんやと思うわ。淵上さんの部屋が、それがもう無茶苦茶やったみたいでね。忠志はそういう乱闘の音で、そっちに気を取られたんやと思う」

「で、その乱闘が終わって……通報したのも巻目さんなんかな?」

 すっかり会話の主導権か二瓶に移っていたが、それを指摘する者もいない。

 この辺りは社交的な二瓶と好恵の本領と言えるだろう。

 広大はいつものごとく黙り込んでしまっている。

 ただ、当時の現場の様子に興味が無いわけは無く、時折親指をカクンと逆に曲げながら耳をそばだてていた。

「それは違うみたい。忠志は音が聞こえなくなって、喧嘩が収まったと思って、寝てもうたみたい」

「ああ、でもそれは……普通やなぁ。俺もそうするし」

「誰が通報したのかわかりますか?」

 突然。

 というタイミングで広大が割り込んできた。

「それは無茶やわ。それ調べようと思うたら、とんでもないコネが……」

「二瓶。おかしな話になってきただろ? 確率の問題だ」

 好恵の説明を無視して、広大が二瓶に呼びかける。

無人地帯ノーマンズランドなんだろ? あそこは」

 そう言われて、思わず黙り込む二瓶。

 報道によれば、ほぼ“あっという間”というぐらいのタイムラグで多歌が拘束されている。

 隣人が通報したのだろうと考えていたが、片方の隣人はそれを否定した。

 もう片方の隣人の可能性があるわけだが……それもまた騒動が収まったのなら通報という流れにはならないのでは無いか?

 さらにこの時、多歌が血塗れであったとしても、それを目撃する通行人が存在する確率は限りなく低い。

 何しろ「明月荘」の場所は無人地帯ノーマンズランドと揶揄されるほど寂れた場所であることは間違いないのだから。

「さらに、これは佐藤さんしかわからないことだと思うんですけど」

「な、何?」

「先程の画像の印象と、お話を伺っただけの印象からの推察なんですが……巻目さんという方は、こういった経験を自慢気に話すタイプの人ではないんですか?」

「え?」

 その指摘はまさに、好恵の虚を突いたのだろう。

 随分と素直に驚きの声が上がった。

 そのまま、口をすぼめる。

「隣で殺人事件があった。それこそ主役ヒーローになれる情報だったはず。だが、それを聞き出すのに、佐藤さんは苦労されたと伺いました」

「そ、そうやね。確かにこれは……」

「変、ということで良いんですか?」

「ええ……ええ、確かにそれは忠志っぽくはないわ。待って。そしたらどういうことになるん?」

「一つの考え方があります」

 広大は親指をカクンと逆に曲げる。

「ただ、もっと巻目さんの情報が欲しい。交友関係、親しい人の名、何でも知って居るぞ、とハッタリ効かせられるほどの情報が」

「それが、あったらわかる言うん?」

 いつもの余裕ぶった振る舞いでは無い。

 どこか切羽詰まったような好恵の様子。

「佐藤さん。安心してええで。別に広大は佐藤さん出し抜こうとしてるわけやない」

 ここで事情を知る二瓶から助け船が出された。

「広大は、ただ知りたいだけなんや。それであちこちから情報集めてるだけ。で、こういう風に思いつくこともある」

 二瓶が、指先を動かしながらニヤリと笑った。

「大体、もう聞きたくてたまらんくなっとるやろ? 広大の言う“一つの考え方”」

「それは……ええい、もう。わかったわ!」

 自棄になったように好恵が叫び、取引が行われた。


 ――そして提示された広大の“一つの考え方”は、驚愕と共に二人に受け入れられたのである。

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