第30話 ナウギ湖畔の戦い ~布陣~

 数日が経ち、いよいよ「満月の日」の朝が来た。

 イプ=スキ族が北から攻めてくる日だ。



 わたしは夜が明けた直後から、事前の準備通り、ヘルシラント族の全軍を率いて、ナウギ湖に進軍させた。

 申し訳程度に歩兵や騎兵もいるが、ほとんどが長弓を持った弓兵だ。準備期間に弓をかき集めて、何とかイプ=スキ族の弓騎兵に対抗するために編成したのだった。


 指揮用の輿に乗って進むわたし、そしてヘルシラント軍の後ろを、アクダム派の兵たちも付いてきている。こちらは歩兵が中心だ。アクダムをはじめとする魔法使いたちも混じっている。なぜだか、我々ヘルシラント勢とは違う色の旗印を持っていた。アクダム家の旗だろうか。



 ナウギ湖畔に差し掛かり、平原に少し入ったあたりで、わたしは全軍を止めて皆に呼びかけた。

「皆さん! いよいよイプ=スキ族との戦いの時が来ました!」

「我がヘルシラント族の存続は、この戦いに掛かっています」

 その言葉に、わたしを囲むゴブリンたちが、緊張でごくりと唾を飲む。

 わたしは、続けて言った。


「しかし!安心して下さい! 作戦通りに行けば、かならず勝てます! わたしを信じて下さい!」

 内心不安に思いつつも、断言して大声で呼びかける。

 一呼吸おいて、陣営のあちこちから「おーっ」と掛け声が帰ってきた。


 ……そうだ。不安だけど、ここまで来たら、信じてやり切るしかない。

 やるだけの事はやった筈だ。


 そう思いながら陣営を眺めていると、後ろの陣からアクダムが駆け寄って来た。

 そして、おずおずと話しかけてくる。


「あ、あの、りり様。我々は塹壕の中ではなく、後方に陣を敷きたいのですが……」

 アクダムがそう提案したが、わたしは素っ気なく答えた。

「塹壕? ああ、溝の中ですか。あんなところに兵は置きませんよ」

「えっ?」

 意外に思ったのか、アクダムが呆けた顔をする。その表情を見て、アクダムが今日の作戦について勘違いしているのが判った。塹壕……溝の所で待ち伏せ担当をさせられると思ったのだろう。


「川の側までは行かず、このあたりで陣地を展開します。そうですね……あなたたちは陣の左翼側を担当して下さい」

 アクダムに指示する。

「は、はあ……」

 そして、もう一言、言い添えた。

「もしイプ=スキ族が接近して来た時には、あなたたちの魔法で守って下さい。よろしくお願いしますね」

「わ、わかりました」

 不思議そうな表情をしながら、アクダムが去って行く。どうやらいろいろと思惑とは違っているらしい。



 ともあれ、アクダム派の動向には要注意だけれども、彼らばかりに構ってもいられない。

 それに……作戦が上手くいけば、そもそも彼らが「何かをする」出番などない筈だ。

 わたしは、全軍にその場で展開して、所定の位置で陣を敷くように指示するとともに、一時的な牽制のため、一部の兵を川の手前に配置したのだった。


 さあ、後は……イプ=スキ族の軍勢が来るのを待つだけだ。




 ……………




 南下するイプ=スキ族の軍勢が森を抜け、ナウギ湖の東岸に差し掛かった頃、前方から斥候が戻って来た。

「スナ様!」

「おおっ、どうであった」

 族長スナの言葉に、斥候が報告する。


「はっ、この先、ナウギ川の手前までは伏兵はおりませんでした。ただ、川を渡ろうとしたところで、対岸から矢を放たれましたので、引き返して参りました」

「敵陣は見えたか」

「対岸の兵は小勢だったと思います。その先の方に、ヘルシラントの主力らしき集団が集結しておりました」

「そうか」


 やはり、ヘルシラント族は迎撃してきた。それはつまり、イプ=スキ族側からすれば、籠城される可能性が消え、ヘルシラント側が「叩くために集まってきてくれた」事になる。

 思惑通りに事が進んでいる様子に、スナはにやりと笑った。


 スナは引き続き質問する。

「川の様子はどうであった」

「はっ、最近天気が良いためか、水量もかなり少なくなっておりました。普通に歩いて渡河できるかと」

「そうか、ご苦労」


 スナは報告を終えた斥候を下げ、傍らのサラクに語りかけた。

「……どう思う」

「おそらくは、ナウギ川の対岸沿いに陣を展開する途中かと。我が軍の渡河を妨害する意図かと思います」

「そうだな」

 スナも頷いた。

「だが、川の水も少ない様だし、我らの足止めにはなるまい」

「左様ですな。我々はいつも通りの騎射戦法で問題無いかと思います」

 サラクが応える。その通りだ。

「念のため、連中が川沿いに陣を構築し終える前に、渡河して攻撃に移られた方がいいかと思います」

 サラクの進言に、スナも頷いた。

「そうだな。ヘルシラント軍はまだ川沿いに陣を揃えていない様だし、陣が整う前だと、更に脆そうだ」

「簡単に崩せそうですな」


 川の水量が一定程度ある状況なら、我が軍の騎馬隊が渡河に手間取っている間は、得意の騎射戦法が使えないし、一時的な足止めになりうる。

 もしそうであれば、対岸に陣を敷いて、渡河途中の我が軍を矢で攻撃する事で、比較的有利な状況を構築する事が可能となる。

 スナ自身も、そうした状況をある程度危惧していたのだが……幸いにも、最近の晴天続きで、川の水は少ない様だ。

 普通に騎馬隊が走って渡河できるのであれば、危惧していた様な、不利な状況は生じない。


 ナウギ川の状況……おそらくヘルシラント側にとっては、「アテが外れた」というところだろう。

 渡河に支障が無いのであれば、マイクチェク族との戦と同様に、騎馬で駆け寄って矢を射込み続けてやればいい。ヘルシラントの連中に為す術はない筈だ。


 スナは、にやり、と笑みを浮かべた。

(さて……「ヘルシラントのリリ」よ。この状況、どうするつもりだ?)

 「ゴブリリ」だからという理由で族長になった小娘。こうした戦闘に関しては、素人の筈だ。

 「既に詰んでいる」状況を突きつけられて、今頃必死に何を考えているのだろうか。

 そんな事を思いながら、スナはイプ=スキ族の騎馬兵を引き連れ、悠々と歩を進めた。



 ……………



「行くぞ」

 そして、イプ=スキ族の軍勢、弓騎兵が、ナウギ川を渡り始める。

 それが……後世に「ナウギ湖畔の戦い」と呼ばれる戦いの、始まりだった。

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