小悪魔
あべせい
小悪魔
「使うのは、水だけです」
「エッ、そうなの?」
でも、電気も使うじゃない。
「では、早速、この高圧スチームクリーナー『ミナトル』の威力を試してみましょう!」
わたしは、生まれて初めて、テレビショッピングなるものの仕事を受けた。これでも女優なのだ。
いまは、あまり売れてないが、デビューした22歳のときは、東大出の美人女優として、一世を風靡した。笑顔が妖しいから、って、「インテリ小悪魔」なンて、呼んでくれた週刊誌もあったっけ。それが、どうして、こんなことになったのか。
「弥生さん、ねえ、弥生さん」
「ハッ、ハイッ!」
シマッタ、聞いてなかった。
この男のひと、テレショップの販売キャスターなンだけれど、どこかで見たことがある。名前は高梨なんとか、と言ってくれたけれど。年は……40、いや50代、若づくりしているだけで、本当はもっとクッているのかも……。
「こちらのガス台を見ていてください」
「ずいぶん使い込んでいますね」
これは打ち合わせ通りの科白だ。
きょうのテレショップの出演者は、わたし一人ではない。もう、ひとり、わたしの横に立っている、お笑い芸人のアイレスも。
なのに、彼は、この収録が始まってから言ったことは、「そうですね」の一言だけだ。
勿論、打ち合わせのとき、フロアディレクターから、「アイレスさんは、余りしゃべらないと思いますから、五月さんが頼りです」と言われていた。
わたしは、芸名を五月弥生(さつきやよい)という。事務所の社長が、カレンダーをみていて、気まぐれで付けたけれど、わたしは気に入っている。弥生は三月の意味もある。でも、社長は、初恋の女性の名前だったという。きれいなひとだったらしい。
アイレスは、20年以上も昔、アイフルという一回り若い相方とコンビを組み、漫才をしていた。コンビ名は、ダブルアイ。一時は、お笑いブームに乗り、爆発的に売れたが、その後はさっぱり。10年前にはコンビを解消、いまはピンで仕事をしている。
しかし、彼には絵の才能がある。5、6年前、二科展で2度も賞をとり、突如天才画伯としてもてはやされ、収入としてはお笑いより、絵のほうが多いと聞いている。
もっとも、わたしはきょう彼とは初対面。始まる前、彼の控え室を訪ね、型通りの挨拶をすませて出ようとすると、
「キミ、五月弥生さんだったね」
と、呼び止められた。
彼は、立ち止まって振り返ったわたしに、手を差し出した。
わたしは、つい習慣で伸ばしかけた手を、反射的に引っ込めた。
握手なンだろうけれど、どうして、こんなずんぐりむっくりと手を握り合わなくてはいけないのッ! わたしのお祖父さんと言ってもおかしくない年齢よ。
すると、彼は、想定外の反応だったのか、うまいボケもツッコミもできず、犬の糞を踏んづけたような、心底いやーな顔をした。
で、
「ずいぶん前になるけれど、ぼくは、あなたとドラマで一度共演しているンですよ」
ブスッと、そう言った。
わたしは、「あァ」とか「あっそ」とか、ささやくような小声で答えたが、よく覚えていない。
共演がどうしたのよ。テレビで一度仕事をしただけで、女優は相手に手を握らせないといけないのッ。わたしはバツイチの独身だけど、まだ花も実もある、アラサーなの。
アラサーはもう古いか。でも、イイ男と出会って、まだまだ恋をしたい、セックスも……。
前の夫とは、わずか2年の結婚生活。治療に通った歯科医だったけれど、6つ年が上というだけで、いつも上から目線で叱責し、高校しか出ていないわたしをバカにしているとわかったから、別れてやった。学歴で相手を量るなンて、ロクでもないものね。
「どうですか。弥生さん、このマシーンの威力は……」
エッ、もう終わったの。目は向けていたけれど、全く見ていなかった。心、ここにあらず、ってやつ。
「スッ、すごい、スゴイわ。わたし、こういう機械、前々から欲しかったンです!」
販売キャスターの高梨はヘンな顔をしたけれど、わたしは考えていた通りの科白を返した。
「すごいッ!」ってことばは、本当は好きじゃない。ばかなタレントは、何もいうことがないとき、決まって「スゴイッ!」って、叫んで、その場を盛り上げようとする。
「すごい」とか「メチャ」は、語彙に乏しいおバカさんの反応だ。でも、わたしは、いま、余りの慌ただしさに、おバカさんに倣ってしまった。バカよね、わたしも。
「では、次に、ミナトル最大の見せ場、アイスショーをお見せします。弥生さん、いいですか。よォくご覧ください。いきますよ」
テーブルの上に、厚さ15センチほどの角氷が立ててある。
高梨は、手にしたミナトルのノズルをそれに向けた。
「では、スーパーアイスショー、スタート!」
ミナトルの噴出口から針状に勢いよく噴出するスチームの尖端が、角氷にみるみる穴を空けていく。
「イヤー、コレ、本当ですか。信じらンないッ!」
わたしは正直な感想を言った。
すると、それまで沈黙を守っていたアイレスが、いきなり、
「コレだ。コレですよ。これが見たかったッ! この威力、破壊力、これぞ、テレショップの宝だッ。この放送が終わったら、わし1つ注文するから、よろしくね。ナッちゃん!」
ナッちゃん!?
「アイレスさん、そンなに焦らないで。まだまだお見せしたいものがあるンですから」
ミナトルから噴き出たスチームは、角氷に直径1センチほどの穴を空け、15センチ厚の氷を貫通させた。
時間にして、30秒とかからなかったろう。
しかし、このショーは同種の製品のテレビショッピングで何度も見たことがある。高温のスチームだから、氷を解かせて当たり前。これが出来なければスチームではない。
ただし、氷を解かすのと、汚れを落とすのは、話は別だ。視聴者はここで騙される。
それより、わたしが驚いたのは、アイレスが高梨を、「ナッちゃん」と呼んだことだ。
2人は、以前からの知り合いと言える。
高梨に会ったとき、どこかで見たことがあると感じた。わたしは、もう一度、高梨の痩せ細った、どちらかと言えば端整な彼の顔をじろじろ見つめた。器量としては、アイレスより、はるかにいいか。お笑いをやるには、整い過ぎている……。
アッ、そうか。そうだッ! 高梨は、アイレスの元相方、アイフルだ。
漫才をしていたときの彼は、いまのアイレスのようにでっぷりと太っていた。しかし、いまは肉が落ちスリムになったうえ、黒ぶちのメガネをかけている。それで、わたしは、気がつかなかった。といっても、当時から、それほど、気になる芸人でもなかったから、こんな仕事で一緒にならない限り、気がつかなかっただろう。
当時の面影と言えば……右の眉が半分欠けていることくらい。人は、こんなにも変わる、いや変われるものなのだ。
わたしだって、あと20年も経てば、どんなことになるやら。
それなのに……、こんなところで……、わたしは、こんなことをしていて、いいのだろうか。
この仕事を受けたのは、ギャラがいいからだ。半日の拘束で、ドラマ1本分のギャラと聞いた。
わたしの場合、連ドラにゲスト出演すると、平均3、4日の拘束で、30万円程度。1時間ドラマは、通常1週間で撮る。連ドラの場合、「2話もち」と言って、放送2回分を並行して撮っていくから、3、4日拘束といっても、毎日ではない。飛び飛びで撮影が入る。
しかも、ひどいときは、レギュラー出演者顔負けの5日も6日も撮影にとられることがある。だから、テレショップの仕事は、噂通りオイシイのだ。
事務所はこれからも積極的にテレショップの仕事を入れると息巻いている。
しかし、女優がこの種の仕事をしていていいのか。いいわけがない。わたしは、CMも拒否し続けている。勿論、事務所は、いい顔をしない。
でもね、CMは魂を売る。女優の仕事は芸を売るけれど、魂は売らない。昔、お女郎さんが、体を売っても、心は売らないと言ったのと同じ。どんな問題が潜んでいるかも知れない商品や製品を、無責任に、「すばらしいッ!」「最高!」と宣伝するのは、人間として恥ずかしいことだと思う。
亡くなった父が、わたしによく言っていた。「お金と権力には、擦り寄るな」と。
テレショップの仕事は、わたしの信義と矛盾する、とひとは言うかも知れない。しかし、CMとは露出度が断然違う。
CMはナショナルスポンサーの場合、全国津々浦々に流れる。このテレショップは関東と近県だけだ。視聴率も、よくて1、2パーセント、平均するとコンマ以下だと聞いている。
だから、って、やっていいということにはならない。父が生きていたら、何と言うだろう。事務所に言って、今回を最後にしてもらおう。それでも、いい顔をしなければ、事務所をやめればいい。代わりの事務所くらい、すぐに見つけられる。
男優の牧藤二(まきとうじ)が、この前、うちの事務所ならいつでも大歓迎すると言ってくれた。わたし、いま、彼のことがいちばん気になっている。別れた亭主と大学で仲良しだったという点が、ちょっと引っかかるけれど。
藤二で引っかかるのは、もう一つ。藤二はわたしよりイッコ下。わたしは父を早く亡くしたからか、年上のひとといると心が落ち着くところがある。
「ファザコンなんじゃ、ないか」
と、事務所の社長は言うけれど、いいじゃない。ファザコンだって。この高梨のそばにいると、気持ちがやすらぐのも、父恋し、のせいかしらね。
収録は約2時間で終わった。これで30万はありがたい。
高梨は、スタジオを出て行くわたしを追いかけてきて、
「弥生さん。お疲れさまです。次回もよろしくお願いします」
と、言った。
このひと、わたしと会ってから、ずーッとわたしのことを下の名前で呼んでいる。初対面の人に、いきなり「弥生さん」と呼ばれたのは初めてだ。女優をしていると、軽く見られるのか。
「次回もよろしく」は、社交辞令だろうけれど、わたしはちょっと意地悪をしてやりたくなった。
アイレスの出演は、高梨の引きだろう。彼は、このテレショップでかなりの成果をあげ、業界ではかなり力があるとADから聞かされた。
「高梨さん、わたしに、次回って、あるンですか?」
「エッ!?」
高梨は面食らった顔をしたが、すぐに態勢を立て直す。
「勿論です。ぼく、昔から弥生さんのファンです。これまで何度も、オファーさせていただきました。今回、ご一緒できて、こんなにうれしいことはありません」
ホントッ! 今回の仕事は、高梨のご指名だったのか。わたしは、年上の男性にファンが多いと聞いているが、ファンの中心は、彼のような年配者なのか。
「そう言ってくださって、わたしのほうこそ、うれしいです。きょうは初めてのテレビショッピングでしたから、緊張して……ご期待通りにできなくて、申し訳なく思っています」
「とんでもない。弥生さんは、いてくださるだけで、視聴者は満足します。あなたは、購買意欲をかきたてる方なンです。わたしの目に狂いはありません。近いうちに、必ず、もう一度、ご出演、お願いします」
「こちら、こそ」
と言ってから、わたしは大胆なことを思いついた。
「高梨さん。わたし、こちらの業界のことをよく存じあげません。もし、ご都合がつきましたら、業界のことをもう少し教えてくださいませんか?」
「エッ、そんな。それは、うれしいおことばです」
そこで、高梨は急に声を落とすと、
「お食事でもご一緒して、お話させていただけるということでしょうか?」
そういうことよ。察しがいい。けれど、わたしは少し、勿体をつける。
「わたし、明日から2時間ドラマの撮影に入ります。そのあとは、舞台と映画の仕事が待っています。しばらく、時間がとれません」
本当のことだけれど、少し、ウソと誇張がある。2時間ドラマは、犯人の愛人役ですぐに殺されるから、撮影は2日だけ。舞台は、1ヵ月先。映画は、声はかかっているが、まだ決定しているわけではない。監督の了解待ちだ。
「それはお忙しい。ぼくは、いつでも空いていますが……。残念です」
ウソだろう。高梨は、このところ、休みなしで収録していると聞いている。それに生放送もあるから、ピークの過ぎた女優の無駄話につきあっているヒマはないはずだ。
「高梨さん、でも、今夜は空いていますよ」
わたしは、自分でも驚くほど、彼の耳下に顔を寄せ、小さな声でそう言った。
「エッ、本当ですか」
高梨はそう言って、チラッと腕時計を見ると、
「では、2時間後に、いかがですか?」
「2時間後? はい、高梨さん、ご存知のお店をおっしゃってください」
これで、決まり。
4時間後には、もう一つ、牧藤二との約束があるが、なんとかなるだろう。藤二は料理が得意で、今夜は昔アルバイトで調理を教わったすてきな店を紹介する、と言っていた。
わたしは、まとめるのが大好き。出かける日は、買い物も友達と会うのも一緒にして、時間をうまく調整して、一日を無駄なく使う。
いま時刻は、午後4時ちょい過ぎ。きょうは、長い一日になりそうだ。
このお店、前に藤二に連れてこられたことがある。レストランバーとでもいうのだろうか。食事ができて、お酒も飲める。テーブルライトがあるのだけれど、小さな蝋燭があるきりだから、暗くて、相手の表情がよくわからないほど。
高梨との約束の時刻まで、まだ10数分ある。スマホをいじっていると、ふとテレショップを覗いてみたくなった。
アッ、高梨さん……。スマホのテレビ画面で、マッサージ器の実演販売をしている。
タレントは、テレショップでしか見ないタレント2人。昔はウレていたのに、いまなぜか、干されている。わたしも、近い将来……。決して他人事ではない。
待ってッ。これ収録なのかしら? エッ、「LIVE」!
ここまであと8分ほどで来られるの。どうやっても、10分はかかる距離だけれど……。それとも、わたしとの約束なんか、忘れているのか。そうだろうな……。
まァ、いいか。
早くから待っていたと思われるのも癪だから、お手洗いで時間をつぶすか。
アレッ、どうして! 藤二が……。
わたし、時間を間違っているのかしら。それに、彼との待ち合わせ場所は、ここじゃない……。ここから、徒歩で十数分はかかる店だ。
入り口から最も遠いテーブル席。彼の向かいには、女……わたしより、若い。美人?
なにヨ、わたしには、かなわないわよ。
でも、これは見過ごせないッ。
ここはもう一度、腰を降ろして。振り向かないで、コンパクトの鏡で、藤二をウォッチしよう。
でも、彼が二股をかける? そんな男じゃないはず……。
彼の相手は、見たことないけれど、わたしよりトォは若い。彼と同じ事務所の、後輩? だったら、わたしのこと、知っているわよね。
藤二はわたしには全く気づいていない。相手の女の子に釘付けだもの。
女は年をとると、こんなにも不利なの。
ヨシッ、こちらから、乗り込んでやるか。わたしって、そんな性格じゃないンだけれど、これも、年をクッたせいか。怖いもの知らずのトシに、なってきたようね。
「あらッ、藤二じゃない」
わたしは、つかつかと歩み寄ると、藤二のすぐ横に立った。そして、相手の女性を見つめながら、声をかける。
彼の反応は見ないでもわかる。大事なのは、女の反応だ。
「あッ、弥生、さん」
と、藤二の声。
わたしは、彼の視線を感じ、そこで初めて整った彼の顔を見つめ返す。
女性は、わたしと藤二を交互に見ていたが、
「こちらがいつも、牧さんがお話なさっている、最も大切なお方なのね」
この子、やるじゃない。そうきたか。でも、藤二は気が小さいから、すぐさま対応できない。芝居でも、アドリブが超苦手な役者。これで、即興がもう少しうまくできれば、もっと仕事がふえるのに。前々から、何度も言っているのだけれど。ないものねだりをしても、仕方ないか。
「そ、そうなンだ」
と、藤二。わたしを見ないで、女の子を見ているのが気に入らない。
「臆病」は、言い換えれば「正直」でもあるけれど、藤二は上に「バカ」が付く。
と、女性は、
「わたし、失礼します。お2人のお邪魔はしたくありませんから」
女性は、立ち上がり、踝を返す。
「待って」
と、わたし。
このまま帰したのでは、でしゃばってきた意味がなくなる。
「お邪魔しているのは、わたしのほうよ。わたし、五月弥生。売れない女優をしています」
「存じてい……、いいえ、お名前は存じあげています」
わたしが売れていないと思っているのか、この小娘は。売れていないって、謙遜なんだよ。これでも、まだ、キー局の深夜で一本、ローカルテレビ局で一本、ラジオで一本、レギュラーを維持しているのよ。見損なわないで。ゲストやイレギュラー出演を含めれば、まだまだ、メジャーなンだから。
「わたしは、ある方とこのお店で仕事の打ち合わせがあって。そうしたら、この前共演した牧クンがいたから、声をかけたの。そうでしょ、藤二?」
「牧クン」と呼びかけて、最後に「藤二」と呼び捨てるのは、嫌味だ。藤二はわたしより、イッコ下だから、「クン」付けしたけれど、本心はそうじゃない。この女性に負けたくない一心からだ。
それと、共演したというのは、半年も昔の話。それがきっかけで、つきあうようになったのだけれど……、あれは失敗だったか。
すると、どうだ。この子、とんでもないことを言い出した。
「わたしは、このお店のオーナーの娘で、高梨三咲といいます。父が、料理人としての牧さんの腕に惚れ込んで、この店を手伝ってくれないかとお願いしています」
エッ、聞いてないッ! そんな話。
藤二は、芝居より料理がうまいというのは、以前から業界でも有名な話だ。
しかし、役者をやめて、コックになるなンて。わたしに一言も言ってないッ。藤二、どういうつもりよ。
「そうなンだ。今夜は、その返事をするため、来たのだけれど……」
と、藤二。
ちっとも悪びれずに白状する。わたしとのデイトは、どうするつもりなのよッ!
「父が少し遅れているみたいで……アッ、こっち、お父さん……」
三咲が入り口のほうを見て、手を振る。
わたしは、「お父さん」と呼ばれた男を振り返って、唖然となった。
「高梨三咲」と聞いて、すぐに気がつくべきだった。三咲は、テレショップの販売キャスター、高梨の娘だった。高梨の下の名前は、確か、「恭造」。
「ごめん、ごめん。……アッ、弥生さんもご一緒でしたか。そうか。牧さんとは、役者仲間ですものね」
時計を見ると、ちょうど約束の時刻だ。この恭造は、なかなかの男だ。芸人をやっていたのが不思議なくらい。
こうして、高梨親子が並び、アイフルこと恭造の向かいにわたし、三咲の向かいに藤二という位置で、改めてテーブルを囲んだ。
話は、藤二の料理自慢で盛り上がる。しかし、わたしはちっとも弾まない。
聞いていると、恭造はテレショップの販売キャスターの成功で荒稼ぎ。2年前、この店をオープンさせたという。テレショップの仕事がないときだけ、店に現れるが、基本的には、娘の三咲に経営を任せているらしい。
藤二と三咲は、この店に藤二が客できて知り合ったというが、そうではないだろう。
テレショップでは、藤二のほうがわたしより長い。売れていないのだから、当然だ。
そのとき、商品が食品か何かだったのだろう。藤二がフライパンでも振って、恭造は藤二が料理ではプロ級の腕前であることを見抜いた。同時に、そのテレビを見ていた三咲が、藤二に一目ぼれした。
藤二は、三咲とすでにいい仲に違いない。ここで、わたしが藤二との関係をバラすと、どうなる?
藤二と三咲の仲はご破算。藤二のコック採用も、だ。
わたしはいま、藤二の運命を握っている。
30分ほど高級ワインを飲みながら談笑し、話が途切れたそのとき、わたしはすっくと立ち上がる。
「ごめんなさい。盛り上がっているのに。わたし、この後、約束があって……」
と、恭造と藤二が、声を揃えて、
「エッ」
2人は、どうしてと言いたげに顔を見合わせる。
わたしは、
「高梨さん、テレショップのお話は、次回にさせてください。牧クン、三咲さんを大切にね」
精一杯の笑顔をつくって、そう言った。
わたしは、ここにいる必要はない。恭造に取り入り、テレショップからのオファーをふやすことはできるかもしれないけれど。
恭造はわたしの恋愛対象にはなりえないだろう。年上で二枚目……だけれど。
わたしはそんなにおバカさんじゃない。親子ほど年の離れた男とつきあうなんて、真っ平。ファザコンでも、離れすぎだろッ。ものには、限度がある。
「じゃ……」
わたしがテーブルの伝票をとろうとすると、
恭造が、
「弥生さん。ここでの勘定は、すべてわたし持ちにさせてください。これからも、ずーっと……」
と言い、テレビでは決して見せない、勝ち誇った顔になった。
で、わたしはすかさず、
「ありがとうございます」
ワイン一杯だけだ。金額にすれば、3千円もしないだろう。恩に着ることはない。それに、あちらが誘って、指定した店だもの……。
ドアを開けようとすると、
「弥生さん、いや、弥生ちゃん……」
藤二が追ってきた。
彼が、わたしを「ちゃん」付けで呼ぶのは、2人きりのときだ。
ベッドでは、呼び捨て。この前、呼び捨てにされたのは、いつだったかな?……と考えていると、
「ごめん。このあとの約束は忘れてはいないから。必ず、行く……」
藤二は、単にむじゃきなのか。本当のバカなのか。
わたしは、ゆっくり振り返ると、ドラマで愛人役をやるときにしか使わない、媚びを含んだ笑顔で彼を見つめる。
この笑顔には、「それ以上近寄ったら、食いちぎるから」の思いをこめているのだが、だれにもそれを打ち明けたことはない。
前に、ロストシングルの青樹監督から、
「五月さん、あなたのその笑顔は、小悪魔的でぼくは大好きだけれど、プライベートでは誤解されるよ」
と、指摘されたことがある。
あの監督、主演男優より二枚目で、一度誘われたいと思っているのだけれど……。
そんな妄想よりも、いまはこの藤二を片付けなきゃ……。
「わたしも、もう一つ約束があったの。おあいこね」
「エッ、ぼくは、弥生ちゃんと今夜……、楽しみにしていたンだけれど……」
「あなたは、あの娘とお似合いよ」
わたしはそう言いながら、青樹監督の女好きのする顔を思い浮かべている。
わたしは、元々年上の男が好きなのね。青樹監督はわたしより一回り上。恭造はふた周り。別れた元夫は、6コ上だった。
もっともっと、早く気づくべきだった。
明日、クランクインする二時間サスペンスは、青樹監督の演出だ。役は、またまた愛人。テレビでは、愛人のイメージが定着しているから、仕方ないのだろうけれど……。
「よし、こんど、2人きりになったとき、使ってみよう」
わたしは、藤二がいるのも忘れて、小悪魔笑顔の使い道を思いついた。
「エッ、弥生ちゃん、何を使うの?」
使うのは青樹監督と2人きりのときよ。おまえじゃない。わたしは、相変わらず、無神経で能天気な藤二を、ひっぱたいてやりたくなった。
(了).
小悪魔 あべせい @abesei
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