3−4
丘の上には崩れかかった小さな鳥居があり、それをくぐった先には鳥居と同じぐらい小さな祠と、滑り台やブランコといった公園遊具がいくつか置かれていた。頭上をせり出した大きな木の枝に覆われ影となり、空気がひんやりしている。
広場の端には朽ちたシーソーがあった。わたしの足は自然とそちらへ向いた。板は所々が欠け、鉄の支柱も錆びきっている。
「乗らない方がいいですよ」と、後ろからミヅキ氏が言う。「少しでも力を加えたら、たぶん崩れるますから」
丘の上からは集落を見渡すことができた。瓦の落ちた屋根やそもそも屋根自体のない家屋が集まっている。草が後から伸びてきたというよりは草の中に家を並べたというぐらい、かつての集落は埋もれていた。草の生い茂る先には真っ直ぐに敷かれたアスファルトの道路があり、その向こうには崖が、それから藍色の海が広がっている。
「静かでしょう」
「はい」
「この島は歴史上、様々な国の領土となってきました」ミヅキ氏が隣に立つ。「地政学的にそういう位置にあるのです」
仄かに薄荷のにおいが漂ってくる。成分分析によると、所長の部屋で嗅いだのと同じ煙草のにおいだ。
わたしは頷く。島は一度他国の手に渡り、先の大戦で我が国が取り戻したものだ。それよりずっと前は別の国のものであり、元を辿れば今はない、小さな国の一部だったという。
「どれだけ支配者が変わっても、古くからの島民は変わらない生活を送り続けました。ここはかつて、この辺りに伝わる神話に出てくる〈海の向こうの場所〉と同じ名前で呼ばれていたそうです。誰もが憧れ、危険を冒してまでたどり着こうと目指した土地なのです」
「そんな場所が、今では秘密の研究基地にされている」
「責めますか、わたしたちを?」
「人にはそれぞれの仕事がありますから」
彼女は上着のポケットからアルミ製の薄い小箱を取り出した。それはシガレットケースで、蓋を開くと中には細い紙巻き煙草が几帳面に並べられていた。「吸っても?」と訊かれ、わたしは頷いた。一本すすめられたが、これには首を振った。
重そうな金属ライターで、煙草に火が点けられる。チリチリと紙の焼ける微かな音と共に、橙色が煙草の先に灯る。彼女が宙に細く煙を吐き出すと、薄荷のにおいがした。
そういえば、彼女は眼鏡を掛けていない。
「一つ、訊いてもいいですか?」と、ミヅキ氏は言った。
「答えられる内容であれば」
「あなたは、どうして潜量士になったのですか?」
わたしは考える。大した理由は浮かばない。入隊試験の時、面接で同じような質問をされた気がするが、何と答えたか思い出すことができない。
「たまたま見つけた養成学校に入って、そのままここへ流れ着いた、という感じです」
「わざわざ軍を選ばなくても、民間の働き口はいくらでもあったんじゃないですか?」
「そうかもしれません」たしかに、民間の潜量士であれば給料は高いし、危険も少ない。
「てっきり、昔の恋人を追いかけて入隊したのかと思っていました」
「そんな風に見えますか」
「あなたのような可愛い女性が軍人をしているなんて、イメージに合わないから。誰かを追いかけてきたとか、何か余程の事情があるのかと思っていました」
余程の事情、とわたしは口の中で呟いてみる。なるほど、夢にまで出てくるということは、それは余程のことなのだろう。
「ごめんなさい」黙り込んだわたしに、ミヅキ氏は言った。「ここには歳の近い女性がいないのでつい喋りすぎました。気分を害したようなら謝ります」
「いえ」と、わたしは小さく首を振る。「人の眼に映る自分の姿が意外なものだったので」
ミヅキ氏は取り出した携帯灰皿に灰を落とす。
「自分の姿は、自分の眼だけでは見えませんからね」彼女は言う。「どれだけ自覚的になろうと心がけても、他人の眼には及ばない」
彼女は最後に空へ向かって紫煙を吐いて、吸い殻を灰皿へ押しつけた。それから胸のポケットに挿していた黒縁眼鏡を掛けた。
「そろそろ戻りましょう。ここにいることが知られると、色々と面倒ですから」
わたしは最後にもう一度、丘の上からの景色を眺めた。水平線と雲が、どこまでも静かに広がっていた。
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