第5話 コインランドリー

 Aの「九月一日」では、昼過ぎまで惰眠を貪っていたはずなのに……と一瞬考えた広大だったが、冷静に二つの世界を比べてみると三時間ほどしか違わない。

 たった三時間寝るだけのことを惰眠と言うだろうか? とそんな事を考えなら洗濯物を詰め込んだバッグを肩に、外出する。

 多歌が風呂に入っているうちに無地の青いTシャツと、ジーンズに着替えた。

 これまたAで二瓶の車に乗り込んだときと同じ出で立ちだったことを思い出す。

 日付が同じであるのに、今更という感覚でもあるが、完全に違う世界では無いらしい。

 何しろ、広大の手持ちのシャツはAと同じに滅亡の危機に瀕していたのだから。

「ほうほう。そんなに持ち込んでも大丈夫なんだ?」

 宣言のままについてきた多歌の様子は少し変化していた。

 あちこち跳ねていた髪が随分大人しくなっている。

 グラデーションボブなのだ、と随分わかりやすくなっていた。

 どうやらディップを使ってまで髪を跳ねさせていたようだ。

 シャワーでそれが流されたようだが、どういうセンスで多歌はあんな場末のパンクロッカーみたいなこだわりを持つことになったのかは謎だ。

 果たしてこの謎を、多歌の持つ数多くの謎に含めても良いのか。

 広大はさらに、

(髪は黒いままなんだよなぁ)

 と、わざわざ疑問点を作り出してさえいた。

 つくづく難しく生きている男だ。

 外出にあたって多歌が首元に下げたゴールドのチェーンが、そんな広大をからかうように光る。

「……本当にコインランドリー初めてなのか」

「そう言ったじゃん」

 多歌が広大についてくると言いだしたのは、単純にコインランドリーという施設にに、好奇心を覚えた事が理由のようだ。

 他に深い理由が――ある様には思えないまま、広大は改めて多歌に要求する。

「じゃあ、終わったら帰れよ」

「そうはいかない」

 多歌はすぐさまその要求を却下した。その反応が広大には理解出来ない。

 多歌がお持ち帰りされたにしても、押しかけたにしても、広大の家に居続ける理由はないはずだ。

 広大は逆に「帰れ」とは何度も言っている。

 ――それでも、多歌は帰ろうとしない。


 そんな謎は比較的簡単に解けた。

 コインランドリーにたどり着き――コンビニには寄らなかった――そのすぐ側にスーパーがあることを多歌が発見したことが解明のきっかけだった。

 そしてコインランドリーとは、つまり待つ時間が圧倒的に多く、落ち着きの無い多歌がそれに耐えられはずも無い。

 「スーパーに買い物に行きたい」と多歌が言い出し、そこから広大の数回の質問で、その目的が露見。

 多歌は間違っても「将来はスパイになりたい」と言ってはいけない女だった。

「……昼飯はインスタントラーメンで良いだろ」

 買い物の理由は広大に“お礼”をするため。それだけ理由だったのである。

 そして、そんな多歌の自白に対する広大の対応は、相変わらず冷めていた。多歌は何とか突破を試みようと、さらに広大に尋ねる。

「具は?」

「入れないの!? 何にも?」

「スープの味が濁るだろ。それにヒバリさんには関係のない話だ」

「ちょっと待って。これだけお世話になってるのに、何にも恩返しさせないって、それはもう暴力だよ」

「現在進行形で脅迫されているわけだが」

 コインランドリーの椅子に腰掛け、訥々と反論する広大に、今度は立った状態で上から言葉を降らせていた多歌が折れた。

 と言うか、スーパーに行きたいという欲求を抑えきれなかったらしい。

「とにかく!」

 と接続詞を投げつけて、宙に補助線を引きながら多歌は行ってしまった。

 乱暴ではあるが、広大がコインランドリーからは動けないという計算が多歌にあったのかどうか。

 広大は親指を逆に曲げて、フリーWi-Fiスポットに向かう。

 目的はもちろん「戸破多歌」を検索するため。

 個人情報が欲しいわけではないので、とりあえずAで知らされたニュースが出てくるまでは、それを無視するつもりだったが……それはいらぬ心構えだったらしい。

 要するにAの事件はまだ報道されていない……か、発生しないのか。

 しかしAの時よりも広大が随分と早回しで動いているのは確かだ。

 何しろ三時間の惰眠がキャンセルされている。

 同じ事件がこれから報道されるにしても、まだ早いのかも知れない。

 二瓶に連絡を取りたいところだが、午前では早すぎる。

 Aの事件についてだけでは無く、今日「九月一日」の約束はどうなっているのか?

 二瓶も同じ現象に巻き込まれているなら「お前、何を言うてんねん?」と返ってくるはずなのだ。何しろすでに広大の記憶の中では約束の家電量販店行きと、バイトの打ち上げは終わっている。二瓶が同じ記憶を持っているなら――

 やはり、二瓶に連絡を取ることは必須だろう。

 多歌がいない内に――とまで考えて、広大は自分の迂闊さに気付いた。

 RINEだ。

 とりあえずメッセージを送っておけば、その後のやり取りもRINE上で行うことになる。それなら多歌がこのまま居座っても、情報を入手することは容易い。

 さすがにスマホを覗き込むなんてことはしないだろう。

 では、どのようなメッセージを作るか。

 広大は、親指を逆に曲げて考え込み、


 >気付いたら、RINEで連絡くれ


 とだけ送ることにした。

 念を入れてRINE指定も行っておく。

 二瓶は不審感を抱くだろうが、連絡が取れればさらに不審感を抱かせることになるのだから、それは諦めた。

 とりあえずやれることは一段落だ。

 Aでは「小説十八史略」を読んで時間を潰したわけだが、この先、二瓶と同じ議論になるなら、李勣――徐世勣時代のことを確認したい。

(となると「亜州黄龍伝奇」だな)

 と、広大は電子書籍を探したが、敢行されていないらしい。

 それを残念に思いながら「亜州黄龍伝奇」を思い出す広大。

 特に広大が確認したかったのは「亜州黄龍伝奇」の五巻「隋唐陽炎賦」だったわけだが、シリーズ全体のガジェットも必然的に思い出すことになる。

 それがまた“きっかけ”になったのだろう。

 広大は、こんな事を思いついていた。


 ――二瓶と多歌を会わせたらどうなるのだろう?


 と。

 そして、それを見計らったように広大のスマホが鳴った。

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