第31話 ナウギ湖畔の戦い ~開戦~

 それは……イプ=スキ族の軍勢が、ナウギ川を渡り始めた時だった。



「スナ様、あれを!」

 その時、サラクが叫んで川の上流を指さした。

「何事だ?」

 見ると、上流から一気に水が雪崩の様に流れて来るのが見えた。

 ついさっきまで、このナウギ川の水位は、まるで枯れているかの様に少なかったのに……。


(そうか、上流で堰を切ったのか)


 即座に理解したスナは、周囲に叫んだ。

「全軍! 急いで渡れ!」

 その命令に応えて、拍車を、鞭を入れて、イプ=スキ族の騎兵たちが水しぶきを上げながら、一気に駈け出す。

 ナウギ川の水位がみるみる増していき、馬が渡れない程にまで高くなっていく。

 しかし、スナの判断が早かった事もあり、イプ=スキ族の兵達は八割方が増水する前に渡り切っていた。

 残り二割は間に合わずに、川の手前に取り残されてしまったが……それでも、増水に気がつくのが早かった事もあり、流された兵は一人もいなかった。


「ヘルシラントめ、小癪な真似をしてくれる」

 対岸に渡りきった草原に兵を集結させながら、スナが言った。

「しかし、奴らにとっては、アテが外れた、というところですかな」

 サラクの言葉に、後方で増水した川を見ながら、「ああ」と頷く。


 ヘルシラント側は、ナウギ川の上流に堰を築いて川の水を堰き止め、イプ=スキ軍が渡河するのに合わせて、堰を切ったのだろう。川の水位が妙に低かったのは、天候のためだと思っていたのだが、それだけでは無かった様だ。


 タイミング次第では軍勢の分断、そして増水した川で軍を押し流して、打撃を与える事もできたかもしれない。また、早めに流しておけば、イプ=スキ軍の渡河進軍を阻止する事もできたかもしれない。


 しかし、早々に気付かれたために、イプ=スキ軍へのダメージはゼロ。そして軍勢の大半は無事に渡河してしまった。

 確かに軍勢は分断されて二割ほど減ったが、想定される戦力差を考えれば、多少手勢が減ったところで大勢に影響は無い。

 ヘルシラント軍にとって、切り札であったであろう、ナウギ川を利用した水計は空振りに終わったのだ。


 馬上から改めて前方を見ると、少し遠くに、ヘルシラント軍が陣を敷いているのが見える。川沿いに陣を敷いているかと思われたが、思った以上に離れた場所に布陣している。

 付近にはヘルシラント兵はいない。斥候に矢を放った兵達は、後方の本陣に引き上げている様だ。水計を悟られないための一時的な牽制だったのだろうか。


 改めて敵陣を眺めてみると、ヘルシラント勢は明らかに我がイプ=スキ軍よりも少数であり、陣も薄めだ。そして、見た限りではほとんど騎兵はおらず、ほぼ全員が歩兵に見えた。

 それを見て、スナの表情に笑みが浮かんだ。

(……勝ったな)

 これまで、マイクチェク族との戦いで繰り広げられてきた、騎射戦法での一方的な蹂躙がここでも繰り返される事になるだろう。


 そもそも、もっと川沿いに布陣して、川の水を流したこの機会に攻撃すればいいのに、呑気にあんな離れた所に陣を敷くなど、やはり軍略を全く判っていないとしか思えない。渡河中に水を流された混乱時であれば、軍が分断されていたかもしれないし、接近戦にも持ち込めた可能性もあるのに……


 そして、よく見ると、こちらから見て右側……敵陣の左翼と、それ以外の陣地では旗印が違っている。

 旗印の事前情報から判断するに、左翼に陣取っているのがアクダム勢、それ以外の陣地が、現在の族長である「ヘルシラントのリリ」の手勢だろう。

 ならば、事前の申し合わせ通り、敵右翼から叩きつつ、機会を見て合図をして、「彼ら」と共に、「袋の口を閉じ」ていけばいい。


 「リリ」は、おそらく陣地の中央にいるのだろう。消滅魔法を使えると聞いているが、それほど射程距離は長くないらしい。

 ならば、イプ=スキ騎兵の騎射でハリネズミにする、という意味では、何ら他のゴブリンたちと変わりない。


 伝説の「ゴブリリ」である「ヘルシラントのリリ」を一度直接見てみたかったが、どうやら、討ち取った後にしか「会う」機会はなさそうだった。


 ……では、一気に敵陣まで馬を走らせて、思う存分、矢を射こんでやろうか。

 全く戦というものをわかっていない「ゴブリリ」の少女に、我がイプ=スキ族の騎射戦法を、思う存分、味わって貰おう。


 スナは、手を上げて自軍に呼びかけた。

「者ども! 敵左側……右翼の陣から攻めるぞ! 全軍突撃せよ!」

 そう叫んで、攻撃の合図である鏑矢を放つ。鏑矢の甲高い音が戦場に響いた。


「ヒャッハー!」

「「ヒャッハーー!!!」」

 側にいたサラクが叫び、続いて全軍が叫んで、馬が駈け出していく。



 ……しかし。

 叫び終わるよりも前に。

 彼らは、異変に気がつく事になるのであった。

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