第58話 酒場での前哨戦
その日。
そろそろ昼を回ろうとする頃。
ヘルシラント温泉の酒場に、銀色を思わせる芦毛の馬に乗った、こちらも銀色の装備に身を包んだ騎士がやって来た。
身につけた銀色の鎧は、虹色の混じった不思議な光沢で輝いている。
彼は馬を駐馬場に留めると、ゆっくりと酒場に足を踏み入れた。
「いらっしゃい! お風呂? それとも酒場で一杯飲んで行くかね?」
ヘルシラント温泉の女将が、入ってきた騎士に聞いた。
「そうだな……」
その騎士……聖騎士サイモンは、少し考えこんだ。
「この後、『ひと汗かいてくる』予定だから、風呂はその後、外出から戻ってからにしようか。とりあえず何か食べ物を、そして酒を頼む」
そう答えて、サイモンは酒場の片隅に座った。
改めて周囲を見渡す。
ヘルシラント温泉に併設されているという事もあり、それなりの多くの客で賑わっている。
客や店員に、人間だけでなくゴブリンも結構混じっている様だ。ここがゴブリンの勢力圏である、という事を、改めて感じさせた。
ここに来るまでの街道沿い、ゴブリンの集落脇を通った際には、人間は警戒されているのだろうか、身を潜めている様で、ゴブリンの姿は見かけなかった。
だが、この酒場ではゴブリンと人間たちが混じって共存している様に感じられる。
ごく自然に、人間たちと共に仕事をし、客として食事をして、仲良く談笑している様に見える。
そして、自分の姿を見ても、ゴブリンたちの態度に変化はない。
マイクチェク族の本拠、リシマの洞窟で暴れ回ったわけだが、ここヘルシラントは「火の国」の最南端。自分の事は、この地までは情報が伝わっていないのだろうか。
そんな事を考えていると、料理が運ばれてきた。
この地方の定番らしい、ガレットと川魚の塩焼きだ。
勿論、料理には食べるためのフォークとナイフ、匙が用意されている。
しかし、サイモンは、懐から小箱を取り出すと、中に入っていた銀色のフォークを手に取った。
その「雪銀のフォーク」で、出された料理の各所を突いてみる。
「……………」
フォークの色が変わらない事を確認すると、サイモンは料理を口に運んだ。
普通に塩味が効いた、川魚の味だった。なかなか旨い。
改めて周囲を見渡す。
この場に混じっているゴブリンたちは、ヘルシラント族の者たち……つまりは、『ヘルシラントのリリ』の部族の者たちの筈なのだが……特に変わった様子は見られない。
この様子なら、無警戒の状態でヘルシラントの洞窟に押し入り、『リリ』を討つ事が出来そうだが、それはそれで、あっさりしすぎていて盛り上がりに欠ける様な気もする。
そんな事を考えていた時、続いてお酒が運ばれてきた。
「お待たせしました~!」
店員だろうか。女ゴブリンが大きめの木製のジョッキを持ってきて、机に置いた。
中には、なみなみとエールが注がれている。
「この地方特産のエールです。冷やしているので、おいしいですよ。ささ、冷たいうちに、ぐいっとどうぞ!」
女ゴブリンが、笑顔で言った。
そして、飲みっぷりに期待する様に、サイモンの様子を眺める。
「……………」
サイモンは、少しの間ジョッキに目を遣っていたが……おもむろに、置いていた荷袋から何かを取り出した。
それは……不思議な色彩の金属で出来た、ゴブレットだった。
突然の行動に、不思議そうな表情を浮かべている女ゴブリンの店員の前で……サイモンは、ジョッキに入ったエールの一部を、ゴブレットに移し替えた。
そのまま、ゴブレットに入ったエールをしばらく眺めていると……濃い琥珀色だったエールの色が……じんわりと、少し薄めの色に変化していく。
その様子を見て、サイモンは「ふっ」と小さく笑った。
(……そう来なくてはな。面白くない)
そして、そのままおもむろに、ゴブレットに入ったエールを、ぐっ、と喉に流し込む。
その様子を、微妙な表情で眺めていた女ゴブリンが、おずおずと尋ねた。
「……… 美味しいですか?」
サイモンはにやりと笑って答えた。
「ああ。ピリピリした喉越しで、とても美味しいな」
そう言いながら、もう一度エールをゴブレットに注ぐ。
ゴブレットをくるくると回して、エールの色彩がゆっくりと変わっていくのを、愉快そうな表情で眺めると、一気に喉に流し込んだ。
「うむ、とても美味しいな。このエールを作ってくれた者に感謝しなければな」
楽しそうに言うサイモン。その様子を、給仕の女ゴブリンが微妙な表情を浮かべながら凝視していた。
自分を見る、この表情も、良い肴になる。
当たり前だが、どれだけ眺めたところで、自分の身に異変など生じない。
そんな自分を眺める女ゴブリンが、表情を変えないように努力している様子を楽しげに眺めながら……サイモンは彼女に声を掛けた。
「もう一杯、貰えるかな」
空になったジョッキを返しながら、サイモンは女ゴブリンに言った。
「はっ……はい……!」
女ゴブリンは、慌てた様にジョッキを受け取ると、厨房の方に戻っていく。
その後ろ姿を、サイモンは楽しそうに眺めていた。
(とりあえず、「出迎えなし」という事はなかったな。この後も、少しは楽しめるかな)
そんな事を考えながら、周囲の気配に気を配りつつ、サイモンはゴブレットに残ったエールを口に運んだのだった。
……………
「飲んだけれど、何とも無かった!? 本当ですか!?」
ヘルシラントの洞窟。
伝令の報告を受けたコアクトが、驚きの声を上げていた。
「そんな馬鹿な……ありえません! あの毒を飲めば……すぐに、全身の穴から血を吹き出して死ぬはずです!」
大声を上げるコアクトの前で、酒場の状況を報告するゴブリンが、焦った表情を浮かべていた。
「し、しかし、間違いなく、毒を入れたエールを飲んでいました。間違いありません」
「でも……それでも、何とも無かったのです」
平然とエールを飲み干して、しかもお代わりまでした、と伝令のゴブリンが報告する。現在は、追加注文した(勿論こちらにも毒が入っている)エールを上機嫌で飲んでいるそうだ。
「配合を間違えているのでは? 薄め過ぎたのではないですか?」
思わずそう尋ねてしまうコアクトだったが、そんな訳がない事は、毒を用意したコアクト自身が判っていることだった。
濃度など問題ではない。ほんの僅かでも入っていれば、致死量だ。
一口飲み込んだだけでも。即効性の致死毒が効果を発揮する筈だ。
それなのに、何故……?
見破られたのか? いや、そもそも何らかの原因で、彼には毒が効かないのか?
理由は分からないが、聖騎士サイモンには、毒酒は効果が無かった事は、認めねばならなかった。
……………
「申し訳ありません、りり様……」
コアクトが悔しそうな表情で、わたしを見て言った。
「ここに来る前に、あの場所で食い止める筈だったのですが……」
店員として紛れ込んでいるゴブリンに、背後から刺させる。または酒場に入り込ませているゴブリンたち全員に襲いかからせる、という手もある。
しかし、現地からの報告によれば、食事をしつつも全く隙を見せないらしい。
おそらくはゴブリンたちの犠牲が増えるだけだろう。
それだけに、コアクト提案の毒を盛る作戦で何とかしたかったのだが……。
「現地にいるゴブリンたちは、覚悟が出来ています。お許しがあれば、聖騎士サイモンを襲わせますが……」
「それには及びません。ありがとう、コアクト」
わたしは言った。
「何とか、別の方法で食い止めましょう」
「そうですとも、お任せ下さい、りり様」
「やはり、この俺様の出番ですな」
目の前に控えていた、サラクとウス=コタが言った。
「我々が、ここヘルシラントで、食い止めて見せましょう」
そうだ。コアクトによる謀殺が通用しなかった以上、次なる手段で食い止めるしかない。
次なる手段は、サラクとウス=コタによる迎撃。
不意打ちではあるが、正攻法に近い対抗手段だ。
できればここに来る前に食い止めたかったのだが……だが、こうなれば仕方が無い。
この対抗策でもダメだった場合……いよいよ、わたし自身が戦うしか無くなる。
わたしは……密かに覚悟を固めつつ、聖騎士サイモンを待つ事にしたのだった。
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