第122話 諦めない!

 ユガ地方全土を豊かにするために、西部の「耳の川」から、東部に向けて用水路を建築する。

 発案した計画を実現するために、西部へと赴いた国司コランと、部下の国衙兵たち一行。

 しかし彼らが現地に着いた……いや、現地に着くまでの道中で見た物は、その計画を実現する事が極めて困難であるという、厳しい現実だった。



「こ、これは……」

 道中、輿に乗りながら、揺れの激しさと堅い足音に表情を曇らせるコラン。

 随伴の兵士たちも、道中に踏みしめる地面の感覚に、自分たちの計画の困難さを予感し、不安げな表情を浮かべるのだった。

 そして彼らの不安は、西部の「耳の川」沿いに到着した際に、よりはっきりした形で突きつけられる形になるのだった。



「地面が……固すぎる……」

 兵士達が、呆然とした声を上げる。

 「耳の川」の川沿いの地面は……土などはどこにもなく、岩盤、硬い岩がどこまでも広がっていた。

 「耳の川」は、硬い岩が広がる岩盤が削られた様な地形を流れている川だった。

 そして、硬い岩の地面が広がっているのは川沿いだけではない。

 ここまでに来る道中の至るところに、柔らかい土ではない、固い岩盤が広がっている地域が点在していた。


 「ユガの岩畳」と呼ばれる、地面が岩盤になっている箇所が至るところに点在している地形。

 これこそがユガ地方の灌漑を困難にしている要因であり、まずは川沿いが。そしてその先も要所要所の地面が岩盤地帯になっているために、水路を引こうと思っても、掘削する事ができないのであった。


 「耳の川」に隣接した地域に領地を持つ四部族は、辛うじて川から水を確保する事が出来る。

 しかしそれも、川まで水を汲みに行く事によるもの。または、長い期間を掛けて地面を削り……ようやく出来た細く短い水路を利用する様な、ごく小規模なものに限られていたのであった。



 ……………



「だから言ったでしょう?」

 国司一行を追いかけてきた娘たちは、「耳の川」の河原で呆然としているコランに語りかけた。

「この川沿いは勿論、ここから東の至るところが岩盤になっているので、水路を掘る事なんて、できないのです」

「……………」

 娘たちの言葉を聞きながら、コランは呆然と水面を眺めていた。

 思い出してみると、当時は娘達の色香に夢中でよく聞いていなかったが、確かに「ユガの石畳」の地形についてはレクチャーを受けていた様な気もする。


 岩が広がる地面を眺めているコランの側で、トルテアとクリークが言った。

「ハーンのお力……消滅能力であれば、こんな場所でも地面を削り、水路を掘る事ができるかもしれないわ。でも……」

「ハーンがわざわざこんな辺境の地に来て、地面を掘ってくれるなんて思えません」

 コランも川面を眺めながら小さく頷く。

 このユガの地はまだまだ情勢不安定な、リリ・ハン国の最辺境だ。そして現在、ハーンは本拠地である「火の国」の整備を最優先の方針としている。そんな情勢を考えると、こんな辺境の工事のために、ハーンが足を運んでくれるとは考えられない。


「だから、この土地で水路なんて無理……」

 ハッチャがため息をつきながら言った。

「現在『火の国』本国で行われている開発が完了すれば、周辺国に開発の手が回るでしょうし、いつの日か、このユガにもハーンや本国の方が来られて、街道や水路を掘ってくれるかもしれません。でもそれは……」

「きっと、何十年も先の話になるでしょうね。あたしたちが生きてる間に実現するか、怪しいものだわ」

 クリークに続いて、トルテアが言った。

「それに、そもそもこの地方にこの先『いつの日か開発の手が回ってくる』か、すら怪しいです」

 諦観に溢れたサシオの言葉に、コランも心の中で頷いた。


 このユガの地は、リリ・ハン国の最辺境。本国である「火の国」、新領土である「隅の国」などよりも重要度が低く、おそらくは開発優先度は最下位だろう。

 更に、今後もしリリ・ハン国の領土が拡大した場合……例えば、西部の「後ろの国」や北方の「豊かなる国」などが領土に入った場合、重要性や肥沃度などを考慮して、開発はこれらの地域の方が優先される筈だ。

 辺境の最貧地方であるユガ地方の優先度は、どこまで行っても最下位だろう。

 北方への通り道という事で、街道くらいは通してくれるかもしれない。しかし、用水路にまで手が回る事は、いつまで経っても無さそうに思えた。



「この地方を豊かにしたいという、国司様のお気持ち、嬉しかったですわ」

 呆然と河畔を眺めているコランに、優しくクリークが言った。

「一緒にユガの街まで戻って、何か他に良い方法がないか、考えましょう?」

「……………」

 コランは何も言わずに「耳の川」を流れる水を眺めている。

 民衆を豊かにしてくれる筈の水。だが、届ける事はできない水……。

「ほら、帰るわよ」

「国司様、みんなで帰りましょう」

「国司館に戻って、みんなで他の方法を考えましょう……」

 トルテアたち3人が、戻るようにコランを促す。


 しかし……

 コランは大きく首を振って、一言大きく「嫌じゃ!」と叫んだ。


「国司様!?」

「麻呂は……麻呂は、諦めぬぞ!」

 そう言って、おもむろにツルハシを手に持ち、大きく振りかぶって……地面に突き立てた。

 がちんと硬い音とともに硬い岩に突き立てられるツルハシ。僅かに削られた岩が弾け飛んで宙を舞う。それを見て、コランは叫んだ。

「皆の者、見るでおじゃる! 硬い岩ではあっても、僅かではあっても、確実に削られておる!」

 コランは随伴の国衙兵たちに呼びかけた。

「麻呂たちがツルハシを振るえば、僅かずつでも、着実に岩は削る事ができる!

 最初は浅くて狭い水路しか掘れないかもしれぬ。じゃが、ツルハシを振るい続ければ、僅かずつでも着実に地面を削り、水路を掘る事ができるのじゃ!」

 コランは国衙兵たちに叫んだ。

「ユガの民に水を届け、民衆を豊かにできる日に、僅かずつでも着実に近づく事ができる!

 掘り続ければ、いつの日か民衆に水を届ける事ができる!

 そのために……どうか麻呂に、皆の手を貸してくれい!」


 コランの言葉に、国衙兵……イプ=スキの兵士たちは顔を見合わせて……。

 ……そして、一斉に「応!」と叫んだ。

「わかりましたぜ、隊長! ……じゃなかった、国司様!」

「俺たちも力を貸しますぜ!」

「我らイプ=スキ兵の手で、みんなに川の水を届けましょうぜ!」

 口々に叫んで、皆が次々と地面にツルハシを振り下ろし始める。

 あちこちからツルハシを地面に打ち下ろす、硬い音が響き、僅かに砕かれた岩が宙を舞い始める。


「ちょ、ちょっとあんたたち……」

 その様子に、トルテアが当惑した声を上げる。他の娘達も呆然として皆を眺める。

 彼女たちの目の前で、コランと随伴の兵士たちは、日が沈むまで黙々と、いつまでも地面にツルハシを振り下ろし続けるのだった。



 ……………



 何が何でも、例え地面が石畳で、ほとんど削る事ができなくても、諦めずに水路を掘り続ける。

 コランたちの行動はその日だけではなかった。


 翌日からも、コランは朝早くから随伴の兵士達を引き連れ、ツルハシを手にユガ西部の「耳の川」付近まで出かけて行った。

 そして一日中ツルハシを振るい続け、日が沈んでから国司館に帰ってくる。


 夜に帰ってくる兵士たちは汗だくでヘトヘトになっており、本当に一日中、ほとんど削れなくても地面にツルハシを打ち下ろし続けてきたのは明らかだった。

 そして……国司であるコランも率先して作業に加わっており、夜に娘達の元に帰ってくる頃には、流れ出した汗で、顔に塗った白粉おしろいが流れ落ちてしまっている有様だった。



「まったく……。本当に……馬鹿なんだから」

 戻ってくるコランの顔を見ながら、呟くトルテア。だが、その声は柔らかいものだった。

「本当ですわね。こんな果てしない、何年間、いつまで掛かるのかわからないものに、一生懸命になって……」

 クリークも呟く。

「私たちのために……」「国司様たちが……」

 その横では、サシオとハッチャもコランの姿を見つめていた。



「……クリークさん、あたし、提案があるのですけど」

 疲れて寝てしまったコランを見つめながら、小さな声でトルテアが言った。クリークは静かな笑顔を浮かべて頷いた。

「奇遇ですわね。わたしも多分、同じ事を考えていましたわ」

「私もです」「わたしも……」

 その横から、サシオとハッチャも小さくも決意を込めた口調で言った。


「……………」

「……………」

 4人は、お互いに顔を見合わせて、小さく頷いた。

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