第31話 VS煙鬼

「な、何を言ってるの? 皆に信じてもらえなくても、煙鬼くんがいてくれたら、それで良いもの」


 訴えかける雅ちゃんはとても健気で、まるで恋愛映画の台詞を聞いているみたい。

 だけどそんな暖かい言葉に、煙鬼はため息で返す。


「分かってないなあ、それじゃあ俺が困るんだよ。俺は呪いに掛かった奴の恐怖や絶望を食って、力に変えてるんだ。呪うのをやめたら、飯が食えなくなるだろうが」

「え? ま、待って。何の話? 私、そんなの聞いてない」


 混乱したように慌て出す雅ちゃんだったけど、反対にあたしは、やっぱりと納得してしまった。


 薄々そんな気がしていたよ。前に御堂君に言ったことあるけど、妖の中には人の憎しみや怒り、恐怖といった負の感情を餌にする、質の悪いやつもいる。

 雅ちゃんを使って呪いを広めてると聞いた時から、煙鬼がそうなんじゃないかって気はしていたよ。

 だけど、それを口にする気にはなれなかった。だって煙鬼のことを友達だと言っている雅ちゃんに告げるのは、あまりに酷だったから。


 煙鬼は動揺する雅ちゃんに近づくと、手を伸ばして彼女の頬を撫でる。


「言っとくけど、騙してたわけじゃないぜ。聞かれなかったから言わなかっただけだ。良いじゃねーか、どのみちお前に損はなかったんだから」

「それは……そうかもしれないけど」

「だろう。だけど、勝手に止めるのは困るぜ。これからも呪いを、掛け続けてくれるよな。まさか友達を、腹ペコにさせたいわけじゃないだろう?」


 雅ちゃんの周りを回るようにゆっくり歩きながら、煙鬼は語りかけていく。

 やっぱりアイツは自分のために、雅ちゃんを唆していたのか。


「ご、ご飯なら私が用意するよ。だから……」

「ああっ!? 人間の飯なんかで、満たされるわけないだろう!」

「きゃっ!?」


 突き飛ばされた雅ちゃんが、床に倒れる。

 さっきあたし達に襲ってきた時もそうだったけど、どうやら奴は実態の無い煙みたいな体のくせに、触れることはできるらしい。

 そして倒れた雅ちゃんを、煙鬼は見下ろす。


「雅、お前にはがっかりだ。せっかく良い友達になれると思ったのによ。残念だけど、もうこれまでだな」

「待ってよ、確かにご飯は用意できないけど、でも……」

「話にならねー。元々お前と一緒にいたのは、その方が旨い飯にありつけるからだ。でなかったら憎い祓い屋の子孫なんかと、誰が友達になんてなるか!」

「そんな……」


 雅ちゃんの顔が、徐々に絶望に染まっていく。

 ちいっ、やっぱりこうなっちゃったか。


 そもそもこの二人の関係には、初めから違和感しかなかった。

 雅ちゃんは煙鬼のことを友達だと言っていたけど、さっき御堂君が指摘した通り、煙鬼は常に安全な所にいて、雅ちゃんにばかり負担がかかっていた。


 だけど端から見れば歪な関係も、当人にとっては案外分からないもの。いや、もしかしたらおかしいとは思っても、認めたくなかったのかもしれない。

 相手は鬼でも、雅ちゃんは煙鬼のことを、友達だと信じたかったから。だけどそんな彼女の気持ちは裏切られた。


 煙鬼はしゃがんで、倒れている雅ちゃんの顎に手をかける。


「雅、友達なら最後に、極上の飯を食わせてくれよ。恐怖と絶望に満ちた、お前の魂をさぁ」

「い、いや……」


 鋭い爪が、雅ちゃんの頬をなぞる。


 ええい、もう見てらんない!

 まだ体の節々が痛むけど、そんなこと言ってられない。右手でピストルの形を作り、煙鬼に向けて構える。

 女の子を騙して泣かせるような最低野郎を、許してなるものか!


「心に風、空に唄、響きたまえ——滅!」

「うわっ!?」


 放った弾丸は、煙鬼目掛けて飛んで行く。

 だけど当たろうという刹那、奴はこっちの動きに気づいて、咄嗟に後ろに転がった。


 ちっ、外したか。けどおかげで、雅ちゃんから引き離す事ができた。

 すると瞬時に御堂君が駆け寄り、彼女を抱え上げる。


「真壁さん、とにかくまずはここから離れましょう。火村さん、こっちは僕に任せてください!」

「頼んだよ。あたしはこの頭の腐った鬼を、ボッコボコにするから!」


 返事をする間も、煙鬼からは目を反らさない。しかしこっちはやる気満々だというのに、このバカ鬼ときたら。


「死に損ないの祓い屋に何ができる。言っておくが俺は、そんなに弱くはないぜ」


 それくらいわかっている。

 伊神家がかつて優れた祓い屋だったそうだけど、煙鬼はそんな雅ちゃんの先祖が封印していた妖。

 問題なのは倒したのでなく、封印していたという点。こんなずる賢くて性悪な鬼は、本来なら滅するべきなんだけど。封印していたのはきっと、倒さなかったのではなく倒せなかったから。つまりそれほど、強力な相手と言うことだ。

 だけどね。


「偉そうなこと言ってるけど。あんたの力、封印されている間に弱まったんじゃないの? だからわざわざ雅ちゃんを利用して、食事にありつこうとしたんだ」

「なんだバレてたのか。お前、脳筋に見えて意外と鋭いな」


 誰が脳筋だ! つーかコイツ、大昔の鬼なのに現代語を使いすぎだろ!


「けどやっぱり甘いな。この時代に蘇ってわかったが、人の恐怖や絶望って、ネットを通じても集められるんだよ。わざわざ外に出なくても呪いの動画を広めれば、後はもう食い放題だ。まだ全盛期ほどじゃねーけど、手負いの祓い屋を退けるくらいわけねーよ」

「―—っ! 文明の利器を、下らないことに使うな。自分は引きこもっといて、食事にだけはありつこうって魂胆か!」

「快適でいいだろう。やっぱり持つべきは、利用できる人間だな。俺のためにせっせと呪いをかけてくれた、雅みたいなな!」

「―—ひっ!」


 名前を呼ばれた雅ちゃんが、ビクッと肩を震わせる。

 コイツ、どこまで意地が悪いんだ。この子は、そそのかされただけだって言うのに。


「……大丈夫ですよ」


 張りつめた空気の中、響いたのは穏やかな声。御堂君だ。

 彼は抱えていた雅ちゃんに、語りかける。


「君は利用されていただけ。責任を感じる必要はありません」

「で、でもこのままじゃあの人が」


 あたしの身を案じるようにチラチラとこっちを見る。

 むう、こんな子供に心配をかけるなんて、あたしも落ちたものだよ。だけど雅ちゃんのそんな反応にも、御堂君は動じない。


「大丈夫。心配しなくても、彼女は負けませんから。ですよね、火村さん」


 こっちを見た彼の目は、とても穏やかで。


 暖かくて。


 信頼に満ちた、澄んだ色をしている。


 あたしならやってくれるって信じて、欠片ほども疑っていない目だ。

 参ったね。これじゃあ、無理だなんて言えないじゃないか。


「ああ、もちろん。と言うわけだから、煙鬼、覚悟してもらうよ。心に風、空に唄、響きたまえ——滅! 滅! 滅!」


 構える暇を与えず、素早く放った三発の弾丸。

 これには煙鬼も不意をつかれたらしく、光の弾は三発とも命中した。


「ギャッ!?」

「まだまだ終わらないよ。除霊キーック!」


 間髪いれずに床を蹴り、跳び蹴りを奴の腹へと叩き込む。

 こいつは煙みたいな体をしてるけど、見た目に反して実態がある。蹴られた煙鬼は、後ろへと吹っ飛んだ。


「て、てめえ、何が除霊キックだ。ただの跳び蹴りじゃねーか」

「悪いね、これがアタシ流の戦い方なんだよ。お祓いだけじゃなく空手も子供の頃から習ってて、黒帯さ」


 空手で備わった技や立ち回り方は、悪霊や妖と戦う上でも役に立つのだ。


「ちぃっ、人間風情がふざけた真似を。だったらこっちも、俺流で行かせてもらうぜ。絶えぬ闇、終わらぬ夢―—呪!」

「なっ⁉」


 印を結んだ煙鬼が放った、黒い光。それはさっき雅ちゃんも使っていた、呪術に他ならなかった。


 ヤバい! 早いとこ打ち消さないと。


「心に風、空に唄、響きたまえ——滅!」


 放たれた二つの術はぶつかり、互いに打ち消し合う。

 間一髪。もう少し詠唱が遅れていたら、危なかったよ。それにしても。


「ちょっとアンタ、それは雅ちゃんの技じゃないか。鬼が祓い屋の術を使うなんて、そんなのありか! この節操無し!」

「くくくっ。生憎俺は、利用できるものは何でも使うんだよ。ほらほら、ボサッとしてると次行くぞ。呪! 呪! 呪!」


 ——まずい!

 さっきみたいに術で攻撃を打ち消すのではなく、そばにあった棚の後ろへと逃げ込んだ。

 こんなのいちいち打ち消してたら先にこっちがバテちゃうよ。


 どうする? 御堂君には安心してって言ったけど、こいつ思ったより強いし。何か手を考えないと。


「なんだ? 大口叩いた割には、隠れる事しかできないのか? だったら先に、あいつらから始末させてもらうぜ」


 そう言って煙鬼は、御堂君と雅ちゃんへと目を向ける。

 まずい、標的を変えるつもりか!


「呪!」

「滅!」


 もう隠れている場合じゃなかった。

 棚の影から飛び出すと、御堂君達めがけて放たれた術を、再び相殺した。


「火村さん!」


 のこのこ出てきたあたしを見て、御堂君が声をあげる。

 分かってるよ。これがあたしを誘き出すための罠だってことくらい。


 すると案の定煙鬼は標的をあたしに戻し、術を連発してくる。


「呪! 呪! 呪! はははっ、敵に足手纏いがいると楽で良いぜ。お前達、餌になってくれてありがとな」


 こっちを挑発するかのように、御堂君達にお礼を言う。どこまでもムカつく鬼だよ。

 あたしは攻撃をかわし、打ち消しながら堪えているけど、防戦一方。

 どうする? どうすれば奴を倒せる?


 生憎策なんて浮かばないけど、まずは。


「御堂君、君は雅ちゃんを連れて、ここから逃げて!」


 とりあえず、二人だけでも逃がしておかないと。

 またさっきみたいに標的にされたら厄介だし、最悪あたしが負けたとしても、二人までやられるのは避けたい。

 そう思っての指示だったけど。


「って、あれ? 御堂君?」


 目を向けた時、御堂君は既にあたしに背を向けて走り出していたのだ。……雅ちゃんを置いて。


 ちょっ、ちょっと待て。そりゃあ逃げろとは言ったけどさ、雅ちゃんも連れて行ってよ!

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