第103話 戦後処理(1)

 トゥリ・ハイラ・ハーンの2年(王国歴594年)、陽の月(8月)。

 「シブシ戦役」を完遂し、リリ・ハン国諸部族の軍勢と「灰の街」傭兵団たちは、「隅の国」の各地から大本営がある「星降る川」河畔へと帰還していた。

 「灰の街」にほど近いこの地に、各軍勢が意気揚々と帰還、集結している。また、シブシ族も、捕虜となった者たち、降伏・恭順した者たち……それぞれの立場でこの地へと連れて来られていた。


 この「星降る川」河畔の大本営では……論功行賞、そして戦後処理が行われるのだ。



 ……………



 大本営の幕舎。

 幕舎の外側には、高々と馬印が掲げられていた。

 聖騎士サイモンの剣が輝くハーンの馬印を中心に、各方面軍が掲げていた馬印が並んでいる。

 いずれの馬印にも、馬の尾が取り付けられている。開戦時には純白であった白馬の尾は、いずれも戦場で敵の血で朱く染められている。誇らしげに真紅の尾に彩られた馬印は、ハーンの軍勢にとって勝利の証であった。



 そして、幕舎の中では……リリ・ハン国の諸部族の長と「灰の街」の代表たちが勢揃いし、跪いていた。

 イプ=スキ族からは、右賢王うけんおうサカと、弓騎将軍サラク。

 マイクチェク族の左谷蠡王さろくりおうにして矛剣将軍の地位も兼ねる、ウス=コタ。

 オシマ族の左日逐王さにっちくおうグランテ。

 「日登りの国」中部、ユガ地方の諸部族の族長たちの姿もある。

 その他、ヘルシラント族を中心としたハーンから爵位を与えられた者、文官の代表たちが居並んでいた。

 「灰の街」からは、代表として討伐軍の代表を務めたダウナス評議員と、傭兵団の団長、七英雄ペリオンが参加していた。

 そして、最前列には大尚書コアクトが立っており、上座を覆い隠している絹幕の向かい側に、ハーンが出座するのを待っているのであった。


 いずれの者たちの表情も晴れやかである。彼らの心は、今回の「隅の国」への出兵、「シブシ戦役」が無事に完遂され、勝利で終える事が出来た喜びと誇りに満ちていた。



「ハーンがご出座されます」

 絹幕のベールから出てきた、ハーン付きのメイドであるリーナが告げた。


 その言葉と共に、跪く諸侯たちは一斉に頭を下げる。

 跪く彼らを前に、絹幕の後ろに松明と「魔光石」が置かれ、絹幕にハーンの姿が映し出された。



 ……………



 トゥリ・ハイラ・ハーンは、正式な謁見の作法である、浴槽……玉湯にその身体を浸した、一糸纏わぬ姿である。ハーンの権威を象徴する聖騎士サイモンのミスリル鎧とともに、絹幕に浴槽とともにハーンの肢体が影となって映し出される。

 絹幕越しでハーンの表情は見えないが、彼女が掛けている眼鏡が明かりに照らされて煌煌と輝いている。絹幕に映し出されるハーンの影、そして煌煌と輝く両眼の光に、諸侯たちは畏まって深々と頭を下げる。


 この戦いを通じて、直接姿を見せて諸侯たちに語りかけ……そしてカラベの戦いにおいては直接参陣し、兵達にも親しくその姿を見せたトゥリ・ハイラ・ハーン。

 しかし、やはりこうして正式な謁見の場で相対すると、薄絹の向こう側、影となった輪郭しか映っていない状態でもその威厳は格別であり、諸侯たちは思わず深々と頭を下げるのであった。


「皆の者、参集、大儀である」

 絹幕の後ろで、ハーンが言葉を掛ける。

「ハーンが、『大儀である』と仰せです」

 絹幕の前に立つリーナがハーンの言葉を復唱する。諸侯たちは改めて畏まって、深々と頭を下げたのであった。



 ……………



「これより、諸侯の皆様に、畏れ多くもハーンから直々のお言葉があります」

 リーナの言葉に、諸侯たちは平伏してハーンからの発言を待つ。


「皆の者、この度の戦役における活躍、誠に大儀であった」

 トゥリ・ハイラ・ハーンが諸侯たちに声を掛けた。


「皆の活躍により、カラベにおいて行われたシブシ族の暴虐に対して正義を示し、使節虐殺に関わった者たちを捕らえる事ができた。

 また、シブシ族を討伐し、『隅の国』を平定することができた。

 数々の戦いに勝利し、この挙を成し遂げる事が出来たのも、汝ら諸侯の活躍があってこそじゃ。朕は汝らを誇りに思うぞ」

 ハーンの賞賛に、諸王と諸将軍、そしてリリ・ハン国の諸侯たちは歓喜して平伏した。


 ハーンは向き直り、「灰の街」のダウナス評議員とペリオンに対して声を掛けた。

「『灰の街』の協力にも感謝します。今般の出兵が成功裏に完遂されたのも、「灰の街」の協力あってこそ。ダウナス殿のご尽力、そしてペリオン殿たち傭兵軍の戦場における活躍あってこそです」

「また、『灰の街』からいただいた、この王冠……。自らカラベに赴いて活動できたのも、埋め込まれし『弾除けの護符』の力と、ミスリルによる守りがあってこそです。改めて感謝申し上げます」


「ハーン御自らのありがたきお言葉、ルインバース議長に代わりまして、感謝申し上げまする!」

 ダウナス評議員が、平伏して感謝の言葉を述べた。

「ハーンの軍勢とともに戦えました事、このペリオン、生涯の誉れであります! 再びハーンと戦場でお会いできる事を、楽しみにしております!」

 七英雄・重騎士ペリオンもその場に拝跪して礼を申し上げる。彼らの言葉に、トゥリ・ハイラ・ハーンは頷いて続けた。


「もう一度改めて、『灰の街』の協力に礼を言います。

 『灰の街』とは、先日、ルインバース議長の表敬訪問を受けた際に会談を行い、戦後処理や『隅の国』の扱いについても基本合意しています。これからの沙汰につきましても、『灰の街』とは合意済みの内容となりますので、ご承知おき下さい」


 ハーンの言葉にダウナス評議員が頷くのを確認してから、大尚書コアクトが合図をする。

 合図に応えて、幕舎の後方から、一人のゴブリンが引き立てられて来た。



 ……………



 彼……シブシ王イル・キームは、御前に連れてこられると、引率兵を振り切って自分から地面に飛び出し、深々と平伏した。


「い……偉大なるハーンにお目に掛かり、恐悦至極にござりまするぅぅうう……!」

 イル・キームは、冠を外され、髻を切られた情けない姿で、恥も外聞も無く深々と頭を下げ、何度も地面に額を叩き付けて平伏した。

「これより我らがシブシ族は、ハーンの臣として誠心誠意お仕え申し上げまする! そして私も、シブシ族を代表して、ハーンのためにその手腕を発揮したく存じ上げまする!」

 そして、頭を上げ、ハーンの姿を見上げながら続けた。

「どうか臣従の証として、臣イル・キームにも、ハーンのご玉湯を……ハーンに注がれし鎖骨酒を下賜いただきたく存じまする! さすれば、不肖わたくし、ハーンの臣として、一生懸命お仕えいたします!」


「無礼者!」

 衛兵たちがイル・キームを押さえつけて頭を下げさせる。

「許しも無く、偉大なるハーンに直接話しかけるなど、何と畏れ多い事を! 身の程を知りなさい!」

 大尚書コアクトが、彼を見下ろして冷たく言った。

「しかも、ハーンからの下賜を自分から願い出るなど、何と浅ましい……」


 コアクトの言葉とともに、控えている諸侯達から、ぱち、ぱちと音がした。

 諸侯たちが一斉に指を弾いて、非難の意を示しているのだ。

 ぱち、ぱちという音がイル・キームの耳に突き刺さり、無言の鞭となってその身体を打った。

「ひいいっ……!」

 イル・キームが悲鳴を上げる。

 絹幕の向こう側でハーンが制止する様に小さく手を上げたので、皆は手を止めて爪弾きの音は止む。しかし、彼を見る非難と軽蔑の視線は止まなかった。



 恥も外聞も無い姿勢。そして自分から畏れ多くもハーンの玉湯や鎖骨酒を求める図々しい姿に、諸侯たちは冷たい視線を向ける。

 絹幕の向こうで輝いている眼光も冷たく、諸侯たちはハーンが自分たちと同様の冷ややかな視線でイル・キームの事を見ている事が判った。


「……そなたは正式な作法により右賢王に降伏し、助命された故、朕も汝の命は取らぬ」

 絹幕の向こう側から、ハーンの冷たい声が響いた。

「だが、此度の発端である通商使節団や特使の虐殺。それにより朕に干戈を取らせた事は、決して許される事ではない。

 そもそも汝は、朕の股肱の臣たる特使、ランル・ランを自らその手に掛けておるではないか。どの顔を下げて、のうのうと朕の前でその様な台詞が吐けるのか」

 絹幕に移るハーンの目が、怒りに輝きを増す。ハーンは更に続けて告げた。

「それだけではないぞ。汝らが長年に亘り、『隅の国』において悪政を続けていた罪は、断じて許される事では無い」


 ハーンの下には、諸侯の軍勢が「隅の国」各都市を制圧した際に目の当たりにした、シブシ王による民衆への搾取……貧しい民衆の状況について報告が上がっていた。

 シブシ王や上層部の贅沢のために、民衆に重い税金が掛けられ、民衆は長い間、苦しい生活を強いられていたのだ。


 都市の制圧時に、本来は都市内を略奪しようとしていた諸侯の軍勢が見た物は、「民衆は貧しくて何も持っておらず、宝物庫にだけは多大な財貨が集まっていた」状況であった。

 そのため制圧した軍隊は、略奪ではなく、逆に宝物庫から接収した物資や財産を民衆たちに配布する事になった……と、「隅の国」各地からハーンに報告が入っていた。



「汝に統治者の資格は無い。汝が今後もシブシ族を統べる事は許さぬ」

 ハーンが冷たく告げた。

「ハーンが、『許さぬ』と仰せです」

 絹幕の前に立つリーナが復唱するとともに、衛兵たちがイル・キームを押さえつける。イル・キームは「ひいっ」と悲鳴を上げて平伏した。


「もう良い。下がらせよ」

 ハーンの命令により、元シブシ王イル・キームは、衛兵達に引きずられて下がっていった。


 その様子を見て、ハーンはため息をついてから諸侯たちに告げた。

「後ほど、汝らには『隅の国』の領地を配分する事となるが、シブシ族の統治で荒廃した領地と住民を復興させる事が、重大な責務となる。……頼んだぞ」

 ハーンの言葉に、諸侯たちは深々と頭を下げたのであった。

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