Bottle IN

七戸寧子 / 栗饅頭

BIN

 幼少期に「たからもの」と呼んでドングリを集めていたことがあった。どのドングリも、形や色、手触りから光沢に至るまでの全てが違った。それらを眺めては、それを拾った日に想いを馳せるのだ。


 これは私だけではなく、人間誰しもが通る道だと思う。ドングリに限った話ではない。石ころでもいいし、貝殻でもいい。地球から美しいものを切り取ってきて、思い出と共に手元に置いておく。これは古来より人間が受け継いできた本能なのだ。これを読んでいる貴方だって身に覚えがあるはずだ。


 そんな私たちが発展させていったのが、写真や映像といったメディア。芸術家が世界を切り取ろうと筆をとったり、カメラを構えたりして過去の世界は保存されてきた。今もなお、そのための技術は進化を続けている。通信技術の発達もあり、身近に保存される世界は「過去」という枠に収まらなくなってきた。二〇二〇年を皮切りに世界を混沌に陥れたCOVID-19の影響からか世の中で金になるメディアは「自宅で楽しめるライブ感」というものに置き換わっていった。その最先端技術が、この手元にあるガラス製の容器というわけだ。


「やっぱり、犬を飼うなら瓶に限るね」


「手間かからないしねぇ。こうして連れて歩くのも簡単だし」


 テーブルの上には、コーヒーカップがふたつと瓶がひとつ。向かい合わせに座る、私と親友。私と彼女の目線の先には、瓶の中に広がる草原を嬉しそうに駆け回る、指先ほどの大きさの柴犬。


「昔の人はよく瓶の外で生き物飼おうとしたよね。そりゃあ、撫でたりできるのは魅力だけど手間を考えたらね……」


「あたしのママ、小さい頃に猫飼ってたって言ってたな〜」


「ママ……ってことは、瓶がない時代に?」


「そうそう」


 瓶。窓から差す日をてらてらと反射する透明な容器は、一見すると飲み物などを保管するそれと何も変わりはない。しかしそれこそが世界で大流行している娯楽メディアであり、人類が「実在」する「世界」を「リアルタイム」で保管することに成功した象徴なのだ。私の瓶の中で揺らぐ草たちと、その中であくびをしている柴犬は実際に生きている存在なのだ。コンピュータによる算出の末にデジタル表示されている虚構とはワケが違う……と言うのが売りの品物だ。もっとも、瓶が普及して久しい世界に生を受けた私たちからすれば、これが普通なのだが。


 この瓶は一体どういう仕組みになっているのだろうか。どうやって、ミニチュアサイズの世界をここに保存しているのだろうか。気になりはしたが、調べたことはない。我々はコンピュータに頼って生活をしているが、あまりに身近なその存在のその仕組みや発明者を知ろうとするのは少数派だ。この瓶も同様であり、私は誰がこれを作っていつから普及しているのかなどを深く考えたこともない。


「その子、名前なんていうの?」


「ムギ。綺麗な麦色してるでしょ」


 落ち着かぬ様子の柴犬は、数週間前に我が家に加わった家族のムギである。ペットショップで今と同じく瓶詰めの状態で売られていた。店頭に瓶が並ぶのも私たちにとっては当たり前の光景なのだ。


「ムギね、もう自分の名前覚えたんだよ。おすわりもできるようになった」


「お利口じゃん、やってみせてよ」


 うながされて、私は瓶の蓋に手をかけた。全ての瓶には蓋があり、それを開くことで小さな世界と大きな世界の境目がなくなり、中と外で交流することができるようになる。観賞用の自然風景の瓶などは開かないのが基本だが、こうして生物を飼育している場合には餌やりなどのために頻繁に開け閉めをする。かぱ、という軽い音と同時に、ムギが顔を上げてこちらを見る。ちぎれそうな勢いで回転するしっぽが愛らしい。


「ムギ、おすわり」


 ハフハフと舌を突き出して息をしながら、ムギがそのお尻を地面につけてみせる。自慢げで真っ直ぐな瞳が私のハートをきゅんと鳴らす。


「おお〜」


 手元で小さく拍手を起こす親友に、今度は私が自慢げに鼻を鳴らしてやった。当のムギは、遠くに聞こえた拍手の音に耳を傾けていた。恐らく、ムギの方からはその主が見えていないのだろう。この瓶は外側から見る分には普通のガラスだが、内側から見ると空などの風景に見えるようになっているそうだ。だから、ムギはこの蓋を取ったあとの穴からしかこちらを認識できない。恐らく、その草原が瓶の中の世界ということも知らないのだろう。ムギにとってはそれが向こうの世界こそが当たり前なのだ。


「ムギちゃん可愛いなぁ、私にも見せてよ」


 そう言って、ムギの瓶に伸ばされた彼女の手を私は制止した。


「待って、瓶は慎重に動かさなきゃ。あんまり急に動かすと可哀想でしょ」


「まぁ……それもそうね」


 それに、ムギはまだ人間慣れしていない。私の家族にすら心を開ききっていないのだから、他所の人と合わせるのにはまだ早い。またね、と声をかけながら蓋を閉めて、草原でうとうとと心地よさそうなムギを二人で眺めた。


 それから数十分後、ムギがすっかり寝てしまった頃のことだ。前触れは、カップの中のコーヒーが波を立てたことだった。次第にその波は大きくなり、吊り下げられた照明が揺れ始め、周囲の物がカタカタと鳴る音で私たちは地震が起きていることに気がついた。特段大きな揺れではなく、何が落ちたわけでもない。ムギも外の世界の異変に気付く様子はなく、ただ寝相を変えただけだった。


「なーんか嫌な揺れ」


 インターネットで調べてみたが、大きいところで震度三というごく小規模な地震だった。益はおろか害も伴わない揺れは、喫茶店でぐうたらと駄弁を弄する私たちのエンドレスを断ち切るきっかけにはちょうど良かった。コーヒーを飲み干し、会計を済ませ、店の前で別れて反対方向に歩き出す。ムギはバックの中で揺られても、それを気にする事はなかった。


 気付けば空にはオレンジ色がかかり、夕陽の反対側で月が浮かんでいた。何気ないその光景が妙に感傷的で、私はそれを手元に残しておきたくなった。流石に瓶詰めにするわけにはいかないので、写真をパシャリ。


 その直後、真上で妙な音が響く。屋外で「響く」という表現はミスマッチな気がするが、確かにその音は響いた。かぱ、と。


 その軽い音ともに、空がぱっくりと割れた。言うならば、開いた。まるで、蓋を外すように。



 目が合う。貴方と。

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