聖魔兄妹つとに物語るなり

松本裕弐

始まりの物語り

語り部『我』とふたりの兄妹

第1話 プロローグ

「まったくもぅ、どうしてこうなったのかしら?」

 そんな彼女のうれいに満ちた呟きがわずかに震えるように周りに木魂こだました。

 それもそうであろう、いち面を覆う広大な雲海の中から差す、まばゆ一条ひとすじの燦めきのようなつややかさを持っていたはずの彼女のその長い髪も今や薄汚れ、灰色の鈍い照り返しを放つのみである。そしてその身体を覆い隠すよそおいも、見るも無惨な数編の布切れと化していた。ただ妙齢の女性として其れが果たして隠しきれている事になるのか……と、言うと甚だ疑問の残る容姿ではある。しかも身体中、血にまみれているのであるから『どうして――そうなった』と『われ』の方が彼女を問いただしたいところであるわ。まあ、それが魔物の返り血なのか彼女自身の怪我からの其れなのかが良く分からないが。まさに、その有様がそれらの魔物と彼女との今までの奮闘ぶりを大いに物語っていると言うことであろう。


         § § §


 『われ』思う故に『われ』有りと語った『われ』は偽りなのかは、『われ』にも分からぬことである。しかし今、ここにそれを考え、視るべき『われ』が有ることは間違いでは無いであろう。故に『われ』はると。

 そんな『われ』はここでは単なる語り部である、今は。

 煌めく星々たちと数多あまたの次元が関わり合って、意図無き意志を、命とやらと魂と言うものに宿らせ回っておる。そんな中で、面白き魂の匂いに導かれ、ある星のひとつに降臨したのが、この星の時の数えで数年前であった。

 『われ』は己の意思に導かれし事をしてはならぬ定めが在るのだが……『われ』の前のわれが、ある人族の兄妹きょうだい運命さだめに意図を介した。其れが故にわれは摂理にしたがいし、己の定めを受け入れ一度、無に返らざるえなかった。

 そして新しき『われ』が代わりにここに在る。『われ』等は視るだけでそこの命の運命さだめに関わってはならぬのである。前の我と新しき『われ』には相互の繋がりは無いが、虚空界アーカーシャにある世界記録アカシックレコードから記憶は紡ぐことが出来る、只それだけの関わりであると。


 藍き星のその中のひとつにまるで吸い込まれるように落ちていく。まさに瞬きのあいだであろう。眼に映り込む藍色は星に近づくにつれ碧き色に変化していき、ついには緑の満限色に染まった鬱蒼とした植物の生い茂る大地にかわる。そしてその浮遊感から解放された『われ』はゆるりとその一角に今、まさに降り立った。と言うか戻ってきた。ついぞ『われ』もここの命の運命さだめに関与しそうになり……少し頭を冷やしに出たのであるが、まったく何故にこのむすめはいつもそうなるのか。元はと言えば『われ』のがこの娘に兄との絆呪契痣インデックスを与えてしまったのが因果応報の始まりじゃったのだがのう。それはまあ、ここで今あえて言う程の事でも無かろうて、まあ良いわ。


 『われ』に名は無い。『われ』の事はこの次元の生命体モノタチからは視えないのであるから、気にする必要は無いであろうて。

 その『われ』は、姿無き身ではあるものの強いて言うのであれば、次に続く所作ウゴキをイメージとして伝えておく事としようか。

 『われ』が片膝をついて俯きながら降り立ったあと、ゆっくりと己のおとがいを持ち上げた。すると見上げた目線のその少し先の大地の上に、少女から大人に入れ替わる時の初々しさに包まれながらも、艶やかな肢体と美しき姿勢の人となりをもった乙女の姿が自然と眼に入った。その人物モノこそが、この物語の主人公となるむすめであるのだが。『cわれ』がほんのひとときこの地を離れて目を離していた隙に、何故にそうまで面倒ごとに巻き込まれるのであろうか、このむすめは。そうは言えども彼女を取り巻く今の状況はまさに危機であるようで、ここで彼女がそのに食い殺されでもすれば、この物語は『われ』の語りの前に【了】を迎えてしまう。語り部としての『われ』も思わず焦った光景ではあったぞ。

 それは、小高い丘の更にひとつ飛び出した大きな石の上に、ひとりの少女が仁王立ちしていた。そして、そこにまさに今にも飛びかからんと、その周りを数頭の魔物が様子を伺いながらぐるぐると周りを取り囲んでいる場面であった。


「あと六匹か……そろそろ、あたいも魔力マナ切れになりだしたしね、いまさら助けも来ないかな。あ~ぁ、これが最後かしら……仕方が無いわね、では、いきますか……はあぁつっ!」

 ふ~っと大きく息を吐いて彼女は自らに気合いを入れ直した。

 其れと同時に傍らの一番大きな体格の魔物に、右手に握っていた長剣を一文字に薙ぎ入れるようにして、彼女は意を決して飛びかかっていった。


 魔物の牙と彼女が手に持つしらやいばが触れ合おうとする一線で其れは起こった。

 周囲が一転真っ赤に染まり、魔物達がすべて一瞬にして灰と化して舞い上がる。それにより、その場の視界が瞬く間に闇に遮られた。それらの灰が、いつしか巻き起こった風で吹き流され、再び視界が確保されると先程まで魔物達が居た場所にひとりの青年が立って居るのが見えた。そして、その場には魔物の姿は影も形も残されてはいなかったのである。


「リアムお兄様……ですわ! まったく、もう……‼」

 その彼に対して血塗れの少女が口を尖らせながら、見た目の年齢の割にいたくふくよかな胸の前で大仰に腕を組んで文句を垂れている。立ち位置で彼女の方が高い位置になるので、その踏ん反り返った態度が幼い見かけに似合わずやけに大袈裟に見えた。

「……す、済まなかった遅くなってしまってリアっち、あっ! 。あの〜う、お怪我は無かったですか?」

 そんなヴァレリアにリアムお兄様と呼ばれた青年が物腰も柔らかくも遠慮がちに応える。ともすれば、他人行儀そうにも見えるその応対は彼の素なのだろうとは思うのであるが。

 そんな彼も目の前のあられもない姿のヴァレリアを目に留めると、瞬間、『あ――っ』と目を円くするが、そこは兄の尊厳か、さりげなく視線をスッと逸らせていた。その上で左の掌で自分の顔を覆いながら、空いた右手で彼が纏っていた頭巾フード付き外套マントを素早く脱ぎ去り、それを無造作に彼女に投げて寄越す。そして真っ赤になった己の表情を隠すが如く、俯いたまま、はたまた照れ隠しなのか咎めるように大仰に叫んできたのである。

「ヴァレリアっ、何て格好をしているんですか……それを羽織っていてください! さあ、早く!」

「あ~っ!」

 リアムの言葉でヴァレリアやっと自分の半裸姿に、今更ながら気が付いたようである。

 兄から投げつけられた外套マントに即座に飛びつき、サッと神業の如く身を隠すようにまとい直した。

 そして一言、リアムに投げかけた言葉が……その時、いったい彼女は何を思っていたのであろうかとは思うが……。

「……ぁ~ぁ? 兄さまアニサマ

 と、外套マント頭巾フードを深めに被り直し、一息つくと俯きながらもヴァレリアは恐る恐る震える声で兄にそう問い掛けていた。

 目深まぶかに被った頭巾フードに隠れて口元しか覗けないが、唇の左下の小さな黒子ホクロが歪に揺らぎ、引き攣った口元を強調している。いつもならあどけない幼さの中にも、不思議と成熟さを感じさせるような色っぽさを主張する黒子ホクロにも見えるのであるが……今は、小刻みな震えを伝えるのみであった。

 そして伏して顔は見えないが、たぶん真っ赤であろう事は、頭巾フードからはみ出した可愛いらしいその耳の色から預かり知れた。

 無論、そう問われたリアム側も未だ赤面しながら目を逸らしているが。まあ、そんな態度では見ていないとは嘘でも言えないだろうが、はたまた正直に見たとも口が裂けても言えない状況であることは確かであろう。


「…………」

 沈黙は金なり、押し黙ったリアムの態度に『ハ~ッ』と深い溜息を付きながらもトポトポとゆっくり彼に近づく。辿り着いた彼の胸元で、その頼もしき胸板を可愛らしい握りこぶしでポコポコと軽く叩き始めるヴァレリアであったが、口から紡いだ言葉は何故か……。

「で、ど、どう⁉ か、感想というか……ぃゃ⁉」

 ————あ、あたい、いま何を……口走ったの? なんてことを聞いているのかしら?

 混沌とした精神状態の中、噛みまくりながらもヴァレリアの自我メタ認知が自らに問い掛けていた。


「えっ、き、綺麗ですよ、もの凄く。なんて言いますか、魅惑的黄金比ボン・キュッ・ボン……とでも言いますか……えっ、な〜ぁ⁉」

 ————は~ぁ、自分はいま何をぶちまけたのか?

 同じくこっちも錯乱した精神状態の中、リアムも自らに問い掛ける。


 『われ』は思う、兄妹きょうだい揃って相手に何を問い掛けている……求めているのであろうかと。

 ふたりしてテンパった調子の双方の心の声が素直に『われ』には届く、頑張れふたりとも、君達の未来は明るいぞ、多分……いや、明るいかも知れない。


 彼女からの予想外の問いに、思わず素で即答しまってから彼は、はたと気付いたようだ……が、もう既に遅かった。いきり立ったヴァレリアのこぶしが旋風となってリアムの左頬を強烈に打ち抜き、その衝撃で彼は大きく後ろに仰け反って倒れこんだ。

~ぁ! おっ、お兄様のバカッ!」

 顔を真っ赤に染め上げながらも壮烈な怒号をひと言残しつつ、瞬時に踵を返すと、地面に突っ伏しているリアムをそこにひとり残して、ヴァレリアは疾風の如く立ち去っていったのであった。


「何とも、もの凄く痛かったですね……手加減無しでしたしヴァレリアは、おもいっきり殴ってきましたね。しかしまあ、しくじりました。は~ぁ、どうしましょうか~ぁ? 今日の晩飯当番だけでこれ……許してくれるでしょうかね……なぁ、妹よ?」

 その場にドカッと胡座をかきながら、己の打たれた頬を擦って溜息交じりにリアムが愚痴を零していた。そんな声に応えてくれる者は無論そこには誰もいなく、無情な風だけが痛んだ彼の左の頬を優しく撫でていく。まあ、『われ』だけは腹を抱えて笑ってはいたが……リアムよ、すまぬのぉ。

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