4−5
真っ暗な水面を跳ねるように進んでいく。クジラの群れは絶えず移動しており、わたしたちは心許ない小舟でそれを追いかける形となっている。
モーターとは違う駆動音が聞こえてきた。振り向くと同時に、ミヅキ氏の声がした。
「追いつかれた」
闇の中に、月明かりを受けた鈍い光がわずかに見える。哨戒艇、いや、大きさからすると無人のドローンだ。しかも機関砲装備の。
『停まりなさい』オープンチャネルを通じて聞き覚えのある声が呼びかけてくる。ミヅキ氏にも聞こえているに違いない。『停まらないと撃つわ』
しかし、ボートがスピードを緩める気配はない。やがて機関砲の銃口が爆ぜ、ボートの横に水柱が小刻みに上がった。
『これは警告よ。次は当てるわ。あなたたちの身の安全は保証しない』
わたしはドローンとの距離を測る。オープンチャネルの音声が届く程度の距離では、ワイヤレスで発火体を送ることは不可能だ。そうなると飛び道具で物理的に対処するしかないが、対人用のハンドガン以外に手持ちはない。
故意なのか照準性能が悪いのか、ドローンの二度目の発砲は先ほどとは逆側の水面に弾着した。それでもミヅキ氏はボートを停めようとはしない。
『ミヅキ』と、所長が諭すように言う。『あなた、自分が何をしているかわかっているの?自分の手で未来を潰そうとしているのよ?』
「このまま進んだ先に待っているような未来なら、なくなった方がましです」と、ミヅキ氏が返答した。「わたしは、立派な研究者などではなく間違えを冒さない人間になりたいの」
無音。息をのむ気配がホワイトノイズの向こうから伝わってくる。
『馬鹿な子』やがて、氷柱のような声が沈黙を破って聞こえてきた。『倫理観と甘さを履き違えるなんて。誰に似たのかしら』
「あなたよ」と、吹き付ける風の向こうでミヅキ氏が小さく言った。その声は通信には乗らなかった。
『たしかに、私たちのしていることは傍目から見れば残忍なことかもしれない。けど、それは今ある価値観に基づいた解釈の問題に過ぎない。時が経ち、状況が変われば、理解されるようになることだってある。ましてや先進的技術というものはいつだってそう。私は、今ではなく未来を見ているのよ』
「聞き心地のいい言葉を使って問題をすり替えないで。あなたは破るべきではない決まりを破った」
『何の法にも条約にも抵触していないわ。それはあなただって理解しているでしょう』
「明文化されていないルールなら破っていいわけじゃない」
『そういうことを他人に押しつけるのは傲慢だと知りなさい』
同じようなことを言っていた人を、わたしは知っている。だが、彼女の言葉と所長のそれは、文面こそ同じであれ、天と地ほど真逆の意味を持っていた。ある人にとっては身を守るために必要な道具が、ある人にとっては他人を傷つける武器になる。それはどこか残酷なことだ。
「子供を——」と、ミヅキ氏が絞り出すように言う。「子供を奪われた母親の気持ちを、想像することはできませんか」
『わかるわ』所長の声に芝居がかった色はない。『とても煩わしいことよ』
「そう」ミヅキ氏は胸を潰されたように言った。
ドローンの機関砲が改めてこちらを向いた。何もしないよりは、とわたしはハンドガンを抜いて構える。
突然、機銃のそれとは比べものにならない大きな水しぶきが上がった。
海中より巨大な影が躍り上がって、ドローンを捕らえるように覆い被さった。影が再び水中へ戻った後、わたしたちを追っていた機械は姿を消していた。
水面のあちこちで、クジラの吹く潮が上がる。月に照らされ艶めく皮膚が、いくつも見える。
「群れは真下に」
ミヅキ氏の言葉に、わたしは頷く。彼らが装備している受信機のポートを探し、接触を試みる。
新たな飛行音が聞こえてくる。クラウスの警告も同時に起こる。
暗がりで目視できたのは先ほどと同型のドローン二機。視界拡張で認識に相違ないことを示される。
今度は何の前置きも置かずに発砲してきた。水が、あるいはクジラたちの肉が、血が、周囲の海面で飛び散った。着弾は速やかにボートを追いかけてきて、間もなく後部のモーターに達しようとしていた。わたしは咄嗟に船底を踏み切り、飛んだ。ミヅキ氏諸共、真っ暗な海へ
泳げない自分が水中へ飛び込むべきか否かという迷いは沈み始めてから現れた。もちろん、考えたところで手遅れではあったが。
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