1−2

 三十分後、輸送機は飛んでいた時と同じぐらい乱暴に着陸した。

 タラップを下り白い滑走路に降り立ったわたしは、出すべきものは全て出しきっていた。吹き付ける海風がせめてもの救いだった。

 輸送機の積み荷を降ろしに来た車両に混じって、流線型の乗用車がやって来た。一人乗りの自動運転車だ。それはわたしの前で停止すると、何の愛想も挨拶もなくスライド式の扉を開けた。視界拡張に迎えの車であるとの旨が表示された。わたしが車内へ体を納めると扉は速やかに閉まり、車は音もなく走り出した。

 基地施設を抜け、他に交通のない道路を走っていく。全天ガラス張りの車内からは、青々とした空と輝く太陽が見える。道の脇には椰子の木が立ち並び、風を受けて揺れている。照りつける日射しのせいか、風景のコントラストが強い。わたしが普段から見ている風景を印象派の絵とするならば、こちらはくっきりとポスターカラーで塗り分けられたイラストといったところだ。

 人影のない島は静まりかえっている。とても武装クジラの群れに取り囲まれているとは思えないほどだ。道の向こう、岸壁の下に広がる海にも、物々しい気配はない。

 十分もしないうちに車はある施設の敷地に入った。基地からの道路はここへ来るために敷かれたもののようで、行き着いたのが施設の門だった。門には衛兵の姿も、そもそも詰め所もなく、車が近づくと鉄柵が自動で開いた。何か、大きな穴に吸い込まれるような気がした。

 平たい建物の玄関前で車が停まり、扉が開いた。見計らったようなタイミングで、建物のガラス扉が開いた。黒縁眼鏡を掛けた女性が現れた。基地を出てから目にする、初めての人間だ。歳は、わたしより五つほど上だろうか。白衣を纏っている。

「お待ちしておりました」そう言う彼女に敬礼はない。軍属ではない純粋な研究者ということだろう。「どうぞこちらへ」

 自己紹介もなければこちらの名乗りも聞かずに、彼女は踵を返して建物内へ入っていく。わたしもそれについて行く。

『歓迎はされていないようだね』クラウスが言う。

『別に期待もしてない』わたしは内省会話で返す。

 館内は洞窟のようにひんやりとしている。二人分の足音がリノリウムの床を鳴らすだけで、他に物音はない。基地からの道すがら同様、ここにも人の姿はない。その気配すらも。

 階段を上がり、長い廊下を進んだ先で、黒縁眼鏡の女性が足を止めた。彼女はスライド式のドアの横に付いたインターホンを鳴らし、「所長、情報部の方をお連れしました」とマイクに向けて言った。ドアの向こうで錠の外れる音がした。

「どうぞ、お入りください」彼女は身を引き、わたしを手で促す。一緒に入っては来ないようだ。

 わたしはドアをスライドさせ、入室する。

「失礼します」病院、というより職員室に入る時の気持ちに近い。

 室内は薄暗い。唯一の明かり取りである窓はブラインドが下ろされ、隙間からわずかに外の光が漏れるばかりだ。代わりに光源となっているのは机の上のスタンドだが、一部分しか照らしていないせいか却って不健康な感じがする。机の上に書物や書類が山と積まれ、そびえるように置かれた書架にも本が詰まっていることも、そうした印象を強くしているのかもしれない。

 洞窟の奥、とわたしは思いながら、所属と姓名を名乗った。机の向こうに座る人物も女性で、輪郭や鼻筋、つり上がった目尻が一様に雰囲気を醸していた。わたしの母と同じか、それよりいくらか若いくらいの歳だろう。

「若いわね」酒か煙草か、いくらか掠れた声で彼女が言った。

「はい?」

「いえ、別に」それから、気持ちのこもっていない労いを口にした彼女は所長のヤシロだと名乗った。「我々が今置かれている状況はご存知ね?」

「はい」

 輸送機の中では散々だったが、出発前に受けたブリーフィングの内容まで忘れたわけではない。

 島は軍の管轄下にあり、主に研究施設として使用されている。この島の近海に、一週間前から大規模なクジラの群れが姿を現した。クジラは軍事目的で遺伝子強化された武装海洋類で、その国籍は不明。島に近づこうとする船舶を襲い、島への補給を断つなどの実害を与えている。このままではいつ島の施設への攻撃があるともわからないため、早急な駆除が求められる——わたしが聞いたのは、こんな内容だった。

 駆除にあたり何故わたしのような潜量士ダイバーが必要なのかといえば、武装クジラたちには物理攻撃ではなく電子攻撃の方が有効だからだ。海中に散布した〈Q粒子〉と呼ばれる極小端末を介して情報空間よりアクセスし、彼らの脳に損傷を与える。そうすれば、人員も物資も最小限で抑えられる、というわけだ。

「一つ、わからないことがあるのですが」

 わたしが言うと、所長は促すように小首を傾げた。

「この島が襲撃される理由です。報告書では〈不明〉となっていました」

「当研究所の機密情報に関わることです。特Aなので、一般士官にも開示していません」

「クジラたちはその情報を持っているわけですか」

 所長は答えない。わたしは続ける。

「わたしも見られないような情報を、どこの国のものかもわからない武装クジラが知っているのは違和感があります。開示していただけませんか」

「それはあなたの上司と〈件〉に言ってちょうだい」ため息まじりに彼女は言う。「少なくとも彼らは、あなたがそれを知る必要はないと判断しているはずよ」

 わたしはそれ以上、何も言えなくなる。わたしに求められるのは、量子の海を泳いでいって、クジラたちの脳を破壊すること。ただそれだけだ。

「作戦は明朝六時より開始です。今夜一晩、しっかりと休息をとってください。私からは以上です」

 そう言って、所長は机の端末へ意識を戻した。それきり、顔を上げてこちらを見ようとはしなかった。

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