第15話 同棲生活のほとんどは駆け引きで出来ています。 ※

 朝食を済ませて、流しに立つ広大。

 多歌はその間にテーブルを畳んで片付けようとしていた。部屋の掃除のためだろう。

 腰の軽さは本物だ。

 それを押しとどめる広大。

「今、掃除機掛けたらうるさいだろ。せめて九時だな」

「ああ、そっか。じゃあ、何しよう? あ、TV見てても良い?」

 その多歌の問い掛けに、一瞬広大の手が止まる。

 それは広大の想定からはズレたものだったからだ。

 だが、そのズレを広大は指摘せずに、こう返した。

「今の時間帯って、ネットでニュース拾えば済むようなワイドショーだけだろ?」

 今度は、多歌の返答が一瞬遅れたように感じた広大。

「……でも他にやること無いし」

「お好きに」

「コーダイくんは?」

「本でも読んでるよ。買い物もあるし、その計画もある」

「計画かぁ」

 テレビの前で体育座りをしていた多歌が補助線を引く――がその手が止まった。

「うん、それはコーダイくんに似合ってると思う。ボクは留守番してるよ」

 そのタイミングで、広大は蛇口を捻った。

 水を止める方向に。

 そして冷蔵庫を開けた。

「……ヒバリさん、結構買ってるな」

「そ、そうだよ。料理は――」

 勢い込んで同意しかけた多歌がそこで墜落する。

「――得意では無いけど……」

「野菜がこれだけか……キャベツが大きいな」

 広大は冷蔵庫を閉めて、台所の下の物入れからホットプレートを取りだした。

「これでまとめて処理しよう」

「処理!?」

「お好み焼きならかなり減る。そうすれば、ヒバリさんがここに泊まる理由が一つなくなる」

「そんな理由で? その前にコーダイくん作れるの?」

 広大は多歌の足下を指さした。

「あ、スマホね」

「特に調べなくても刻んで焼くんだから、無惨なことにはならないだろう。確かお好み焼き用の粉が売っていた気がする」

 広大の記憶はあやふやだった。

 だがこれで、計画は完成したとも言える。

 机上ではどんな計画でも完璧なのだから。

「で、お昼はそれとして、ボクは追い出されるの?」

「いや、夕食の話」

 計画は早々に頓挫した。

「夕ご飯? お昼は?」

「お腹が減れば食べれば良い。ラーメンはまだまだある」

「コーダイくんは?」

「気にしないで良い」

 広大は多歌の後ろを通って、ベッドに倒れ込んだ。そのままスマホで何やら読み始める。

 テレビのワイドショーからは深刻そうな声。

 多歌は、テレビに逃避するようにしばらく沈黙していたが――

「ね? コーダイくんに欲望はないの?」

「昼飯ぐらいで、なにを大袈裟な」

「ボク、一応覚悟はしてたんだよ」

「食欲と性欲を並べるとは。理系が泣くぞ」

「理系関係無いし」

「食欲と性欲も関係無い」

「童貞を守ってるの?」

 さすがに広大の返答に淀みが出た。

 流れに棹さされまくりだった。

「……僕にそんな奇妙で、哀れな、怪物になれと?」

「じゃあ何で手を出さないのよ?」

「冷静に考えろ。身体を差し出すことは宿泊の代償にはならないだろ?」

「じゃあ、お金?」

「それも必要無い。僕は僕でこの状態でメリットがあるんだ」

 ――二つの世界を繋ぐために。

 とは広大は口にしなかった。

 しかし胸の中だけでも言葉にすることで、広大はあやふやだった自分の望みを自覚した。

 自分はこういった状態を何とかしたいと考えているらしい、と。

 当たり前に。

 実際、Aの世界では二瓶に「告白」しているのだ。

 それならBのこちらでも、何か行動を起こすべきなのだろう。

 なし崩しではあっても。

 広大はスマホから視線を外し、多歌の様子を窺ってみる。

 すでにテレビは有名無実になり、多歌は身体をあちこち触ってみたり胸元を覗き込んでいた。

 バカな事を考えているな、と広大は考えるが、その仕草も可愛いと同時に思う。

 その二つは両立する――それを認める事が広大は重要な気がしていた。

 勘で。

 まったく“らしくない”とは思うが、そもそもこの「現象」だって“らしくない”のだ。

 ……広大の主観では。

「何読んでるの?」

 突然の多歌からの問いに、広大は丁寧に答える。

「『放課後のティンカー・ベル』(※注1)を探そうとして、ネットサーフィンに夢中になっていた。アニメになっていたとはね」

「え? それ本の名前? じゃなくて……じゃなくて!」

「確か同棲がどれだけ暑苦しいか書いてあったのはこの巻だったはずなんだけど」

「混乱を追加しないで!」

「――――」

「黙り込まないで」

「諦めれば、楽になる」

「待って、整理するから。コーダイくんがいきなり親切にあれこれ説明するから迷惑なの」

「それは“ありがた迷惑”という言葉に収束されるんじゃ? そんな矛盾するように言葉並べるよりは」

 多歌は、必死になって補助線を引きまくっていた。

 その結果――

「“放課後何とか”って、本の名前なの?」

「僕は理系が補助線引くことで、いきなり核心に迫るような解明に至るものだと勘違いしてた」

「上手く行かないことの方が多いのよ。それに核心ってなに?」

「ヒバリさんの思うものが……」

 価値観の違いを無常観で包む、お決まりの構文を並べようとする広大。

 しかし多歌はいさかいがお好きだった。

「いいから! とにかく順番に片付けるから」

 二瓶と同じ事を言い出したな、と広大は「昨日」を思い出す。

 しかし、二瓶が順番にこだわるのとは裏腹に――

「順番居並べてもそれで益があるとは思えないし、どういう基準で順番を決めるんだ?」

「で、本の名前なの?」

 広大の疑問を無視するどころか、多歌は全てをなげうった。

 こうなると広大にしても簡潔に答えた方が話が早い。

「そう。本の名前。ジャンルで言えば、あれはなんだろう? レーベルで言えば少女向けだったはず」

「え?」

「図書館は割りと充実してるんだ、女の子向けの本の方が。やっぱりリクエストが多いのかな?」

「なるほど、そういうこ……あれ? それで同棲とか出てくるの?」

「犯人が同棲してた……この巻だったかな? シリーズで結構な数の――」

「犯人? いったいどういう話なの?」

 それは謎だろうな、と思いながら広大は多歌の様子を窺う。

 上手い具合に話が転がったが――やはり意識させないと、あまり意味は無いらしい、と広大は諦めた。

 かと言って、ここで会話を投げ出すわけに引かない。

 言い訳と誤魔化し。

 そのためだけに言葉を継ぎ足して行く。

「ヒバリさんは、こういうの読まないのか? マンガでも良いけど。こういう同棲って展開とか少女向けの方が割りとあっさり出てくるよな?」

「そうなんだ……ボクはあんまり……」

 多歌がどこか居心地悪そうに応じる。

 これは突っ込んで聞いた方が良いのか――一瞬迷う広大。

 その隙に、多歌が立て直してしまった。

「それよりも犯人! それに同棲ってどうなるの?」

「ネタバレ」

「もう手遅れでしょ」

 

 そんなこんなで、二人は掃除が始まってもあーだこーだとやり合い続けた。

 やがて広大は内容よりも電子書籍になっていない本が多い事を嘆き続け、多歌に慰められるという異常事態まで発生させる。


 ――お互いが、それぞれの目標に成果があったのかは謎のままに。


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※注1)

日向章一郎氏の「放課後シリーズ」の確か二作品目。

アニメになっていたのすっかり忘れてました。ネタバレですが、確かトラブルを起こした二人がいなくなって、結局同棲状態で引き籠もっていたような。で、同棲ということで一緒に眠ってたりしてたが「暑い」と身も蓋もない感想言ったりするわけです。記憶が確かなら。

実はこのシリーズの一作目「放課後のトム・ソーヤ」で自分に惚れた女に売春させるというどうしようも無い悪党に、探偵役でもあるヒロインが「それでも好き」となりかける衝撃の展開。

OVA計画が出るほど人気があったのに一作目が選ばれなかったのも宜なるかな。

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