第107話 「灰の街」表敬訪問(2)

 「灰の街」の表敬訪問2日目の午前。

 わたしは、諸侯のみんなと共に「灰の街」をお忍びで散策していた。


 わたしと一緒に歩くのは、リーナと爺。

 そしてサカ君とウス=コタ、グランテとサラク。我が国の諸王と将軍たちだ。彼らはわたしの護衛も兼ねている。

 そして、前日は用事で欠席していたコアクトも、この日から合流していた。

 彼らに一部の従者を連れただけの、比較的少人数での散策となった。


 「お忍び」と言いつつ、人間の街である「灰の街」において、ハーンであり「ゴブリリ」であるわたしと、ゴブリンの一行であるわたしたちの存在はバレバレである。

 でも、「灰の街」の住民たちは心得ているのか、歩いて行く先々の住民たちは「りり様!」と声を掛けてくるけれども、必要以上に取り囲んだり、人だかりの山ができたりはしない。おそらくは普段通りの「灰の街」の賑わいなのだろう。

 「灰の街」首脳部の意向が伝達されているのもあるだろうけれど、街の人々による、わたしたちに「灰の街」散策を楽しんで貰いたいという心遣いなのだった。その気持ちが嬉しかった。


「『灰の街』は、本当に賑やかですね」

 わたしは周囲を見渡しながら、大通りを歩いて行く。

 昨日は凱旋パレードで人だかりに埋め尽くされていた大通りだが、この日は行き交う人々で賑わっており、通りの両側には露天や商店が並んでいた。


「ハーン様、焼き菓子はいかがですか?」

「りり様、これもおいしいですよ!」

「このアクセサリーをお試しください!」

「この服、りり様にきっとお似合いになりますよ!」

 周囲の露天や店から、食べ物や小物、服などを売り込む声が飛び込んでくる。

 わたしは目移りしながらも、周囲の声に「ありがとう」と答えるのだった。


 リーナと爺、そしてコアクトが見繕いながら周囲の声に対応していく。

 彼女たちは従者たちと共に、それぞれの店と調整して、品物をわたしの代わりに受け取ったり、後日「献上」する扱いを整えたりする。

 いずれの店も、何らかの品物を「献上」することで「ハーンが召し上がったお店」「ハーン御用達」などを自称する事になるのだ。我ながらハーンとしての役割も大変なのだった。


 露天や商品から売り込まれた様々な品物の中から、コアクトが見繕った品物を持ってきてくれた。

「りり様、こちらをどうぞ」

 手渡されたものは、クッキーとイカ焼きだった。

「クッキーは焼きたてですし、こちらは港で今朝取れたばかりのイカを焼いたそうですよ」

 そう言いながら、全員に配っていく。

「みんなで食べましょう!」

 コアクトに促されて、わたしたちはクッキーを食べて、イカ焼きを頬張った。

「……美味しい!」

 思わず言葉が漏れてしまう。

「美味しいですね、りり様!」

「うむ、これは美味しい」

 サカ君とウス=コタも笑顔を浮かべて美味しそうに食べている。

「ヘルシラントよりも甘辛い味付けですが、これもいいですな」

「『灰の街』ならではの味という感じがして、いいですね」

 爺とリーナも美味しそうに食べている。



 その後も、様々なところで食べ物や商品を勧められ、楽しみながら大通りを歩いて行く。

 「灰の街」の賑わいの中。みんなと共に味わい、楽しみながら散策するのは、とても楽しかった。


 いつも過ごしているヘルシラント族の洞窟や幕舎の中で、玉座に座っていては味わえない体験。青空の下、「灰の街」の大通りを皆で歩く体験。とても新鮮で楽しかった。



 ……………



 そうして楽しみながら歩いていると、いつしかわたしたちは大通りを歩き終わって、街の中心にある大広場に足を踏み入れていた。


「わあ……っ」

 青空の下、広々とした空間、その中を行き交う人々。

 広場の周りに立ち並ぶ、背の高い建物たち。

 そして、正面にある(昨夜晩餐会が開催された)「灰の街」の大庁舎の偉容。

 いずれも普段見ないものなので、その珍しさにわたしは歓声を上げた。


「?」

 周囲を見渡していたわたしは、ふと正面の……大庁舎前にできている人だかりに気がついた。

 どうやら囲いの中に何かが置かれていて、みんながそれを眺めているみたいだけど……。

「? 何でしょう? あれは?」

 近づいて見に行こうかと思った時、横からコアクトが口を挟んだ。

「何かの政令とかの告示でしょう。りり様がわざわざご覧になる程の事ではありませんよ」

「そうでしょうか……」

「はい。それより、あちらをご覧下さい!」

 コアクトがそう言って、右手の大きな建物を示す。

 そこには、大庁舎に劣らぬ、白亜の石が映える大きな建物だった。

「あれは……もしかして?」

「はい!」コアクトが笑顔で頷いた。

「あれこそが、『灰の街』が誇る大図書館。りり様が楽しみにされていたものですよ!」

 そう言って、わたしの手を取り、指し示して言った。

「りり様のご要望の通り、『灰の街』のご厚意で一日、貸し切りにして貰っています! ご一緒に今日一日、図書館を楽しみましょう!?」



 ……………



「わあ……っ!」

 「灰の街」の大図書館に入り、周囲を見渡したわたしは、歓声を上げた。


 中央部を貫いて通っている、読書台が整然と置かれている大広間。

 どこまでも続いているのでは、と思わせる大広間の通廊はとても天井が高く、そして長い。

 そして通廊の両側には何層もの本棚で埋め尽くされており、高い場所の本を取り出すための長い梯子が幾つも掛けられている。

 どこまでも続く大広間中央の天井は、中央が硝子張り、その横には魔光石が埋められており、昼は日光、夜は魔光石の明かりで本が読める様に工夫されていた。


 わたしは、図書館の中心で、大きく深呼吸した。

 天井の高い、広い空間に所狭しと置かれた本棚たち。

 本の匂いが、インクの匂いが、そして羊皮紙の匂いが伝わってくる。

 自分の本拠地、ヘルシラントの洞窟図書館よりも強く、濃厚な図書館の香りを、わたしは目を瞑って、何度も息を吸い込んで満喫した。


「ヘルシラントの……りり様の図書室よりも何倍も大きいですね。さすがは『灰の街』の図書館です」

「はい。……はい!」

 コアクトの言葉に、わたしは笑顔で頷いた。

「こんなに本があるなんて……なんて、素敵なのでしょう!」

 そして、本棚に書かれている看板を見ながら、コアクトに呼びかける。

「あちらは歴史書、あちらは辞書や実用書、そしてあちらは小説……。見て下さいコアクト。あの大きな本棚の、あそこからあそこまでが全て歴史書なんですって! どうしましょう! どれから読みましょう?」

「見ているだけで、わくわくしますわね」

 コアクトも弾んだ声で答える。

「この図書館は今日一日、りり様への貸し切りですし、持ち帰って読みたい本がありましたら、貸し出しする事もできますよ」

「もう……全部の本を貸し出して欲しいです!」

 わたしは興奮して大声で叫ぶ。

 周囲の者がこちらを見る視線にちょっと赤面しながら……わたしは少し声を潜めて、コアクトに続けた。

「で、でも、まずはどんな本があるのか、手に取って見ていきたいです! コアクト、一緒に行きましょう!」

「はい、りり様」

 コアクトが笑顔で頷いた。



 こうして、この日一日、わたしは夢中になって図書館を歩き回った。

 本棚に入っている本たちのタイトルを見ているだけで楽しい。自分の、ヘルシラントの図書室には無い、貴重な本が沢山ある。

 そして、本を開くと、中に書かれている貴重な情報が。そして素敵な物語が目に飛び込んでくる。

 夢中になって読み進めて、ふと目を上げると、結構時間が過ぎてしまっている。

 改めて見上げると、高い天井まで何段も続く本棚に、本達が埋め尽くされている。

 そして周囲を見ると、本棚がどこまでも続いており、ぎっちりと詰め込まれた本達が、どこまでも続いている。

 こんな巨大で、そして素敵な図書館を持っているなんて……『灰の街』は、そして人間たちは本当にすごい。

 この本の一冊一冊が、貴重な歴史書であり、伝えられた実用的な知識であり、見たこともない素敵な物語なのだ。

 楽しい。ここにいるだけで楽しい。そして……時間がどれだけあっても足りない。



 わたしは心ゆくまで読書を楽しみながら、思いを巡らせる。

 いつの日か……自分でも、そしてわたしたちゴブリンにも、こんな素敵な図書館が欲しい。

 わたしの本拠地にある、ヘルシラントの洞窟図書館をもっと拡張したい。

 全ての書物を集めたい。本で埋め尽くされた、大ゴブリン図書館を作りたい。

 そんな思いが、いつの日か叶えたい理想が、わたしの中で育ちつつあったのだった。

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