第16話 用心深いにも程がある
――そうめんが食べたい。
果たして、それはわがままと言えるのか。
もっとも、そのために広大を買い物に行かせるとなると、それは多歌のわがままの範疇になるだろう。
多歌もそれは理解しているようだが、事の発端はお昼をどうするか? という問題からだった。
まず、そうめんはともかく買い物に出なければならないことは確実。
お好み焼き用の粉、豚肉のバラ。
贅沢を言えば、それ用のソース。
それらを買いに行くついでとなれば、多歌もそれほど罪悪感は感じずに済む。
さらに言えば出汁つゆの問題もある。
冷蔵庫で発見されたそれは、果たしていつ購入されたものなのか?
これを広大、さっぱり思い出せない。
多歌に賞味期限の概念を教えようかと思った広大だったが、腐るものでは無いだろう、と楽観することもまた容易だった。
それが処理出来るとなれば……
さらに多歌は食材の切り出しは任せろと言い出す始末だ。
実は多歌はどういうつもりだったのか、安さの殿堂でスライサーまで買い込んでいたのだ。
いや、どういうつもりもないだろう。
どこかのタイミングで、食卓にサラダのようなものを出すつもりがあったのだ。
冷蔵庫のキャベツの半掛けもこれで謎が解ける。
朝食の段階では遠慮したのか、忘れてしまったのか。
このように二人の思惑が働き合って、今の状況を作り出している。
買い物用のカバンを提げた広大が、単独でスーパーに向かうという状況を。
寝間着のシャツはそのままに。ジャージをジーンズに履き替えて。
ちなみにコインランドリーの側の店では無く、それよりは少し遠いもう一つのスーパーに向かっている。
価格のアベレージが、こちらの店の方が低いからだ。
(そうだった。ネギも……確か、切った奴が売っていたはず)
と、胸中で呟きながら、広大が考えているのはスーパーをそれぞれAとBの世界に当て嵌めれば、どちらが似合いだろう? とさらに益体の無いものだった。
原因は間違いなく夏の日差しだ。広大の頭頂部を焼いている。
現在、午前十一時。
もしかすると最悪の選択をしたのかも知れない――が、おかげで多歌の表情を確認出来た。
(どうやら、シリアルキラーではないらしい)
と、判断出来る程には。
広大は帰宅を拒んだ多歌の発言から、その可能性をずっと頭の隅においていたのだ。
何しろAの世界で多歌は「重要参考人・戸破多歌」なのだから。
広大の警戒を当然と見るべきか、猜疑心が強すぎると見るべきか。
だが広大が観察していたのは、すまなそうな多歌の様子だけではない。
広大を的にかけるつもりがあるなら、ニュースを広大に見せるだろうか?
自分でそれとわかるように情報収集をしようとするだろうか?
……という疑うからこそ集まってくる「多歌=シリアルキラーでは無い」という傍証。
また部屋を出たと同時に、広大はスマホでニュースサイトをさらっている。
Aの世界では、さらうまでもなくエキセントリックな見出しがディスプレイに並んでいた。
だが
見つかっても、過去の記事だったりする。
つまりは「女子大生の自殺」以上の発見は為されていない、ということになるが――
スーパーの自動ドアが開く。
冷気が広大の身体を包んだ。
暑さで散らかっていた広大の頭が休息に冷やされていった。
この店はそもそも冷房が効きすぎていて、それが広大の好みでもあるのだ。
(つまり、彼女は何かを怖がっている)
冷気を浴びながら、唐突に広大はその結論に飛びついた。
いや、今までの彼女の言動を並べるなら、ずっと前からそういった結論は思いついていた。
――「帰りたくなくなった」
――外に出たがらない。
――テレビだけでなく、何らかの情報を探っている。
これだけ並べれば、裁判官も「合理的な疑いを超える証明」などと言い出すだろう。
ましてや広大は裁判官でもない。
ただ、それと矛盾するのが一向に騒がしくならないネット、あるいはテレビの報道だ。
淵上ひとえは殺された。
淵上ひとえは自殺した。
片方の死には多歌が関わっているから、そうなってしまった、と考えられる。
そして片方では関わってはいないはずなのに、何故か同じ「結論」にたどり着いてしまっている。
関わっていない、という前提が違っているのか。
それならば……
そんな思考とは真逆に、広大はスーパーの買い物カゴに品物を入れながら順調に作業を進めていた。
豚バラはそのまま「お好み焼き用」と薄くスライスされたものを入手済みだし、紅ショウガをはじめとした、青ノリや鰹節など定番の薬味まで発見する余裕。
お好み焼き用の粉も――
提げたバッグからスマホの呼び出し音。表示されている名前は「戸破多歌」。
広大の特徴のない顔が歪む。
こういう場合、買い物カゴはどうすれば良いのか。
このまま店外に出ては、確実に万引きなるし、かと言ってここでスマホに出ても良いのか――広大は考えあぐねて、結局応答を選択した。
買い物カゴの中身を戻して外に出るのは、どうにも現実味がないし、多歌と結局番号を教え合ったのは……
広大が耳元にスマホを持っていく。
『あ、まだ大丈夫? あのね買い物まだなら――』
「真っ最中だ」
『ラー油がないことが判明したのよ』
「チヂミにするのか?」
『そうじゃなくて、そうめんに使うでしょ?』
「……ああ、そんな話を聞いた覚えがあるな。美味い?」
『うん。試した事無いの?』
「機会がなくて」
『じゃあ、試してみようよ。別に全部にすることも無いし。つゆに使えばいいわけだし』
「なるほど」
頷くしかなくなった広大は、そこで通話終了を選択する。
今までの思考をそこで断ち切るように。
何をすれば良いのか――いや、何を聞けば良いのかは広大にはわかっている。
だが――
「おかえり~、お湯沸いてるよ」
扉を開けると、警戒心のない声で出迎える多歌。
それはごく平凡な風景。
当たり前のことが当たり前に起こっただけ。
広大は、そう心の中でそう強弁するが、どうしても思ってしまう。
“完成形”を見たのではないかと。
だが、同時にこうも思うのだ。
――まったくのこの
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