2−4

 居住棟までの道すがら、くだくだと説教を受けるのかと思っていたがそんなことはなく、ミヅキ氏はわたしを居室の前まで連れてくると、「明朝は六時に迎えに来ます」と言って立ち去った。わたしが返事をした時にはもう、彼女の背中は見えなくなっていた。

 部屋に入り、シャワーを浴びて、ベッドへ寝転がる。ひどい移動だったせいで、体のあちこちに疲労がこびりついている。

 眠りはしかし、なかなかやってこない。目をつぶるとどうしても、あのヒレナガゴンドウの姿と声が蘇ってきた。

『あなたにしか頼めない』と彼(声の高さや口調からして、便宜的に〈彼〉とする)は言った。わたしの名前まで知っていた。彼が他国の武装クジラだとするのなら、わたしの個人情報が外国へ漏れていることになる。

 それは、まあ仕方ない。軍人である以上、何らかの脅威と見なされれば、それがたとえ一介の潜量士だろうと氏素性ぐらいは調べられるのかもしれない。誉れには思わないが、諦めはつく。わたしがこの仕事を辞めた時に情報を破棄してもらえればそれでいい。

 だが、他国による情報入手もしくは自国の情報漏洩とは別に、わたしは別の可能性を疑っている。わたしのことが、この広い海に知れ渡るもう一つの可能性を。

 もし、それがわたしの思い違いでないとするならば——。

 窓越しに、月が見える。満月には満たない、十三夜月が夜空を照らしている。

 わたしはベッドの上で起き上がり、サイドボードに置いておいたデバイスを取って首に装着した。クラウスを呼び出し、接続可能なネットワークを検索させる。

『施設内にフリーアクセス可能なネットワークが張り巡らされているね。けど、あの眼鏡の人が言っていた通り、常に監視が働いてるみたいだ』

 不正アクセスは排除される、と言ったミヅキ氏の言葉が蘇る。

「チャネルは一つだけ?」

『一般通信とは別に、特別通信層がある。こっちには監視はついていないけど、行き交うデータに高度な暗号化が施されている』

「発火体で飛び込んだりしたらバラバラに刻まれる」

『そういうこと』

「だけど、目的地に着いた時に元に戻れれば問題ない」

『理論上は、ね』

 わたしは考える。答えはすぐに出る。

「ここのメイン・サーバへの経路を算出して。チェックポイントも正確に」

『一応言っておくけど、危険だよ』

「他に方法はない」

『あの所長に大人しく従う道もあるよ。むしろ君の本来の任務はそっちだ』

「状況の変化に対する臨機応変な対応よ」

 やれやれ、と言って、クラウスが算出結果を表示してくる。

『万一の場合に備えて、自我情報の一割は残しておくよ。これなら、お見舞いに来た人に微笑むことぐらいはできるだろうから』

「嫌なやつ」

 わたしは目を閉じ、情報空間にダイブする。

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