第22話 間違いない。“京都”だ ※

 目的の店――ビストロ・ナルト――専用の駐車場ではないらしい。

 店の入り口とは小道を挟んだ区画にあり、ブロック塀で乱雑に大通りから間仕切られていた。

 その雰囲気は……

「結構、こっちも寂れてる感があるな」

 それを広大は明け透けに口にした。

 これから向かう店への不審感もあったのかもしれない。

 あるいは、夕方の昏さが荒れた周囲の雰囲気をさらに助長させたのか。

無人地帯ノーマンズランド程では無いんやけどな。この市はそこの線路、境にして、西側がどうもな」

「ああ、この先の道路も変な接続してた」

 そう言いながら広大が降り、二瓶もそれに続く。

「そやねん。この市の行政はどうもなぁ……インフラがヤバい」

「全然動いてないのか? 司馬光と王安石みたいな?」

「あのなぁ。市長選なんか、せいぜいそよ風やで。あんなバタバタ指導部が入れ替わるなんて事は無いわ」

「あの二人が仲が良かったって言うのが、よくわからないんだよな」

「それな。わからんと言えば児玉源太郎と乃木希典もわからん。なんやあの“漢詩の夕べ”」

「ああ、『坂の上の雲』な」

 二瓶がドアロックし、二人で店へと向かう。

「あれは創作か、あるいは司馬史観の発露」

「乃木が実は有能な将軍ということで、えらい叩かれてる司馬史観か。やけど日露戦争に参加してた先輩のひい爺さんが『乃木はあかん』言うとったらしいで」

「それは、あれじゃないか? 『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』の実地例」

「単純に、マクロかミクロの違いゆうことでええんちゃうか?」

 などと、会話が側転を続けて、わずか三十秒で二人は店の扉に到達した。

 扉を開けるとウェイター――あるいはギャルソン――が丁寧に迎え入れてくれる。

 格式の高さ。

 そういったものを窺わせる。

(わざわざ、それなりの格好を要求されるはずだ)

 と納得する広大であったが、同時に「あんまり広くないな」とも同時に思っていた。

「で、まぁ、この辺りは情報屋の主義でな」

「主義?」

 四人がけのテーブル席に案内され、椅子に腰掛けながら二瓶が切り出す。

「ある程度は余裕のある奴やないと、情報がデタラメになるんやと」

「……理屈を想像すると、奢られるの見込んで情報を捏造してしまうと?」

「概ねそんな感じや。理屈だけならな。俺は単純に情報屋の趣味やと思っとるけど」

 その時、新たな来客が現れた。

 段取りが固まっているのなら、この客が情報屋ということになるが……と、広大がそちらに目を向ける。

 すると、そこにいたのは女性だった。

 それほど背は高くない。それに全体的に華奢な印象だ。

 ブラウンに染めた髪をポニーテールに結わえている。

 そこまでなら、子供っぽい印象が強くなるが、レディアゼル風のノースリーブのワンピースは、柿色の色合いも手伝って随分シックな印象だ。

 チェック柄の胸元にカメオのような意匠のペンダント。決して輝きすぎない控えめなアクセサリー。

 小ぶりなダークブラウンのハンドバッグも、その雰囲気と調和していた。

 ぱっと見の印象では、ブルジョワのお嬢様、といった辺りだろう。

 二瓶は立ち上がって、その情報屋と思しき女性を迎え、広大もそれに倣った。

 そのまま二瓶は、椅子を引きに行く。

「あら? おおきに」

 その女性が、笑いながら答える。

 当たり前だが関西弁だ。

 だが、この数語で広大は違和感を覚えた。

 関西に来てから、おおよそ一年半。

 そして側には二瓶琢己。

 これで気付かない方がどうかしている。

(間違いない。“京都”だ)

 と。

 そして、二瓶による英才教育の賜物たまものか、京都相手に広大は如才なく自己紹介を済ませ、それぞれが着席した。


 情報屋――即ち、佐藤好恵。

 広大も名前を聞いたことがある女子大の三年生。

 先輩、ということになるだろう。同じ「学生」というくくりなら。

 二瓶も普通に敬語を使っているし、好恵もそれに応じた受け答えだ。

 テーブルに並べられたコース料理を味わいながら、二瓶と好恵は腹芸の数々を繰り出し、和気藹々という雰囲気を作り出しているが、端的に言って地獄だ。

 広大でなければ胃に穴が開きそうな空々しい褒め言葉がテーブルの上で行き交う。

 そんな殺伐した雰囲気の中、広大は二瓶の普段の思惑を察しつつあった。

 こういった店を常時使っていれば、そこまで自由に生活費を使えない広大に負担になってしまう。

 そこで、こういった店を使うことを控えてくれていたのだろう。

 もっとも、あのカップ焼きそばへのこだわりは、絶対に本気だ、という確信もある。

 気を遣うばかりではなく、二瓶の足場は割りとジャンク――食生活に関して言えば。

 生活リズムは灰燼状態であるし。

 順番に提供される料理に舌鼓を打ちながら、広大はそんな事を考えていた。

(実際、いつもこんな店では干上がる、というか逃げ出すな)

 と、二瓶の気遣いに感謝する広大。

 ここは素直に奢られておくことにした。

 一方で「情報屋」と呼ばれている、この女性は一体何なのか?

 とりあえず、二瓶がとっておきと言いだした理由は「京都」と言うことで、ある程度は説明出来るだろう、と広大は考えていた。

 あれだけ京都への憎しみを溢れさせているのに、その京都と繋がりがあっては本末転倒。

 いや、そもそも、その「もと」が偏見の塊である事が厄介だ。

 それでも二瓶の交友関係の中に、京都が入ってくる事は自然な成り行きだろう。

 実際、広大達が通う学校にも京都に実家がある者は多くいる。

 それにわざわざ牙を剥くほど、二瓶は暇では無い。

 ごく親しい相手にだけ。

 あるいは自分に関係がないと考えている相手にネタ的に「京都嫌い」を披露する。

 となると、この佐藤好恵はどういうポジションなのか――?

 食事と思考を愉しみながら、広大はひたすら聞き役に回っていた。

 実際、二瓶と好恵の空中戦ドッグファイトに口を挟みたくはなかったし、

(実際問題、仲が良いのかもしれない)

 と、二瓶の矜持にも関わる感触を得ていた。

 そして、未成年である広大を除いた二人にワインが供される段階に至ってようやく、


「それで、うちを呼び出したのはなんでなん?」


 と、グラスの中でワインを回しながら好恵が切り出した。

 その唇をすぼめながら。

 そんな様子を見た広大は、親指をカクンと逆に曲げながらこう思った。

 

 ――性格は悪そうだ。


 と、二瓶が喜びそうなことを。


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※注1)

宋代の政治家です。司馬光が「旧法」王安石が「新法」の代表者で、謂わば政敵のはずなんですが交流があったと。仲が良かったと。よくわかりません。「新法」は改革の成果が現れるまで時間がかかるのに「旧法」擁護者が政権の首座になると全部ひっくり返される。確か二交代ぐらいはしてたかな?最後は「旧法」側が勝ちましたが、この頃には司馬光もいなくなっていた気も……


※注2)

激戦区となった二〇三高地をせめる乃木。さっぱり上手く行かない。そこに児玉がやって来て、あっという間に奪取してしまうと言うのが司馬遼太郎の「坂の上の雲」の顛末。それに反論が出てるんですが、むしろ先に主席参謀だった伊地知はどういう評価なのかを反論側に聞いてみたい。最初に読んだ反論が乃木配下の伊地知について言及が無かったのでそれ以降あまり読んでません。良いのがありましたら、教えてください。で、二瓶が「漢詩の夕べ」と言っているのは「坂の上の雲」で乃木と児玉が二〇三高地を題材にして漢詩詠むんですよね。本当に人間の神経か?と、このくだりはずっと首を捻っています。

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