姫花!
大鷲
姫花!
「ねぇねぇ知ってる? この学校の一年生が自殺したらしいよ」
その一言は彼女の有り余った好奇心を刺激するには十分だったようだ。
眼を輝かせながら一人の女子がこちらに近づいてくる。
「圭介! 事件の匂いがするよ!」
どうやら今回も厄介な事に巻き込まれたようだ。
自殺だったら事件じゃないだろ、と言ってみたものの、
「だめだよワトソン君。まずは自分の目で確かめてみないと!」
こうなってしまったらもう手が付けられない。 放課後の約束を無理矢理取り付け、教室を飛び出していった。そんな彼女を後目に俺は大きな溜め息を一つついた。
まず始めに向かったのは事件現場だ。道中彼女は事件の概要についての話をしてくれた。
亡くなったのは堂本充という一年生の男子だ。 住んでいたマンションから飛び降りた彼を、早朝に犬の散歩をしていた男性が発見した。すぐに救急車を呼んだらしいが、病院に着いた時には既に亡くなっていたそうだ。
彼女と共にそのマンションの最上階へ入ろうとしたが、入り口には立ち入り禁止のテープが張られており、警官がそのテープの前に立っていた。
「こらこら君たち。ここは立ち入り禁止だよ」
事件が起きた場所だ。そう易々と入れないことは覚悟していた。これで彼女も諦めがついたと思い隣を見ると、彼女は頬に無数の涙を流していた。その姿に声を出せずにいると彼女はさらに驚きの言葉を発した。
「ごめんなさい。私、彼の事がずっと好きで……最後に彼が見た景色だけでも感じてみたくて」
そう言うと彼女は膝から崩れ落ちた。警官も彼女を見てひどく困惑していた。彼の良心が痛んだのか辺りに人がいないことを確認すると、
「ご、五分だけだぞ」
そう言ってテープを剥がしてくれた。
礼を言った彼女の表情はとても晴れ晴れとしていた。更に困惑していた警官に小さく頭を下げ、俺も彼女の後ろをついていった。
二年前に建設されたばかりの十六階建てマンションの屋上は見晴らしがよく、こんな時でなければ写真を撮りたくなるレベルのものだった。
彼女は景色には目もくれず奥へ進んでいく。
柵の前で何をするかと見ていれば、突然その柵を激しく揺らしだした。何事かと思い彼女を柵から引き剥がす。彼女は呑気に呟いた。
「やっぱり簡単には壊れたりしないよね」
そんな当たり前の事を言った後、彼女は再び柵に近づく。
急に強い風が吹き一瞬視界が遮られる。目に入った砂をこすり取ると、目の前の彼女は宙に浮いていた。
いや、あまりの驚きでそう見えただけで実際には柵の上に立っていただけだ。
考えるよりも体が前に動いていた。彼女に飛びつき柵の内側へと体を持ってくる。心臓の鼓動がサイレンかのように聞こえてくる。
腰が抜けてしまった僕は、情けない声で彼女になぜこんな事をするのかを問いただした。
「うーん。やっぱり簡単には飛べないねー」
この女は本当に狂ってやがる。
その後何事もなかったかのように辺りをうろついていた。
彼女の捜査が一通り終わった頃、ようやく僕の心臓も規則的なリズムを取り戻した。帰ろうと急かす彼女の表情は先ほどよりも曇っていた。
翌朝、彼女はまた机の前にやって来た。
「今日は捜査方法を変えてみます」
笑顔を浮かべそう言ってくる彼女に、今朝見たニュースについての話をした。
「もちろん知ってるよ。遺書が見つかったって話でしょ」
警察によると亡くなった男子の部屋には遺書が残されていたようだ。パソコンで打ち出されたものであり、筆跡鑑定などは出来なかったらしいがほぼ本人が作ったもので間違いないと警察は断定している。内容は詳しくは明かされていないが、思春期の高校生にありがちな未来への不安から自殺へと至ったらしい。
「だから捜査方法を変えるんだよ」
彼女のその折れない心はどこから来るのか。今日も大変な一日になりそうだ。
真っ先に彼女が向かったのは、彼が所属していたクラスだった。
彼女が教室に入るとざわめきが起こった。
この学校で佐々木姫花、と言えば教師でさえ苦虫をかみ潰す。好奇心という言葉では収まりきらない彼女の行動はありとあらゆる所に及ぶ。
ある時は学校の調理室で。ある時は渡り廊下の屋根で。ある時は教師の家で。
どんな事でも自分の楽しさのためにやってのける彼女は、当然誰からも疎まれている。
彼女の世話役として傍にいるのがこの僕、黒田圭介だ。幼い頃から振り回され続けた僕は彼女のブレーキとして世話を押し付けられている。
この視線には慣れているが、今までとは違う空気が流れている。ただでさえクラスの仲間が死んだばかりだ。これ以上問題は持ち込まれたくないのだろう。
無言の圧を感じた僕は、引き返そうと提案したが、僕の言葉で止まる女ではない。
「この中で一番堂本充と仲が良かったのは誰?」
空気の読めない彼女は高らかに叫ぶ。
クラスの静寂を破り、溜め息混じりに答えてくれたのは畠山宏通だった。
「多分、俺が一番絡んでいたと思います」
畠山を引き連れ、今は使用されていない教室へと向かった。
緊張で肩が上がっている彼に、出来るだけ優しい声で質問を始めた。
「俺達が出会ったのは中学校です。初めて彼と話したのは部活に入部したときです」
普通の高校生らしく、マンガの話や好きな女子の話で盛り上がり仲良くなったようだ。
「充は誰よりも一つの事に集中できる男でした。特に自分の好きなものは誰より調べて理解し、傍に置いておくような奴でした。その時の表情は誰よりも輝いてました……」
彼女はその話を退屈そうな顔で聞いた後、はっきりと言った。
「貴方達の仲良しエピソードなんて一ミリも興味ないの。私達が聞きたいのは事件の前に変わった事がなかったかだけ」
デリカシーの欠片もない彼女の質問に呆れつつ、出来るだけ彼を傷つけない言い方で僕からも尋ねた。
彼は右手を額に当て少し考えた表情をしたが、
「事件の前日も変わった事なんてなかったし、そんな急に自殺に至るような事は簡単には起きないと思います。ただ、ずっと悩みを抱えていたとしたら、僕にも分からないですけど」
その言葉を聞き、少し笑みを浮かべた姫花。彼女からすれば堂本充の死が自殺ではないかもしれない、と分かれば喜ばしいことなのだろう。
「もし本当にこれが事件なら、姫花さん絶対に解決して下さい。あいつはこんな所で死ぬような奴じゃないんです!」
友人のために必死に頼みこむ畠山を無視し、彼女はスキップで出て行く。彼の思いを受け取り、協力してくれた事に感謝を述べた。人の心を持たないあの女には友情など興味はないようだ。
学校で聞き込みをした後、彼女が放課後に向かったのは彼の母親の所だった。
マンションのどの階に住んでいるかは把握していなかったためまず管理人室に向かった。
管理人は怪訝な顔をしていたものの、姫花お得意の涙を見せると一発で教えてくれた。
エレベーターに乗り、彼が住んでいた十三階に行く。
扉の前に立つと急に汗が噴き出してきた。息子を亡くした母親に会うのだ。緊張しないなんて無理だ。呼吸を整え隣を見ると、涼しい顔をした姫花がインターホンを押していた。
こいつの突然の行動には慣れていたが、今回ばかりは本当に手が出そうになった。
インターホンから、か細い声で返事があった。
「どちら様ですか?」
「初めましてお母様。私充君と仲良くさせてもらっていた者です。どうしてもお話が聞きたくてお伺いさせて頂きました」
少ししてから扉が開いた。
扉の向こう側にいた彼の母親はひどく疲れた表情をしていた。
なんの抵抗もなく彼女は僕達を家に上げてくれた。
息子を亡くしてまだ日も経っておらず、きちんとした会話ができるか心配だったが、想像以上に落ち着いていた。
「充は幼い頃から大人しい子でした。あまり自分の意見を言うことはなく、周囲の意見に流されていました。私自身はそういう性格だと割り切っていましたが充は違ったみたいです」
そう言って彼女が渡してくれたのは一枚の封筒だった。中にはパソコンで打たれた無機質な文字の羅列があった。
「自分がなんなのか分からなくなった。きっとこの先も誰かに流され続ける。そんな人生にきっと意味はない」
少しの沈黙が続いた後、姫花が口を開いた。
「なぜ私達にここまでしてくれるんですか?」
よく考えてみれば彼女の言う通りだ。いくら友人と名乗っているとはいえ、よく素性の分からない二人組だ。それをこうも簡単に上げてくれたうえ、遺書も見せてくれるなんて。
「これは私のワガママです」
ワガママ?
「えぇ。貴方達が友人かどうかなんて関係ないの。ただ貴方達が私の息子について調べ、あの子について考え続けてくれさえいれば。あの子が悩み抜いた決断で、誰かの記憶の中で生き続けてくれれば……」
先ほどまでは落ち着いていた彼女だったが、息子への想いを喋りだした途端堰を切ったように涙が溢れだしていた。
帰ろうと立ち上がった瞬間、
「まだよ」
まだこれ以上何があるんだよ。
「私達がここに来た理由は事件の前日に何か変わった事がなかったか。それを聞かなきゃ何も分からない。彼が本当にあなたに伝えたかった事さえも」
そう言い放つ姫花の表情は今までにないくらい真剣だった。初めて姫花の人の心を見たかもしれない。母親の息子を想う気持ちに感化され、こんなにも真っ直ぐに人を見つめている。
まだ何かあるかもしれない。彼が残したかったメッセージが。もう一度何かおかしな点はなかったか尋ねてみた。
「ごめんなさい。私は何も気付けなかったわ。だけど……あの子なら」
「あの子?」
「従姉妹の瞳ちゃんが充と仲良くしてくれてたの。充も彼女には心を開いていたみたいで二人でよく会話をしていたわ。もしかたら彼女なら何か知ってるかも」
従姉妹の連絡先を聞き、その場を去る。
不謹慎だが僕は喜びを感じていた。姫花に人の心を感じることができたからだ。何か変化があるかもしれないと思い、彼女の方へ視線を向ける。
外に出る彼女の足取りは軽かった。
「ようやく手掛かりになりそう!」
……感動してしまった僕が馬鹿だった。こいつは女優顔負けの演技ができる奴ということがすっかり頭から抜け落ちていた。
さすがに陽も落ちてきた。
今日はこれで終わりかと思いきや、
「よし。じゃあ早速行きましょうか」
などとほざきやがった。
この時間は相手に迷惑だと伝えると彼女は電話を取り出した。
先ほど教えてもらった電話番号にかける。
相手の戸惑っている声がかすかに聞こえたが、半ば強引に出会う約束を押し付けられていた。
電話先に同情しつつも、姫花に付いて行く。
目の下に赤みを浮かべた表情で僕達を出迎えてくれたのは、加藤瞳だ。
堂本充より歳は一つ上で、別の高校に通っているらしい。幼い頃から姉弟のように育ってきた彼女にとって堂本充の死は受け入れがたいものなのだろう。
「思い出話にはもうウンザリだから、単刀直入に聞くわ。最近堂本充に変わった事はなかった?」
出会って間もないのにハッキリ言いやがった。 こいつの無神経さに気を配っていると、こちらの胃がいくつあっても足りない。
姫花の失言をカバーしつつ話題を進める。
「特になかったと思う。電話でもとても楽しそうだったし、全く不満や愚痴を溢していた事もなかったわ」
彼女はそう言い切った。
「本当に何もなかった?」
「ええ。なかったわ。だからこれ以上変に探りを入れるのはやめて」
彼女から意外な言葉が出て驚いた。だが少し考えれば当然かもしれない。亡くなった家族について赤の他人に調べあげられ、色々詮索されるのは遺族からすればとんだ迷惑だ。堂本の母親は細部まで話してくれたが、彼女のような人間はごく少数だろう。
「確かに私には充が自殺に至った動機は分からない。けどあなた方が望むような理由はないと思うの。わざわざ私達家族に訪ねてまで彼の痛みを晒さないで」
彼女の正論に圧倒され、出された茶も冷め切る前に引き返した。
姫花は何か思う所があるらしく、帰り道ずっと黙ったままだった。
翌朝。加藤瞳の言葉を真摯に受け止めたのかは分からないが、久しぶりに騒音のない快適な時間を過ごせた。
結局一日中姫花が話しかけてくることはなかった。今日は平和だった。そう思いながら靴を履き外に出た瞬間、後ろから人が走ってくる音が聞こえた。
「圭介! 私すごい事に気付いたかもしれない!」
もう止めてくれ。これ以上するなら俺まで死んでしまうかもしれない。
「あなたも気になってるでしょ。昨日の加藤瞳の反応」
......図星だった。
家族として事件をかき回されるのは気分が悪いのは分かる。
だがそれにしても彼女はハッキリしすぎていた。彼の自殺の動機について分からないと答えた人はいたが、なかった、と言ったのは彼女一人だった。
まるで動機が彼女にとって不都合な事があるかのように。
だがあくまで素人がそんな気がしただけだ。それが事件に関わっているかどうかは分からないし関わっているなら尚更僕達が突っ込むべきじゃない。
僕の考えを話すと姫花は笑顔を浮かべていた。
「やっぱり私一人の思い違いじゃないよね」
しまった。彼女の行動を促すような発言をしてしまった。
「もう一度聞き込みをやってみるわ」
やっぱりこうなるのか。歩く気力も起きない僕の腕を掴み、姫花は駆け出した。
僕等は再び畠山の所へ向かった。
「堂本充について聞きたい事があるんだけど」
またしても呼び出しを食らい、不機嫌そうな畠山に姫花はこう質問をした。
「正確には彼についてじゃないわ。彼の従姉妹の加藤瞳についてよ」
そう言われた畠山の表情は、更に不信感を増していたが話してくれた。
「従姉妹ですか? 彼からあまり話題に上がったことはないですけど」
「でも今思い返してみたら、よく家族の用事があるって言って帰ってました。もしかしたらその時に会ってたりしたのかもしれないですけど。何か関係があるんですか?」
内向的だった彼が家族について余り話さないのは当たり前かもしれない。
だが意図的に隠していたとしたら話は変わってくる。
まだ手掛かりというにはほど遠いものだが、もし隠された事実があるならばきっと関わってくるはずだ。
今までは姫花の無茶ぶりに振り回されていただけだったが、こうなってくると自分の好奇心も刺激されてくる。
僕等は学校を飛び出した。
僕等は堂本充の部屋を調べることにした。 彼の部屋から何か加藤瞳とのわだかまりが見つかるかもしれないと考えたからだ。
だがその考えの甘さにすぐに気付かされた。
しばらくの間部屋を調べたが、特に変わったものはなかった。警察の捜査も入っていたため、怪しいものは回収しているだろうし、第一本当に何か裏があるなら分かり易い場所に置いておく訳がない。
一時間半ほど部屋に篭もっていた僕等を心配してくれたのか、堂本母が声を掛けてきた。
「何か分かりましたか?」
出してもらった冷たい緑茶を飲みながら姫花が答える。
「いえ。探していたようなものは見つかりませんでした。そうだ! お母さんは充君と瞳さんの関係について不思議に思った事はありませんか?」
なぜ一番最初にそれを聞かなかったのか。いや気付かなかった僕も悪いが。
「……今から少し変わった事をお話ししますね。充は多分瞳ちゃんのことが好きだったんだと思います。一人の女性として」
「えぇ。知ってます」
堂本母は目を大きく見開き、声を上げた。息子の秘密について人に話したのに相手も知っていれば、そのような反応になるのは当たり前かもしれない。
俯きながら二人の過去を話してくれた。
「あの子達が初めて会ったのは、五歳くらいだったと思うわ。夫が早くに亡くなってずっと祖父母に預けていた充に同世代くらいの友達を作ってあげたかったの」
親として内気な息子に友人が出来ないのは不安だろう。そこで白羽の矢が立ったのが兄の娘だったということだ。幸い瞳は社交的な性格で二人はすぐに仲良くなれたそうだ。
「違和感に気付いたのは中学校に入ってからだったかしら。二人の仲が良いのは重々承知していたつもりだったけど、充の瞳ちゃんに向ける感情が友情だけではないような気がしたの」
思春期に入り敏感になっているだけだと思い、その時はスルーしていたらしいが、段々と無視できないものになってきたらしい。
「毎晩の通話や休日のお出かけは当然。祝い事があれば深夜になってから帰ってくるようになって、アクセサリー等の高価な物も彼女にプレゼントしていたの」
話を聞いた限り、やはり二人には何か問題があったのかもしれない。もう一度会って話をする必要がある。
そこまで静かに話を聞いていた姫花がゆっくり口を開いた。
「お母さん。もし事件の真相が分かったとして、それでもあなたは充君の選択を責めないであげられますか?」
意味ありげに姫花は問いかける
彼女の視線の先は堂本母に向けられている。
「あの子に何があったのかは分からない。でも、あの子が選んだ人生だけは絶対に否定しないわ。だって、母親だもの」
その言葉を聞き、少し笑みを浮かべ姫花は玄関に行った。僕も慌てて茶を飲み干すと、礼を言い外に出た。
姫花に先ほどの発言の真意を聞いた。本当に何か分かったかもしれない、と思ったからだ。
「え? 息子を思う母の本気の気持ちが見たかったから」
微笑みを浮かべながらそう言った。
僕は何度彼女に幻滅すれば、彼女の狂気を理解できるのだろうか。
悪魔のような彼女に調べあげられている堂本充に少し同情した。
次の日は休日だったため、朝から掛かってくる電話が本当に辛かった。
早朝から訪ねたのは加藤瞳の家だった。
応対してくれた加藤瞳の母親は不機嫌そうな顔を僕達に向けた。だが堂本充の名前を出すと直ぐに加藤瞳を呼んでくれた。
「また来たの? もう不必要な詮索は止めてって言ったよね」
前回同様あまり歓迎されていないようだ。
しかし今回は話が違う。もし彼女が本当に事件に関わっているなら、徹底的に追い詰めなければならない。
この家では話し辛い内容のため近くの公園に場所を移した。
「あなた充君について隠してる事あるよね」
相変わらずオブラートという概念を知らない姫花はストレートに質問した。
「別に隠すような事なんてないし、あなた達失礼すぎない?」
「確かに失礼なこともあったかもしれない。それについては謝るわ。けどあなたに気を使う必要なんているかしら?」
お互い静かに敵意を示し、今にも嚙みつきそうな雰囲気を醸し出していた。
沈黙の後、再び口を開いたのは姫花だった。
「瞳さん、貴方充君から好意を受けてたのはご存じ?」
「ええ。少なからず良い友人として好意は受けていたと思うわ。もし異性としてという意味なら話は変わってくるけど」
姫花の質問に動じることなく答える。なかなか肝の据わった女性だ。
「では質問を変えるわ。貴方自身充君の事をどう思っていたの?」
姫花も負けじと質間を続ける。
「……仲の良い従兄弟よ」
急に歯切れが悪くなる。そこを見逃す姫花ではない。
「いいえ。貴方はそう思ってないわ。一瞬の沈黙がそれを物語っている。ずっとウンザリしてたんでしょ。彼の好意に。」
「……違う」
「貴方はただの親戚付き合いなのにしつこく付きまとってくる。毎日のように貴方の家に入り浸り、高価なプレゼントまでしてくる。貴方からしたら気持ち悪いよね」
「……違う」
「挙げ句の果てに真っ正面から告白もされた。違う? 陰キャは気持ち伝えるのヘッタクソだもんね~」
「違う!」
急に声を荒げる瞳。弱っている彼女に姫花は追い打ちをかける。
「貴方充君のお母さんが何て言ったか知ってる?」
声色を変え、優しく語りかける姫花。スマホを取り出し一本の動画を再生した。その音声は堂本母の声だった。家を訪れた際に聞いた、充君への想いの言葉だった。
動画が終わると、加藤瞳は座り込み泣き出した。
先ほどの凜とした姿はそこに無く、子供のように泣きじゃくっていた。
涙が落ち着いた頃、少しずつ彼について話してくれた。
「初めはお互いに仲の良い友達だったの。家も近かったし毎日のように遊んでた。でも彼はだんだん変わっていった」
「明らかに私を異性として認識し始めて、私に過度な対応をするようになって来たの。ずっと姉弟のように思ってたのに急にそういう風に見られて、嫌だった」
ひどく弱っていた彼女だったが、言葉にはある種の強さを感じた。
それに圧倒されてか、姫花も余計なことは口に出さなかった。
「ある日はっきり言ったの。もうやめにしてほしいって。私は充を異性として見れないと。すると彼はこう言った」
「君にどれだけ愛情を送ったと思ってるんだ。君のためにどれだけ周りの害虫を駆除してきたか」
「最初彼の言葉の意味が分からなかった。でもそこからある一つの結論が出てきた」
「私の友人に男性は一人も居ない。一度話してくれても二度目はないから。私から仲良くしようとしても皆遠ざかっていく。もしこれが充の仕業だったとしたら」
鳥肌がたった。
問題があるのは加藤瞳の方だと考えていた。
だが実際に異常だったのは堂本充の方だった。
姫花が堂本の母に言った言葉を思い出した。
“それでもあなたは充君の選択を責めないであげられますか?”
あの時には既に気づいていたのだろうか。
姫花は何も話してはくれなかった。
「そう思うと激しい怒りと恐怖が生まれた」
「あんたなんて死ねばいいのに」
「思わずそう口から零れていた。しばらくして電話が切れた。次の日のニュースで彼が死んだ事を初めて知った」
「彼が私の言葉をどう解釈したか知りたくもないし、二度とその名前を聞きたくもない」
ずっと地面を見つめている彼女の肩が、再び震えだした。
「でも今充のお母さんの話を聞いて、ちっちゃかった頃を思い出して分かんなくなっちゃった」
全てを話し終えるとまた泣き出してしまった。
僕には正しい声の掛け方が分からなかった。
彼女がこれを伝える事にどれだけ勇気が必要だったか。
本当に真実を明かすべきだったのか。
そしてこの事実を姫花がどう考えているのか。
色々な疑問が頭を駆け巡ったものの何一つとして正解は出てこなかった。
あの後僕等は一言も会話せずそれぞれの帰路についた。
確かに僕等は真実を知った。だがきっとそれを知るべきだったのは僕等ではなかった。それを理解しているからか、姫花は周囲にそれを広める様子はなかった。恐らく僕等のできる贖罪なんてこれくらいしかできない。
人の好奇心というものは恐ろしいものだ。時に知らなくていいものまで知ってしまう。僕等は子供すぎた。自分の欲望のままに他者を不必要に傷つけてしまった。この真実はこれから僕等が背負っていく十字架となるだろう。
きっと姫花も気付いたはずだ。これから暴走する事はなくなるだろう。してしまった失敗は大きいが収穫も得られた。だから許されるという訳でもないが、少しでも心労がなくなるのは個人的にとても助かる。
カーテンを開き、背伸びをする。
自分の中の気持ちの整理がついた時、玄関からノックが聞こえる。
こんな朝早くから家に来る奴は一人だけだ。
いつも通りの彼女を思い浮かべ、頭を抱えながら玄関を開けた。
(終)
姫花! 大鷲 @2021bungei03
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