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 IUI(Immersive User Interface)において、端末やサーバが海だとするならばそれらを繋ぐネットワーク部分は水路にあたる。今回のように複数の層に分かれているものは上下水道のようなイメージが近い。もっとも、上と下の差は清濁の違いではなく〈流れの速さ〉といったところだが。

 高度に暗号化されたネットワークを渡るというのは、急流を下るようなものだ。泳ぐといった能動的な行動はまず無理で、そもそも動かすべき手足を形作ることすら許されない。わたしという存在はパケットごとに分割され、せいぜい〈四角い箱の連なり〉といった程度のものとなる。流れ着いた先で復元できるかどうかは半々で、もしわたしの自我が形成し直せない場合はパケットがゴミと化し、情報空間の彼方に流れ去ってしまう。肉体は無傷であるし、自我の一割も体に残しているから完全な死ではないが、呼ばれた名前が自分のものであると辛うじて認識できるだけの状態を〈生きている〉と言っていいのかどうか、わたしには自信がない。

 危険は承知しているものの、引き返すつもりはない。仮にこれが正式な任務であったなら、すぐに撤収して軍の厚生委員会に訴えを出すところだ。だが、あのヒレナガゴンドウの言葉が記憶に刻まれている以上は、前に進むしかない。命を賭してまでわたしに接触してきた気持ちを無碍にするほど、落ちぶれてはいないつもりだ。

 橙色の情報空間を泳いでいくと、前方に巨大なスクリューが回転しているのが見える。暗号化ゲートだ。

『いいかい、ナギ。通過ポイントは十五カ所。ゼロから十五まで数えたところがゴールだ。これを忘れないで。僕から呼びかけられない以上、君が覚えているしかないんだ』

『善処する』

 今の感覚でのはたぶん無理だ。パケットに切り分けられた後では、十五という数字に何となく特別な意味を感じることぐらいしかできないはずだ。

 十五——。心の中で唱え、暗号化ゲートを潜る。

 わたしの情報空間での体発火体が、意識が、賽の目状に細断されていく。それらはわたしであった情報だが、すぐに周囲を流れるものと見分けがつかなくなる。向こうからしても、かつてわたしに属していた記憶は消えている。そうして〈わたし〉は細切れになる。

〈わたし〉は、0と1だけの存在となる。

 0。

 1。

 10。

 11。

 100。

 101。

 曖昧に、揺らめく光。

 それはものすごい速さで通り過ぎていく。

 110。

 111。

 1000。

 1001。

〈わたし〉は泳いでいる。流されている。

 水の中を。量子の中を。

 1010。

 1011。

 前方を。

 何かが泳いでいる。

 明確な意思を持って。

 背びれを上下させている。

 1100。

 あれは、

 1101。

 白い、

 1110。

 イルカ。

 1111。

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