第59話 聖騎士来襲 ~一斉攻撃~
「あれが、ヘルシラントの山か」
酒場を出発した聖騎士サイモンは、ヘルシラント山への道を進んでいた。
街道は整備されていて、騎馬でも歩きやすい。
ゴブリンが住むというヘルシラントの洞窟が栄えており、往来が盛んな事を感じさせた。
ほろ酔いの身体に、吹いている風が爽やかで心地よい。
「……………」
前を向いたまま、後方に意識を遣ると、何者かが、密かに後ろからつけてきているのが感じられる。
酒場を出発してから新しく増えたのが、ヘルシラントに住むゴブリンたちだろう。
そして、ずっと以前、出発した時から微かな気配を感じるのは……おそらくは「灰の街」の者たちだろう。
やはり、今回の「ゴブリリ」討伐は事前に気づかれている様だ。そして、「灰の街」の連中は今回の行動にいろいろと興味がある様だ。
彼らが何を考えているのか?
……まあ、いずれにせよ、些細な問題だ。
しばらく進んで、ヘルシラント山への登山口に差し掛かった。
少し先に、ゴブリン洞窟の入口だろうか。山肌に扉が見える。
「……おっと」
ふと、サイモンが馬を止めた。
歩いていた道の前方を遮る様に、深々と溝が掘られ、通れなくなっていた。
最近掘られたのだろうか?
そんな事を考えながら、馬を止めて、周りを見回す。
いつの間にか、爽やかな風が止まり、周りに響いていた鳥の声が止んでいた。
その刹那。鋭い声が響いた。
「……今だ!」
その声と共に、サイモンの周囲、街道脇の森の中から、隠れていたのであろう、一斉にゴブリンたちが姿を表した。
数十名のゴブリンたち。その一人一人が、手に弓矢を持っている。
「……………」
前、後ろ、そして横を。完全に弓矢を持ったゴブリンたちに囲まれている。
その様子を、サイモンは何も言わずに眺めていた。
「……撃て!」
前方の茂みで弓を構えたゴブリン……サラクが鋭く声を放った。
その声と共に、周囲のゴブリンたちから、サイモンに向けて、一斉に矢が放たれる。
サラクが選抜した、弓矢を得意とする、イプ=スキ族出身のゴブリンたち。そして訓練を重ねたヘルシラント族のゴブリンたち。
「
待ち伏せの場所を決めた上で、事前の練習も十分に行っていた事もあり、ほぼ全ての矢が、聖騎士サイモンに命中する弾道で放たれていた。
そして、ほとんどの矢は、このために準備した焔鉄製だ。たとえミスリル製の鎧であっても、貫ける強度を持っている。
更に、念には念を入れて、鏃には毒を塗っている。
到達すれば、聖騎士サイモンは全方位から放たれた矢で、針鼠になる……筈だった。
しかし……
「なっ!?」
サラクが、そして取り囲んだゴブリンたちが、驚愕の声を上げる。
放たれた矢は……全て、外れていた。
サイモンに向けて、周囲から一直線に放たれた矢は……まるで曲げられたかの様に、手前で軌道を変えて、サイモンから外れる様な方向に逸れていた。
「ば、ばかな……」
サラクが周囲を見渡す。
風の影響か? いや、風は止まっている。
それに、多少の風が吹いていたところで、この距離で外すほど軌道が変わるわけがない。
しかし、まるで強風に吹き飛ばされたかの様に、全ての矢がサイモンの身体から逸れていた。
驚きつつも、ゴブリンたちが二の矢を放つ。
事前に決めた手筈通り、今度は、サイモン本人ではなく、騎乗している馬を狙う。
サイモンに矢が効かなかった場合でも、馬を倒すことで彼の機動力を奪い、あわよくば落馬を狙う。二段構えでの攻撃策だった。
しかし……
馬を狙った矢も、全てが手前で軌道を変えて、外れてしまうのだった。
明らかに不自然なレベルで、軌道が曲げられている。
その様子に驚きつつも、ゴブリンたちは弓矢での攻撃を続ける。
しかし、何度射ても、放たれた矢は、手前でサイモンの身体、そして騎乗している馬から逸れて、明後日の方向に飛んでいってしまうのだった。
……………
「……………」
慌てた様子で、無駄撃ちを続けるゴブリンたちを、涼しい顔で見る、聖騎士サイモン。
彼が持つ「弾除けの護符」の効果で、自分と乗騎は結界の様なもので守られている。
矢だけでなく、投げ槍や石礫など飛翔物による攻撃には、護符の効果によって斥力が働く。それゆえ、サイモンの身体や、騎乗している馬には当たらず、逸れていく様になっているのだが、ゴブリンたちには知るよしもないのだった。
「七英雄」の一人として歌われる、聖騎士サイモン。
長い冒険や経験を通じてこの地位まで上り詰めた彼は、その過程で様々なマジックアイテムを入手、装備し、自分が得意とする剣の、直接戦闘にのみ専念できる……それ以外の攻撃は防ぐ事ができる環境を構築していた。
彼の代名詞的な存在であるミスリル装備。そしてそれだけでなく、この「弾除けの護符」など、冒険を通じて手に入れた数々のマジックアイテムで守られているのだ。
だから、この手の飛び道具による攻撃などは、意に介する必要などないのだ。
彼を打ち破るには、近接での直接攻撃しかない。そして、その接近戦には、長きに亘って鍛え上げられた剣技で、絶対の自信を持っている。
だからこそ、彼は人間の冒険者最強である「七英雄」となっているのだ。
……………
気がつくと、ゴブリンたちは矢を撃ち尽くしたのか、攻撃が止んだ様だった。
(……これで打ち止めかな?)
そう思ってサイモンが周りを見渡したとき……周りを取り囲んでいた、弓を構えたゴブリンたちが、すっと後ろに下がって森の中に姿を消した。
そしてそれに代わって、別のゴブリンたちが姿を現す。
一人一人が、手に杖を持っている。
ヘルシラントの旧アクダム派……今ではコアクトの指揮下に入っている、魔法が使えるゴブリンたちだった。
「第二陣、攻撃用意!」
掛け声に合わせて、遠巻きに取り囲むゴブリンたちが、一斉に杖をサイモンに向けた。
それぞれの杖の先に、火球や氷結魔法、もしくは魔法弾が現れる。
取り囲むそれぞれのゴブリンが、最も得意とする魔法。そして、サイモンがどの魔法に耐性があっても対応できる様に、攻撃魔法の属性は分担して分けられていた。
ゴブリンたちの様々な魔法の光が取り囲む様子を、聖騎士サイモンは涼しい表情で眺めていた。
「……撃て!」
掛け声と共に、様々な魔法の弾丸が、一斉にサイモンに放たれる。
火球魔法、氷結魔法、そして魔法エネルギー弾が周囲からサイモンに向けて飛翔する。
先ほどの矢とは異なり、今回は不自然に曲がる事もなく、サイモンの身体に向けて一直線に向かっていった。
その様子を見て、ゴブリンたちが期待の声を上げる。
「やったか!?」
しかし……
期待していた爆発音も、着弾の音も……響かなかった。
周囲から発射された魔法攻撃は全て、サイモンの身体に近づいたところで……音も無く消えていた。
サイモンが楯で受けたわけでも、銀色の鎧で弾いたわけでもない。
サイモンの身体に、鎧に届く手前で。
全ての魔法攻撃が、まるで水に溶けるかの様に、霧散する様に消滅したのだ。
音も無く消えた魔法攻撃に、周囲を取り囲むゴブリン魔道士たちから、どよめきが起きる。
勿論、ミスリル装備の事は事前に知らされている。
しかし、実際に目の当たりにすると、その恐るべき効果に驚愕するしか無かった。
「だ、第二射、用意!」
狼狽しながらも、周囲のゴブリンたちが再び杖を構えてサイモンに向ける。
「放て!」
号令と共に、再び、様々な魔法攻撃がサイモンに向けて放たれた。
今度は、一部の攻撃は少し低めの位置……乗騎も含める弾道で放たれている。馬を攻撃する事で、機動力を奪うこの手筈も、先ほどの弓攻撃の時と同じだった。
だが……今度も結果は同じだった。
全ての攻撃が、サイモンのミスリル装備に近づいた時点で、霧散して消滅する。
そして同様に、馬を狙った攻撃も、命中する事無く、空中で消滅する。
サイモンの鎧が馬も守っているのか。それとも、乗騎が装備している馬鎧もミスリル製なのか。いずれにせよ、魔法攻撃は全て人馬の手前で消滅したのだった。
「……………」
唖然としてサイモンを見つめるゴブリンたち。
そんな、ゴブリンたちが無駄な攻撃を繰り返す様子を、サイモンは馬上から余裕の表情で眺めていた。
全ての攻撃がミスリル装備に無効化されるのを見て、ゴブリンたちの攻撃が止まる。
(……そろそろ諦めるかな?)
サイモンが周囲のゴブリンを眺めつつ、そんな事を考えていた時。
「……やはり、貴様を倒すには、直接ぶった斬るしかないようだな!」
道の後方から威勢の良い声がした。
「待っていたぜ! 聖騎士サイモン! 次は、この俺様が相手だ!」
サイモンが後ろを向くと、後方の道沿いから、騎馬に乗った一人のゴブリンが歩み出してくる。
先ほどまでのゴブリン達と比べて、体つきが一回り大きなゴブリンが馬上に乗っている。
彼は革の鎧に身を包み、焔鉄で作られた蛇矛を手にしていた。
(北部地方で戦ったゴブリンに似ているな)
サイモンがそんな事を考えていると、馬上のゴブリンが蛇矛を振り回しながら、大きな声で名乗りを上げた。
「我こそは、マイクチェク族のウス=コタ! 先王サウ=コタの長子にして、今のマイクチェク王だ!」
そして、蛇矛をサイモンに突きつけて叫ぶ。
「聖騎士サイモン! 今こそ、貴様を討ち、父の、そしてお前に殺された部族の者たちの敵を取らせてもらうぞ!」
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