第9話 古い伝統を持つ殺し文句……なのか?
そこからスムーズに二瓶の説明が始まると思われたが、そう簡単には行かなかった。
「え? コーダイくんが? 昨日の夜って――」
「そうだよ。ヒバリさんと会った辺りから、ちょっと南に行くのかな? その辺りが二瓶の言う
まず、この辺りを整理しないと多歌だけ置き去りになってしまうからだ。
いや整理が必要なのは二瓶も同じ事。
二人の“馴れ初め”をここで初めて知る事になるのだから。
あの人家が少ない界隈で、どうして会うことになるのか――?
一瞬、二瓶が訝しげに表情を歪めるのも仕方の無いところだろう。
だが、この時点で二瓶の手の中には「広大から伝えられた、よくわからない依頼」がある。
それと、自分が持っている情報がすぐに結びついたのだろう。
すぐに二瓶の眼鏡の奥の目が興味深げに細められる。
多歌は、そんな二瓶の変化には気付かず俯いてしまっていた。
「あの辺りがそうなんだ……」
「
――死体が発見されたとか?
などと、うかつ者そのものの付け足しは当然しない広大。
何しろその先にあるのは、
重要参考人・戸破多歌
という情報なのだから。
Bは確実にAとは違っている……はず。多歌の様子も確実に変化を感じさせる。
だがそれは、
だが、それを言い出すなら「多歌は何故あんなところにいたのか?」こそ、先に問題として取り上げるべきだろう。
だが二瓶は何かを察して、そんな当たり前の疑問をスルー。
そして、広大はそもそも知らない風を装っている。
そんな、それぞれの立場を整理し、広大は一瞬だけ二人の様子を視界に収めた。
続いて二瓶に視線を固定する。
それが自然だと広大は判断したのだ。
「事件か……まぁ、事件は事件なんやけど、そんなに大層な話ではないのかも知れん。いや、こういうのは不謹慎かもしれんけど、つまりあれや。終わった事件みたいなんや」
「具体的には?」
「自殺やな。ただまぁ、ニュースにはなってへん」
「なってないのか。どうやって……それはいいか。お前の伝手なんだし。でもそういうことが起きてるわけだな」
「そうやな。学生の間で噂になっとるようや。その関係で俺のとこにも話が回ってきてな」
そういう設定でいくらしい――広大はそう察した。
いや二瓶の顔が広いのは本当だ。
きっかけは広大からの依頼かも知れないが、遅かれ早かれ二瓶は知る事になっていたかも知れない。
実際、Aでも二瓶は連絡網でも持っているかのように、事件に気付いていたのだから。
「あ、あの、学生って? 学生が自殺したって事?」
多歌が二瓶に尋ねる。
随分緊張したような表情を多歌は浮かべているが、尋ねた内容は当然のものだった。
それに広大もAの世界での被害者について、名前も知らない――いや。
確か名前は報道されていた。
広大はそれを不意に思い出す。だが、それを自分から告げることは出来ない。
この流れでは、自然とそういう話になるだろうし……
「ああ、自殺した人な。女子大生。国立大の人らしくてな」
順番として、まず二瓶はそこから始めた。
だが、その時点で広大は衝撃を受けていた。
何故ならその国立大は――多歌と同じ学校だったからだ。
確実に繋がりがある、とは到底言えないが、多歌とその自殺した女子大生の生活半径はかなり近いことは確実だろう。
ニアミス、いや実際に女子大生の住居に近い場所に多歌は現れているのである。
「な、名前は? わかる?」
多歌が勢い込んで、さらに二瓶に尋ねる。
その勢いに戸惑う二瓶。
それはそうだろう。二瓶の想定では、そういった役割を担うのは広大だったはずなのだから。
だが二瓶は、同時にこの現象に納得もしていた。
きっかけの広大の依頼。
その依頼が、ひどくぼんやりとした形になっていたのも、今の多歌を見ていれば察せざるを得ない。
何か、広大は自分の知らない事を知っている。
そうであるなら――
「ホンマは、名前を広めるのも問題あるんやけど。内緒にな?」
二瓶はまず、そう言ってクッションを置いた。
多歌それに必死に頷き、広大もしっかりと頷く。
いよいよ追い込まれた形になった二瓶は――
「――
と、とうとうその名を口にした。
その名を聞いた広大と多歌の反応は極端だった。
広大は冷めた眼差しで、左手の親指をカクンと逆に曲げる。
驚かない……のは自然な反応なのかもしれないが、そこにどうしても違和感がある。
それは広大が、その名を知っていたからだろう。
確かに広大がAで知った被害者の名前は「淵上ひとえ」だった。
読み方だけで、漢字まではわからないが、恐らく同じだろうと広大は判断する。
同じでないのは、他殺と自殺。
これは多歌の存在以上に、強烈な差異と考えるべきなのか?
判断に迷い、広大は思わず黙り込んでしまった。それは明らかに普通の反応では無い。
だが、二瓶はそれに気付かなかった。
何故なら、多歌の反応が広大の真逆。
“タカ”の名前通り、鋭さまで感じられる彼女の双眸がカッと見開かれていたからだ。
しかし形のよい唇は、キッと引き締められている。
まるで叫び声を閉じ込めるように。
だが、それも虚しく全身で音も無く叫び声を上げているようにも見えた。
テーブルの上でギュッと握り拳を固める多歌。
両肩がぶるぶると震えていた。
「え、あ、と、知り合いやったんかな?」
そんな多歌に圧倒された二瓶が辛うじてそう声を掛けたが、多歌は返事をすることが出来なかった。
広大も、それで十分だと思ったのか、それ以上二瓶に尋ねることはしない。
多歌が「淵上ひとえ」と同じ大学の生徒だという情報も伏せた。
だからこそ――
◇
空気が悪くなった、と言うよりも冷たさで固体化したような状態になったが、ここで解散になるとしても二瓶に礼を言わねばならない。
それに広大はマンションまで連れ帰って貰わなければならないのだ。
この辺りは交通の便が良いわけではない。
では広大は帰りの車中で、何処まで話をすべきなのか。
その判断基準すらも広大はわからなくなっていた。
A。そしてBの世界について何処まで打ち明けるか? いやそもそも打ち明けるべきなのか――
「ねぇ。コーダイくん」
だから駐車場から車を出す二瓶を、多歌と並んで待っていた広大は、そう話しかけらとき完全に油断していた。
いや、広大は根拠無く信じていたのだ。
このまま多歌は帰るのだろうと。
だが――
「……ボク、帰れなくなったみたいだよ」
思わず、多歌を見つめてしまう広大。
そんな多歌はヘッドライトに照らされて――今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。
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