●番外編
番外編 (上)
今の時代、人生において必ずしも結婚が必要というわけじゃない。
生き方なんて人それぞれなんだから、古い固定概念に縛られることはないのだ。
とは言えやっぱり、愛する人と一緒になるというのは嬉しいわけよ。
だからあたしもいずれは彼、御堂竜二君からキュンキュンするようなプロポーズをされたいなあなんて乙女チックな願望を、密かに抱いていたりする。
抱いていたんだけど……。
「びええええぇぇぇぇん! 竜二ぐんの浮気者おおおおぉぉぉぉっ!」
現在あたしは居酒屋の片隅で、破裂した水道管のように涙を流していた。
ジョッキに入ったビールをイッキ飲み。 周囲の客がギョッとした様子で振り向いているけど、そんなの気にしていられない。
そして隣の席では前園ちゃんがため息をつきながら、ワンワン泣くあたしを宥めてくる。
「あー、もう。泣かない泣かない。で、いったい何があったのか、いい加減話してくださいよ。状況もわからないまま涙目で飲みに行こうって拉致されて、こっちはいい迷惑なんですから」
言うことが辛辣だよ! この女、人が傷心中だってのに、慰める気ゼロか!
けどまあ確かに理由も話さずやけ酒飲み続けてたあたしも悪いか。
ううっ、仕方がない。辛いけど話すとしよう。あたしの身に起きた悲劇を。
「今日ね、お弁当を作って竜二君に届けに行ったの。仕事で会えない日も多いけど、たまには恋人らしい事をしたくて、サプライズで彼の職場に行ってみたの」
「お弁当を作ったって、火村さんがですか!? そんなことしたら御堂さん、お腹壊しちゃいますよ」
「失礼な、あたしだってその辺はちゃんと考えたよ。ちゃんと美味しそうな冷凍食品を厳選して詰めたわ!」
「そうなんですか。ああ良かった。もしも手作りだったら、お腹にとってもサプライズになっちゃいますものね」
ホッとしたように胸を撫で下ろす前園ちゃん。
お弁当は作ったとは言ったけど、中に入れる料理を作ったとは言ってないもんね。
彼氏に食べてもらうお弁当が、冷凍食品の詰め合わせで良いのかって? そんな細かいことは気にしないの。
「でね。届けに行ったら丁度、オフィスがあるビルから竜二君が出てきたんだけどね。若くて可愛い女の子と楽しげにお喋りしながら、並んで歩いてたんだよ! それはもう、すっごく楽しそうな顔で!」
あの悪夢のような光景は忘れもしない。
竜二君の隣にいた、ピンクの服を着た可愛らしい女の子。たぶん同僚なのだろうけど、彼女は若い。若かった。そんなに若い方が良いのかコンチクショー!
「ううっ、そんなに若い方が良いなら、あたしもどこからか高校の制服でも取り寄せて、着てみようかな」
「何をとち狂ったこと言ってるんですか。ドン引きされちゃいますよ! そんなことしても無駄ですって」
「そうだよねえ。だいたいあの小娘は可愛い系だったけど、あたしは美人系だもの。竜二君がああいうのが好きなら、制服着たくらいじゃダメかあ」
「ソウデスネー。て言うか、一緒に歩いてただけですか? いくらなんでもそれだけで、浮気扱いするのはどうかと思いますよ」
うん、前園ちゃんの言いたいことは分かるよ。
あたしもビックリはしたけど、それくらいで浮気だって騒ぎ立てるほど狭量じゃないのだ。
だけど。
「気になったからその後、二人の後を付けて行ったの。そしたらカフェに入って行ってさ。だからあたしも離れた席に座って、コーヒーを飲みながら二人の様子を観察してたのよ」
「うわー、それ完全にストーカーですね。だいたいお弁当作って行ったのなら、カフェに入る前に渡した方が良かったんじゃないですか?」
「それはそうなんだけどね。まあ兎に角、二人を観察してたんだけど、何を話しているのかやたら盛り上がっててね。竜二君ってば普段あたしには見せないような、楽しそうな顔して話してるし。それ見たら途端に、竜二君のことを遠くに感じちゃったの」
あの時見た、彼の無邪気な笑顔が頭から離れない。
あたしと話す時はもっとおつついた雰囲気で、それはそれで良いんだけどさ。あたしには見せない表情を別の女の子には見せているんだって思うと、胸がキュッと締め付けられるのだ。
前園ちゃんは「やっぱり大したことないんじゃないですか?」なんて言ってるけど、彼女にしか分からない寂しさがあるの。お願い分かって!
「ああーっ、あの泥棒猫ー! ストッキングに爪が引っ掛かる呪いでも掛けてやろうかー!」
「なんですかその地味に嫌な呪いは。霊力を悪用しないでください」
うん、さすがに呪いは冗談。だけどショックだったのは本当だ。
女の子と楽しそうに談笑している竜二君に唖然として、頼んだコーヒーの味もわからないまま帰ったよ。
その後作っていったお弁当をやけ食いしたけど、冷たい感じがした。冷凍食品のオンパレードなだけにね。
思い出せば思い出すほど行き場のない悲しさが込み上げてきて、ジョッキに入ったビールを一気に飲み干す。
「竜二くん、あたしみたいな面倒くさい女、嫌になっちゃったのかなあ」
「そうですねえ。少なくとも私だったら、嫌になりますねえ」
「ちょっと。ここは『そんなことないですよ』って言う場面でしょうが!」
「だって本当に面倒くさいんですもん! 今の火村さんは、面倒オブ面倒です。いっそのこと名前を、『メンドー悟里』にでもしちゃってください」
「ヤダよ、そんな売れない芸人みたいな名前!」
前園ちゃんが冷たーい。
それに彼女の態度を見ていると、竜二君も同じようにあたしのことが面倒くさくなって、ふらっと他の女の子の方に行っちゃったというストーリーが浮かんでくる。
くすん。なんだよなんだよ、結局は自分のせいじゃないか。
だったら竜二君だけを責めるわけにはいかないけど、やっぱり悲しいもんは悲しい。
さっき飲んだビールが、涙となって込み上げてくる。
「うええぇぇん、あたしが悪かったよぉ。だから捨てないでー!」
「ちょっと火村さん、抱きつかないでください。それにそういうことは私じゃなくて、御堂さんに言ってくださいよ」
「けどもしも謝っても、許してもらえなかったらどうしよう?」
「そりゃあまあその時は、涙で枕を濡らすしかないですねえ」
「ヤダヤダヤダヤダ、そんなのヤダー!」
嫌だ嫌だとごねるあたしは、まるで聞き分けの無い子供のよう。
あたし自身、自分がこんなに女々しい奴だなんて知らなかったよ。
けど、嫌なものは嫌なんだもん。もしもこのまま破局なんてなったら、もう立ち直れる気がしないわ。
「ううっ、夢見ていたラブラブな未来が遠退いていくー。いずれは結婚して、『ダーリン』、『サトリン』って呼び合うつもりだったのにー」
グズグズとしゃくりをあげながら、誰に言うでもない愚痴をこぼす。
面倒くさかろうとなんだろうと傷ついてるんだ。愚痴くらい言ってもバチは当たらないでしょう。なんて思っていたのだけど……。
「ええと、僕は悟里さんのことを、そんな風に呼んだ方が良いのでしょうか?」
不意に後ろから、どこかで聞いたことがある声がした。
いや、聞いたことがあるなんてもんじゃない。それはよく知っている、あたしの一番好きな人の声そのものじゃないか。
けど待て。今それが聞こえたと言うことは……。
「あー。ちょっと飲み過ぎちゃったかな。御堂君の声に似た幻聴が聞こえるよ」
「なに現実逃避してるんですか。御堂さん、遠慮せずにここ座ってください」
そう言って前園ちゃんが席を譲ったのは——りゅ、りゅりゅりゅ竜二君!?
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